◆ まみむめも - 魔魅夢MEMO ◆ HOME
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仕事で銀座に行くと、「ビックカメラの開店」「エルメス直営店の開店」「ブリジット・ジョーンズの日記の初日」と、なぜか行列に出っくわす機会が多い。
今日もまた、いつもに増して長大な人の列に行くてをはばまれた。「
西銀座チャンスセンター」、年末ジャンボ宝くじ売り場ですね。
「当たると評判の売り場」ということなのだが、あれだけ買う人がいれば、当然当りくじもたくさんでるだろう。確率はどう考えても、どこで買っても同じはずだ。
行列の途中の目の前にも売り場があって、そこはすいているのだが、行列の人はかたくなに動かない。地方からわざわざ買いに出かけてくる人もいるらしいが、交通費分、地元で余計に買った方が、当たる確率は確実にあがると思うがねえ。
「夢を買う」のだから夢のないことを言うんじゃない、と言われそうだが、同じ夢なら、確率の高い夢の方がいいんじゃないかい。
◇
『チャタレイ夫人の恋人』読了。→レビュー。
いやあ、知らなかった。腹筋が割れるほどに鍛えられたおなかのことを「
カニ腹」と昨今はいうんだね。
だれが言い出したか知らないが、言いえて妙。見事に形状を言い表していると同時に、カニバリズムをほのかに連想させるとこなど、ひさびさにはまってしまった。腹筋ボコボコの食人鬼。蟹は実際共食いするしね。
セミ腹という言い方もあるらしいが、やはり蝉より蟹の方が強そうだ。仮面ライダーなら「虫腹」か。ちょっとイヤ。
◇
カニというわけにはいかないが、海辺の地方に小旅行に行っていた父から魚の干物を土産にもらう。新米とぬる燗の酒がひときわうまい。
旅先で父が話した漁師さんから聞いたことでは、最近の日本近海の不漁はひどいらしい。都会も不景気だが、かといって水揚げの少ない漁港には若者が帰ってこない。後継者のいない老漁夫は、5屯の船を操って今日も独りで海へ出て行くのだろう。
不漁の原因は海流の変化ということのようだが、それだけだろうか。お隣の中国は過去十年間で漁獲高が2.8倍になった。漁法の進歩もあろうが、それよりなにより
昆布のおかげだという。
明治時代くらいまでは中国は昆布のとれない国で、日本から輸入していた。北海道産の昆布など六割が中国向けだったそうだ。それが昭和に入った頃、日本人技術者の指導で昆布の養殖がはじまった。戦後の共産中国も国策として養殖を引き継ぎ、今では千三百キロ以上の海岸線に沿って「昆布の森」ができあがっているそうな。明治時代とは逆にいまや日本は中国から昆布を輸入している。
その昆布の森が魚群を引きつけ、豊かな海の生態系をつくり上げている。実際、中国の漁獲高の上昇曲線と昆布生産の上昇曲線は一致しているそうだ。
少々うらやましいですな。だれのためのか知らない干拓工事で色落ち昆布を作っている土建屋国家の住人としては。
う〜む、グラチャンバレー、日本男子は五輪チャンプのユーゴに粉砕されてしまった。ユーゴの選手に比べて日本選手は背丈はそれほど差はないが胸が薄い。東洋人と白人の違いでしかたがないのだが、それだけだろうか。
昨夜のNHK『
プロジェクトX』はアンコールワット修復にたずさわる日本人の話。カンボジアの素人の若者を一人前の石工にしようと奮闘する日本人石工の親方が主人公だ。現在60代前半だが、その骨組みの頑丈そうな体躯は巌のようだ。カンボジアの若者がひ弱にみえること。実際に石を彫ったり動かしたりすると、膂力が段違いである。これが昔の日本人の労働者、職人の体だったのだなあ、と妙なところに感心してしまった。
戦国時代にシャム(現在のタイ)の外人部隊として活躍した
山田長政の軍隊はアジア最強と謳われていた。あのムエタイのタイ人を相手に本当だろうかと思っていたのだが、プロジェクトの親方の体格を見て納得した。あの体で、戦国の世の血腥い匂いを発散させている傭兵たち。アジアの人々からはさぞ恐ろしく見えたことだろう。その剽悍さで名高い「
倭寇」なんて日本の海賊もいた。
いまや平和ぼけと言われ、立っていることもできず座り込むひ弱な若者だらけの日本になってしまった。情けないような気もするが、アジアの乱暴者でいるよりは、いいか、な?
石工の親方のような平和的かつ質実剛健な肉体が、理想なのはたしかなのだが。
◇
三島由紀夫『美徳のよろめき』(新潮文庫)、ロアルド・ダール『キスキス』(早川書房)、ヘンリー・スレッサー『うまい犯罪、しゃれた殺人』(早川書房)購入。
昨夜は1時半位から、ベランダで
獅子座流星群ウォッチにいそしんだので、さすがに今日は眠い。
どうせ、蛍まがいのがちらちら見える程度だろうと、あまり期待はしていなかった。ところが、意外。長い尾を引く鮮やかなのが数分に1個現れてくれるので、なかなか室内にもどれなかったですね。北東から南西に向けて、まるでスクラッチボードペンでさっと引いたようなオレンジの線が現れてすぐ消える。大きいのは天を三分の一以上横切るのがあっただろうか。
首がくたびれるので、ベランダのてすりに背を向けてのけぞって首をのせるという、珍妙な格好でしばらく天を見上げていた。最初に息子がリタイア。私も30分強で眠気に負けて室内に退却したが、妻と娘はだいぶ長いことベランダで騒ぎながら見ていたようだ。
ひさしぶりに沢山の星を見た。東京下町でも天気次第では結構見られるものだね。
こんなときは
スターウォーズとか
2001年宇宙の旅とか
ファウンデーションとか、
サイボーグ009地底帝国ヨミ編のラストとか、SF的夢想にふけるといいのだろうけど、残念ながら連想したのは題名の一句。
川中島の戦いを読んだ
頼山陽の漢詩。詩吟で有名ですね。
題不識庵撃機山圖 不識庵機山(を撃(つの図に題す
鞭聲肅々夜過河 鞭声粛々(夜河(を過(る
曉見千兵擁大牙 暁(に見る千兵(の大牙(を擁(するを
遺恨十年磨一劍 遺恨(なり十年一剣(を磨き
流星光底逸長蛇 流星光底(長蛇(を逸(す
不識庵=上杉謙信。機山=武田信玄。大牙=旗竿に飾る象牙
武田方の不意をつこうと、夜陰にまぎれ音もなく千曲川を渡る上杉方の兵士たち。頭上には満天の星。謙信十年の思いを込めて信玄と直接剣をあわせるが、流星が夜の底に光る一瞬の隙に宿敵は己が手から逃げさってしまった・・・・
どうも、おやじな連想ですみません。
◇
TV東京の『アド街っく天国』は千葉の特集。番組中で「サイバーパンクSFの名作
ウイリアム・ギブスンの『
ニューロマンサー』で千葉が最先端のハイテク都市チバ・シティとして紹介されている」みたいなことを嬉しそうに言っていた。私は別に千葉にふくむところはないが、ギブスンが千葉についてちゃんと知ってて小説中に使ったかは疑問だなあ(調べたわけではないけどさ)。ギブスンは単にエスニックな地名として使っただけではないのかな。それにチバ・シテイは正確には「ハイテクと
汚濁の街」という設定なんだけどなあ。むしろ怒らなきゃ(というほどのことでも、ないが)。
ニワトリ育てて食べる授業、残酷と中止に
鶏を飼育したあと、食肉として処分、その肉で子どもがカレーを作って食べる−−。
秋田県雄物川町の雄物川北小学校で5年生のクラスが、こんな授業を進めた。
「残酷だ」と保護者から反対の声があがり、解体、調理を目前にした12日、中止になった。
「食と命の尊さを教えたかった」と担任。地元では、子どもたちも含め賛否両論がある。
朝日新聞(11月13日)
近来珍しいような立派な先生ではないか。
ただ、授業で選んだ料理が「カレー」だというのは、ちと物足りない。できればフライドチキンにして、自分たちが丹精こめて育てた鶏は、フランチャイズ店の大量肥育鶏肉フライとは、一味も二味も違うことを思い知らせてやりたいと思う。いかがだろう。
こんな素敵な授業に反対した馬鹿親は精進料理しか食べないのだろうか。「食肉業者は残酷な人たちだ」と子供に教えるのだろうか。フライドチキンや焼肉やステーキを食べるのは大好きでも、殺す行為は残酷な「汚れ仕事」で自分や子供には縁のない人々がするものだとでもいうのだろうか。
人は多くの命を糧にこの世にある・・おごるまいぞ
白土三平「カムイ外伝」
◇
たしか、私が小学校に上がるか上がらないかという頃だったと思う。存命だった祖父が、私を呼んで「今日はうまいものを食わせてやる」と言った。当時、我が家では鶏を何羽か放し飼いにしていたのだが、その一羽をつかまえた祖父は鉈を振り上げると、鶏の首を一撃で落としてしまった。
眼の前で屠殺を見た幼い私はどう感じたのだろう。残念ながらそのときに感じたかもしれない衝撃や感情は全く覚えていない。ただ、頭を失っても直ぐには死なず、首をビクビクふりながらバタバタ動いていた鶏の映像だけを鮮明に記憶している。
その晩の「ご馳走」は鶏鍋だった。いやこれがなんともうまかったのですよ。大家族が車座になって酒を呑み鍋をつつく楽しい雰囲気と、湯気をあげる鍋の中のつらなった卵の黄金色の鮮やかさは、何十年経っても忘れていない。
今の私は「虫も殺さない男」だ。(蚊とゴキブリは例外) どうやら、祖父の鶏鍋は教育上悪影響はなかったようだ。
娘が来年受験なので、都立高校の学校説明会に行く。
土曜日の午前中だったので、まだ生徒がいたが、自由な校風らしく、金髪の女子生徒(もちろん顔はもろ極東日本人)がうろうろしていた。校長先生が挨拶の中で「色んな外見の生徒がいて驚かれたと思いますが、人間は外見では判断できませんので、話すととてもしっかりしたいい子たちです」などと弁解?していたのが、妙におかしかった。そんなこと気にしないって。生徒会長の男の子がなかなかイケメン。これは娘と意見が一致した。まだ二年らしいから、来年入学したらまだいるぞ、がんばれ、とはげます。
それより、カリキュラムを見ると化学・物理・生物が選択で、高校三年間化学も物理も学ばずとも卒業できるという事実に暗然。生物を一切勉強しないで医学部に入ってくる学生がいるという話しは知っていたが、目の当たりにするとやはり愕然とする。
十年もすれば日本もアジアの三流国だね。まあ、そう悪いことでもないかもしれないが。
ここは、いわゆるCGギャラリーサイトということになるのだろうか。普通「CG」といわれて連想するのは、ジュラシックパークの恐竜に代表される三次元=3DCGだろう。当サイトは、まあ悪趣味お絵描きサイトという方があたっているな。
ハリウッドのドリームワークスなどが造りだすCG映像には驚嘆するばかりだが、ネットに氾濫する3D静止画には実はあまり興味はない。それでも、
こんなとことか
こんなとこ(コンペ)を見ると、やはり素直におどろいてしまう。建造物やメカ、SFテイストなものの質感立体感実在感は、2D描きでここまで表現するのは至難の業だと思う。
しかし、これは負け惜しみでいうのではなく純粋に見る側としての意見なのだが、大部分の3D作品の画面からは人くささというものが感じられない。タッチがどうの、ぬくもりがどうのではなく、単純に画面に人がいない。そのため折角の実在感が空虚に感じてしまうのだ。
人物を作成(3Dの場合でも「描いた」でいいのかな?)した作品でも、SF的なコスチュームをのぞけば、まだ「描いてみました」というレベルに見えてしまう。
たとえば、この
3Dのメドゥーサにくらべると、(旧い人だしトップの画力という人でもないが)
Chris Achilleosの描いた
2Dのメドゥーサの方にずっと惹かれる。
まあ、同じ静止画だとはいっても、2Dと3Dを比較するのは、タイソンとアンディ・フグの強さを議論するようなもので、意味はないかもしれない。それでも歴史と伝統によって培われた技術という点ではボクシングの方が上だと思う。3Dも、作り込みの凄さが評価のかなりの部分を占めているのは、絵を描くツールとしても技術が成熟していない証拠だろう。
例にあげたメドゥーサの場合、Chris Achilleosのデザインを3D化したら、どちらの絵をもしのぐ、より凄いものになるのかもしれない。そうではないかもしれない。
早く、ペンのように使える3Dソフトができてほしいものだ。Painterが絵画のインターフェイスなら、彫塑のインターフェイスを持ったソフトといえばいいのか。画面内の粘土を捏ねて人物を作り、息を吹きかける、ではなくてボタンをクリックすると、クリーチャが動き出す。神になったような気分を味わえることだろう。
作品の出来の悪さを嘆くときには、人類を創った「神」の気持ちを想像できるかもしれない。
◇
『ミステリーのおきて102条』読了。→レビュー。
『「原発」革命』読了。→レビュー。
江川卓『謎解き「白痴」』(新潮選書)購入。
@niftyに退会届を出した。Nifty-Serveの時代から「パソコン通信」やCGに目覚めさせてもらったところなので、感慨深いものが一応ある。しかし、最近では月に一回10分足らずつなぐだけになってしまっていた。その10分も膨大な宣伝メール(ほとんどがネズミ講系かアダルト系)の削除に費やす時間が多いのでは、月900円払っている価値はないだろう。
Niftyで出会えた貴重な友人知人とのつきあいも完全にインターネットに移っているし、支障は全くない。浮いた900円で軽くて大容量でCGI/SSIが自由に使えるレンタルサーバーをさがそうと思う。いまのところ、
BIG-NETあたりが良さそうだ。
Airnetはホームページ、特にCGIサーバーの重さにそろそろ嫌気がさしてきている。プロバイダとしては別に悪くはないが、コストの面からあまりリーズナブルではなくなってしまった。息子もネットを使い出したので、常時接続にもしたいし。
義理でマイラインに指定した
KDDIのADSLコースがなかなか安いのだが、メールアドレスが変る面倒くささになかなか決断できない。Airnetとしばらく併用していてもいいのだけど、どうしようかなあ<決断力欠乏症
◇
周りからなにを言われようと、
携帯電話(「ケータイ」という表記は軽薄できらいだ)を持たない石器人だったのだが、さすがに最近は主義を曲げようかと思いはじめた。
70過ぎの父親まで持とうと言い出したので、ちょっとあせったのが一つ。なんといっても公衆電話が目に見えて減りだしたことが大きい。秋葉原あたりだと駅までいかないと電話をかけることができない。
しかし買うにしてもプリペイド式にしようと思う。たいして使いもしないのに高い基本料金を毎月払うのは業腹だ。
なんにしても、これで私も電波なヒトか。やれやれ。
それでも、しばらくは購入する決断をしない可能性が大だな。
◇
WindowsXPは個人で使うには魅力を感じないし、
Photoshopも5.0のまま。
Painter7ももう一つ食指が動かない。
私の愛用のツールは、
WZ-Editorも
Acdseeもみんな旧バージョンだ。
新バージョンにすると、より高いマシンパワーを要求されるがいやだということもある。なにより、最新版を使わねばできないこと、が思いつかない。今あげたアプリケーションはみな機能的にはほぼ成熟している。これ以上のバージョンアップは単なる厚化粧にすぎないのではないか。
当分は手元のバージョンのツールたちを愛でながら、しこしこ遊んでいようと思う。
どうせ新しいことをやるなら、初心にもどってLinuxをゴンスケ1号に入れてみようか、などとたくらんでいる。
日劇東宝で『
陰陽師』を観た。
やはり映画はキャスティングですなあ。
もちろん
安倍晴明(役の
野村萬斎はすばらしい。声がいい、所作が見事、オーラを発している。扇子をピシッと畳む動作だけで「違うなあ」と思わせる。比べるのもなんだが(NHKのTVで晴明役をやった)稲垣メンバーではこうはいかない。
対する悪の陰陽頭、
道尊(役の
真田広之は、映画界を代表してぶっとんだ演技を実に楽しそうに見せてくれる。二人が対決する疾走感あふれるラストシーンの肉体表現は圧巻。おかげで、TVでぬるい殺陣ばかり見せられてたまっていたフラストレーションを解消することができた。
二人以外では
帝(役の
岸部一徳ははまり役。晴明の親友
源博雅(を演じた
伊藤英明は可もなく不可もなくというところか。雅楽の
東儀英樹なら雰囲気は抜群だと思うが、いかんせん演技ができないからなあ。
女性陣のキャスティングの方はどうも不満だらけだ。妖女
青音(役の
小泉今日子はいわれているほど悪くはない。しかしアップのときに肌あれがめだつのは、ちょっと興醒め。不老不死ならお肌に透明感がなくては。晴明が、陰鬼を呑み込んだ青音の首筋と背に鍼を打って呪を解くシーンは、本編では一番エロティックなシーンだ。キョンキョンも肌脱ぎになってがんばっているのだが、前に倒れるとき、もう少しで胸が見えそうになって結局見えないのは興醒め<こういう観方をしないように。
自分を棄てた帝を呪う
祐姫(役の
夏川結衣は、鬼と化す迫力にも博雅を魅惑する魅力にも乏しい。ちょい役だった
宝生舞をこちらに使った方がずっと良かったと思うけどね。
蝶の化身
蜜虫(役の
今井絵理子はまあまあ。演出も良いのだがTVの
本条まなみよりはいい。
特撮に関しては、都大路の再現は結構広さも出ていたし、なかなかいい出来。それ以外のCGや特殊撮影はハリウッドと比べてしまうと、やはり格が落ちる感じがする。魔物のデザインは
天野喜孝だが、力強さに欠けるというが、造形にこちらに訴えかけてくるものがない。一昨日「たけしの誰でもピカソ」に出ていた
かわせみ座の鬼の人形の造形の方がずっといい。道尊の使う魔鴉のアニマトロニクスもいかにも人形で、ぎこちない。
とまあ、つっこみどころ、不満な点はあるにせよ、いずれも些細な点。主役二人の圧倒的な演技と、映画らしい奥行きのある美しい画面は見るに十二分に価する。
◇
『天狗風』読了。→レビュー。
『愛の渇き』読了。→レビュー。
諸星大二郎『碁娘伝』(希望コミックス)購入。
古今亭志ん朝の追悼番組としてNHKで放映された『
愛宕山』のビデオを妻が知人から借りてきたので、二人で見る。
やはりうまいもんだねえ。ほれぼれするわ。
変に現代的にしたりして客に媚びてないしね。いさぎいいや。
どっちかというと、兄の十代目
金原亭馬生(女優
池波志乃の父、ねじりんぼ俳優
中尾彬の義父)が好きだったのだが、彼も早逝してしまった。うまいのはもちろんだが、弟の志ん朝より滑稽味に秀でていて、端正な中にとぼけた味があった。→
馬生の芸の力について 志ん朝の方は六十過ぎても
艶(がありましたな。
立川談志が追悼の言葉で「華麗な芸だった」というとおり。
志ん朝師匠も昔はバラエティ番組に良く出ていて、今の
明石家さんまのような人気だった。しかし、あるときぴたりとその類の仕事はやめて古典落語一筋。見事なわりきりだった。できれば
志ん生の六代目を継いでもらって、襲名披露で『
品川心中』あたりを聞きたかったですな。立川談志の口上だったりすれば言うことはない。もうかなわないことだが。
子供のときから寄席好きの祖母に上野鈴本に連れて行ってもらったし、六代目
三遊亭圓生や(もちろん先代の)
桂文楽も見ている。かろうじて彼ら師匠連の高座の記憶もある。最近は寄席もごぶさたしているが、談志師匠の言う「志ん朝と同時代を生きたしあわせ」を噛み締めつつ、CDでも集めることにするか。
本当は所作も見たいのでDVDがもっと出て欲しいのだがね。<DVDプレイヤーを買ってから言いましょう
◇
ビデオはすぐ返さなければいけないというので、GV-MPEG2/PCI経由でMPEG2形式でキャプチャ。一席三十分+談志師匠のインタビュー二分がCD-Rに焼くとぴたり一枚に収まった。TV-OUTしてみると十分観賞に耐える。便利になったものだ。たしかビデオテープをひっくり返せば志ん朝の『
化け物使い』ともう一つくらい録画したのがあったはずだ。そいつらもテープが劣化しないうちにCDに焼いておくことにしよう。
◇
『大修院長ジュスティーヌ』読了。→レビュー。
『忍法創世記』読了。→レビュー。
今日は引用ばかりになりそうだが、書きとめておきたいことなのでご寛恕を願う。
首都圏の10代女性に狂牛病の疑い 今週の週刊文春でも詳しいが、上の記事を引用すると
クロイツフェルト・ヤコブ病には(1)遺伝性(2)脳硬膜移植などによる原因(3)原因不明の散発(4)新変異型の4種類がある。この女性の場合(1)、(2)の可能性はなく、(3)に特徴的な脳波がみられないことから総合病院は新変異型の可能性があるとしている。一方、厚生労働省では「専門家が診察して、新変異型ではないという報告を受けている」と話している。
「官」のいうことは
まったく信用できませんなあ。
以下はこの件に関する
2ちゃんねるのスレッドから、ソースも示されていて、気になる発言を抜粋。
48 :欧州基準ではクロ! :01/10/18 03:33 ID:4gZqC6HP
陽性、擬陽性だと欧州基準では陰性のカテゴリーには分類されません。
ここのリンクのPDFファイルを読んでください。
http://europa.eu.int/comm/food/fs/bse/testing/bse_results_en.html
しかし、日本では生後30ヶ月未満の牛はすべて正常な牛として決め付け 擬陽性でも追試の密室検査で陰性にすり替え握りつぶされた可能性があり 正常な牛と認定されその内臓肉が市場に流通してしまいました。
それは厚生労働省が検査結果を数日隠蔽してしまったから内臓肉が市場に流通してしまい後で陰性にせざるをえなかった?のです。
この前の「シロだった。ホッとしました」という政府発表をあたまから信用してはいけない。という趣旨ですね。
まあ、これは疑いすぎと思えなくもないが、次の発言はちょとこわい。
49 :欧州基準ではクロ! :01/10/18 03:34 ID:4gZqC6HP
309 :マジかよ、後世省 :01/10/14 22:17 ID:LtQQO3EQ
発表は嘘ですね
投稿日 10月14日(日)18時10分 投稿者 削除
バイオラド社のホームページに行って検査法について調べてみましたが、どうやら偽陽性というのは存在しないようで、熟練した人がやれば陽性はやはり陽性のようです。
誤差の入るのはプロテイネースK(タンパク質分解酵素)で、正常型PrP蛋白を十分分解できなかったケースですが、報道の通り何回もテストをしたのならば、非常に活性の強い酵素ですので、このような初歩的なミスはまず起こらないでしょう。
とのこと。
さて問題の二回目のテスト(イムノブロット法)です。
このテストは「精度」は高いかも知れませんが、検出の閾値(スレッショールド)が高い手法、すなわち「感度」が低いのです。
言い換えれば、もし調べた牛のプリオンレベルが「狂牛病を発症するレベル」に達してしていたなら確実に検出できるが、それ以下のレベル(感染しているが潜伏期間の牛)だと判定できないと言う方法です。
実際、この方法では狂牛病牛のサンプルを10倍希釈すると、それだけで25%のケースはシロ判定になってしまいます。
一回目の方法では、100倍に希釈しても全ての検体がクロに判定されます。
大変な感度の違いがあることがおわかりになると思います。
したがってイムノブロット法では、第一回目の陽性判定を覆すことは理論的に出来ません。
=======
厚生省と品川博士のこの誤魔化しはさらに関係業界の首を締める事になるのがまだわからないのでしょうか?
う〜む、今日からの全頭検査で、来月くらいからは心配しないで肉類を食べられるようになるかなと思っていたのだけど、安心するのは早いということか。
他人事ではなく、弟の店では「肉はオージービーフです」と張り紙だしてるし、米沢牛が売り物の親戚の焼肉店はほんとに大打撃のようだ。
消費者の不安感は、日本の政府・官僚の政策や発言への不信感とイコールだということがまだわからないのだろうか。「おれたちエリートの使命は国民の生命と健康と財産を守ることだ」という気概を見せてくれれば、われら単純な日本国民はすぐ信じると思うけどね。
ただし、守る対象は「国民」であって、わけわからん「国体」などではないので、間違えないように。
◇
古川和男 『「原発」革命 』(文春新書)、京極夏彦『鉄鼠の檻』(講談社文庫)購入。
しかし『鉄鼠の檻』千三百頁超、ツカありすぎ。意地でも分冊しないつもりなのだろうか。
九日の第一作に引き続き、『続・男はつらいよ』を見た。熱狂的ファンというのでは全然ないのだが、今回このシリーズに感じたことをもう少しだけ。
誰かが「こんな親戚が実際にいたらヤだろと言われるけど、年一回ぐらいなら寅さんみたいな叔父さんにふりまわされるのもいいかなと思う」と書いていたが、まさにその通り。寅さんのいいところは「いつも旅に出ている」ことだ。柴又に帰ってくるのはよくて年一回、一、二週間のことに過ぎない。お国入りの間、親戚や近所の衆は寅さんの破天荒かつ無邪気な行動に振り回され、心配したり怒ったり全く気が休まらない。しかしそんな「特別な日々」も、お約束の寅次郎の特技「失恋」とともに終わってしまう。傷心の寅の旅立ちとともに、柴又にはまた平穏な日常がもどってくる。
寅さんが降臨している期間の柴又は、「祝祭空間」なのだね。「ハレ」と「ケ」で言えば「ハレ」だ。だから柴又の連中、特にタコ社長などは寅さんが帰ってくると、迷惑そうな素振りをしながらも妙にそわそわわくわくしているのではないか。きっと寅さん騒動に巻き込まれているときだけはつらい中小企業の経営も忘れているに違いない。
では車寅次郎にとっては、旅の空の自分と、柴又にいるときの自分とどちらが心休まるのだろう。ほんとうは柴又にこそいたいのに、旅先での自分の方が居心地はいいのだろうな。外ではバリバリ仕事はしているのに、家に帰ると粗大ゴミあつかいのおとーさんと似ていると言われたら、自由人寅次郎には心外だろうが。
少なくとも世の大部分のおとーさんには帰ってきただけで家を祝祭空間にすることなど、とうていできません。
◇
『したたるものにつけられて』読了。→レビュー。
アフガン空爆を余所目に、TV東京が全作買い付けたという『
男はつらいよ』シリーズの第一作の放映を見た。
やはり最初の一作は面白い。
いや、次の寅次郎の実母さがしの話も、たしか面白かった記憶がある(次回放映で確認しよう)。思い出せば十作目も二十作目もそれなりに面白い。
しかし、
山田洋次も
渥美清も三十年四十八作も同じシリーズを作り続けて面白かったのだろうか。同工異曲のストーリーを延々造り演じていたら、普通飽きるだろう嫌になるだろう、というのが長年疑問だった。
『
フーテンの寅』以外にこれといったヒットシリーズを持てなかった松竹のお家の事情もあっただろう。
ああ、『
宇宙大怪獣ギララ』が当たっていれば!<当たりません
ショーン・コネリーは
007から必死に逃れたし、
チャールトン・へストンは「ラストで死ぬこと」を条件に『
続・猿の惑星』に出演した。
山田洋次も渥美清も義理堅い映画人だったのだろう。それでも渥美清ほどの名優・名喜劇人が後半生ほとんど
車寅次郎しか演じなかったなんて、もったいなさすぎる。『
砂の器』や『
幸福の黄色いハンカチ』のチョイ役や『
八つ墓村』の
金田一耕助ぐらいしか出ていないのではないか。
しかし、今回何回目かの『男はつらいよ』を見て、少しだけわかったような気がする。
山田洋次も渥美清も「職人」なんだなということだ。毎回客の予想を裏切る新鮮さで勝負するのも職人なら、毎度おなじみの味を、期待を裏切らないレベルで間違いなく提供するのも職人だ。きっと彼らは後者の意味の職人であることを(寅さんシリーズでは)選択したのだろう。
でも、それでも、後半は寄る年波には勝てなかったように感じる。
第一作の、初々しさを感じるほどの肉体的迫力に満ちた
寅さんや、ゆであがったばかりのような丸々とした
タコ社長を見ると、つくづくそう思う。
さくら=
倍賞千恵子の輝くばかりの美しさを見ればなおさらだ。
少なくとも
おいちゃん役の
森川信の亡くなった時にシリーズも終るべきだったのではないか、などと余計なお世話だろうが思うのである。
◇
『族長の秋』読了。→レビュー。
宮部みゆき『天狗風』(講談社文庫)、宮部みゆき『人質カノン』(新潮社)、『芸術新潮〜特集カラバッジョ』購入
やはり現在、日本人最高のアスリートは
高橋尚子と
イチローでありますなあ。
もちろん日曜日はTVに釘付けでベルリンマラソンを見ていたのだけど、ゴール直後のインタビューでもうQちゃんの呼吸が平静だったのには驚いた。ハラハラドキドキしながら見ていた私の方が脈拍速かったのではないだろうか。
大相撲の勝利者インタビューなどで、30秒くらいしか闘っていない力士が、3分以上経っているはずなのに「ハァ〜ッハァッハァッゼェッゼェッ、うは、はい、ゼェッゼェッ、思いっ、きり、ハァッハァッ、いっただけ、フウッフゥッ、っす、ハァッハァッ」なんて言ってるのとは大違いだ。しかもそのときの力士さんはたいてい、高橋尚子が泳げるくらいの大汗をだーらだら流している。(私は大相撲のファンでもあります。誤解なきよう)
かたやニッポンプロやきゅーでは年間ホームラン新記録がかかった
ローズをあいも変らず敬遠攻めなんてしている。ファンがそっぽを向き始めているのに、両者リングアウトだ、レフェリー失神中の幻のフォールだってやってたプロレスを思い出しますなあ。現場に入ってしまうと自分たちの職場を客観的に見て危機感を持つなんて難しいのだろうな。ひとつプロスポーツだけとは限らないが。
◇
土曜日は
PRIDE16の録画中継。「限りなき実戦に近い」ファイトスタイルというのは、洗練とは逆で泥くさく、ボクシングなどに比べてあまり好きではない。しかし今回は比較的面白かった。特にメインの
アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラ対
マーク・コールマンは、きっちり関節技が決まったこともあってカタルシスは抜群。(往年のリングスファンとしては、あれだけ強いノゲイラが40歳過ぎた
ヴォルク・ハンと対戦したときは1本をとることができなかったことを付記しておこう)
この二人、ファイトスタイル同様風貌がえらく泥くさい。ノゲイラはミノタウロ(牛頭人身の神話上の怪物)という異名を持つらしいが、いかにも牛飼いの牧童が似合う面構えだ。コールマンもオハイオ州のお百姓という風情。
ヴィクトリア朝のポルノによく出てくるセックスの強い朴訥な農夫が、主人公の色っぽい未亡人を巡って対決しているところみたいだ、なんて想像しながら見ていたが、まあ、こんなことを考えながらPRIDEを見ているのは、格闘技ファン多しといえど、私くらいなものだろう。<自慢してどうする
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