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03/03/23(日) 北野恒富/いわむらかずお/篠原七生
03/03/22(土) 不透明未来
03/03/19(水) 鳥獣戯画と手塚治虫
03/03/18(火) 日本と日本語の将来をうれえる
03/03/12(水) 不老不死の夢
03/03/10(月) 『江戸東京《もの》がたり』
03/03/05(水) つっこみニュース
03/03/02(日) 伊藤彦造展/第7回キルト日本展
03/03/01(土) 吸いすぎに注意
03/02/28(金) 花粉症の女(ひと)
03/02/27(木) 『情婦/検察側の証人』
03/02/22(土) こんな「悲しいとき」は●▲だ
03/02/12(水) Photoshop と Painter
03/02/09(日) 『ハリー・ポッターと秘密の部屋』
03/02/08(土) ゴッホ発見
03/02/03(月) 天駆ける

2003/03/23(日)北野恒富/いわむらかずお/篠原七生

東京ステーションギャラリー『北野恒富展』。

「画壇の悪魔派」と呼ばれた明治末から昭和にかけて活躍した日本画家。悪魔的かどうかは知らないが、日本画らしくない強烈な色彩が目をうつ。特に赤。紅・朱・緋と多彩な赤がエロティックで魅力的だ。見終ったあとでも残像が残っているようだ。青も日本画らしい藍だけでなく、ロイヤルブルーのような鮮やかな青や、着物の帯にジーンズのようなブルーを使っていた。解説には「毒々しいほど」とあったが、むしろ、とてもモダンで洒脱で華やかである。空いていてゆったりと見られ、得をした気分の展覧会。

銀座松屋ギャラリー『いわむらかずお・絵本の世界展』。

こちらは混んでいたなあ。こどもの絵本でよく知っていた作家の原画展。色んなタッチの作品が展示されていたが、やはり一番有名な「14匹のねずみ」シリーズの精緻なペンと水彩の絵が一番個性的で見ごたえがある。

銀座松屋遊びのギャラリー『篠原七生・少女人形の世界』。

たまたま目についたので、のぞいたのだが、その生々しさはなかなかすごい。男の目で見てもとてもエロティックです。こちら(\500,000)やこちら(\380,000)の人形などは(写真はあまりよく撮れてないけど)独身なら(やや不純な動機で)買ってしまったかも。

2003/03/22(土)不透明未来

昨日、急にネットに繋げなくなった。DIONのサポートに連絡を取り、指示通り色々試すとモデムに異状はない。どうやらADSL回線が不安定になっているくさい。NTT経由でテストしてくれるらしいが一週間ほど時間をくれという。当分のネットなし生活を覚悟したが、本日、休日にもかかわらず連絡があり、無事復旧した。依存症とまではいかないが、調べものがすぐにできなかったり一日でも結構不便。なにはともあれ迅速な対応に感謝である。

来週あたりには戦争は終結するのだろうか。日本の銀行などは早期終結→株価上昇という展開が期末になんとか間に合ってくれることを願っていることだろう。しかし、株価がどうであろうとこうなったら早く終わってほしいとしか言いようがない。流れる血が少しでも少ないように。

戦争は絶対いけないなどと簡単に言えない世の中であるのはわかっているが、少なくとも戦争は最後の手段であってほしいものだ。イラクのクェート侵攻がトリガーになった湾岸戦争の時と違い、今回はどうアメリカが主張しても緊急性があるとは思えない。

戦後、世界はまた平穏をとりもどすのだろうか。それともこれを契機に大きな変化が起きるだろうか。たとえば仏独やEU諸国を中心としたゆるやかな反米同盟的なものができるのではないだろうか。イスラム諸国とも同盟とまではいかなくとも友好的関係を結び、もちろん大国ロシアも加わり、唯一の超大国アメリカへ対抗する勢力となる。対するアメリカ側はイギリス、イスラエル、日本、韓国といったところか。もちろん軍事的な敵対関係ではなく、経済的外交的競争関係としてだが。

キーカントリーは、アジアの強国、中国か?狂国北朝鮮はイラク後、どう動くのだろう。

てなことを妄想してるだけで、果たしてどうなることやら、皆目見当もつきません。

藤井康栄『松本清張の残像』(文春新書)読了。→レビュー

2003/03/19(水)鳥獣戯画と手塚治虫

このところNHK教育TVで昔の『日曜美術館』を再放送している。今日は手塚治虫の語る『鳥獣戯画』。

鳥獣戯画の描線の見事さは何度見せられてもため息ものだ。手塚治虫の元祖漫画を我田引水気味に語る嬉しそうな口調も微笑ましい。解説はありきたりと言えばありきたりだが、線の自由さを説明するのに自分でさらさらと筆ペンでウサギを描いたのには参った。やはりうまいや。

以前TV東京の「TVチャンピオン/漫画通選手権」でプロ漫画家の自宅をまわってクイズをする企画があった。正解者は当然作家がその場で描いた色紙プレセントがもらえる。ほとんどの若手はぎこちなくカリカリ描いて死んだ線の色紙を恥ずかしそうに渡していたが、一人矢口高雄だけはさらさらと筆で描いて達筆のサインを入れていた。かっこよかった。プロの漫画家たるもの、席画ぐらいできなければね。

チャールズ・ペレグリーノ『ダスト』(ヴィレッジブックス/上下)読了。→レビュー

2003/03/18(火)日本と日本語の将来をうれえる

昨夜、見るともなくつけていたTVで国会議員連中がイラク問題についてワイワイ議論?をしていた。北野武がいたからTVタックルだろう。

ハマコーとやりあっていたグッチ裕三に似た若手議員が「○×をゆうえる」と発言した。ゆうえる?UL?「言える」の方言か?と悩んでしまったが、前後の文脈(もう忘れてしまったが)を考えるに、どうやら「憂える」といいたかったらしい。

こちらも浅学非才の身だ。細かなことにめくじら立てるつもりはないが、これはいくらなんでもまずいだろう。日本の将来を憂えての発言だろうが、日本の選良がこれでは、おじさんは日本語の将来を憂えてしまったよ。

私も小学校低学年の頃、本で「沢山」という言葉に出会った。文脈から「たくさん」という意味であることはわかったのだが、なぜか「さわやま」という読みだと思い込んでしまった恥ずかしい過去がある。「たくさんある」は「さわやまある」とも言えるんだ、なんかかっこいいと思って使ったら、即、母親に大笑いされて直された。

くだんの議員氏は指摘してくれる人が周りにいなかったのだろうか

2003/03/12(水)不老不死の夢

細胞若返り遺伝子

 94歳の女性の骨髄細胞に、細胞の寿命を延ばす遺伝子を組み込み、心筋細胞に変化させることに国立成育医療センター(東京都)と慶応大医学部などのグループが成功した。
 研究グループは、女性や家族の同意を得て骨髄細胞を採取。これに、細胞の寿命を決める“回数券”といわれる「テロメア」という部分の長さを保つ働きのある遺伝子を組み込んだ。通常、骨髄細胞は20回程度で分裂を止めるが、遺伝子を入れた細胞は50回以上分裂し、寿命が延びていることが確認できた。

今回は骨髄中の幹細胞を取り出して処理したので、直接94歳女性が若返って『永遠に美しく』ある、とはいかないようだ。ちと残念。

しかし「テロメア」はクローン人間を造ることの否定的根拠としてよく挙げられる言葉だ。クローンで使う体細胞から取った染色体では(生殖細胞による普通の生殖と違って)「テロメア=細胞分裂カウンター」がリセットされないために、クローン生物は早死にするだろう、という説だ。しかしこの記事のようにテロメアも操作できるのなら、完璧なクローン人間も夢ではない。たとえば何倍も寿命があるクローンを造って脳だけ移植なんてことも可能になるのではないだろうか。・・・見かけは若いボケ老人ができるだけだろうけどね。

不老不死の夢はホラーの世界なら「吸血鬼」の独壇場だが、SFだと意外にこのテーマは少ないようだ。『不老不死の血』(ジェームス・ガン)ぐらいか。「いかに不老不死になるか」というより「不老不死の人間がいたらどんな生き方をするだろう」というアプローチが多い。『メトセラの子ら』(ハインライン)の"長命族"ラザルス・ロングや、『イシャーの武器店』(ヴォークト)の"不死人"ロバート・ヘドロックなんてとこが代表だ。ホラーの代表、快楽の血を求めるドラキュラ伯爵と違い、SFの不死人たちは、永遠をさすらう孤独に耐え、責任感が強く、選ばれた人である使命を自覚し、限りある生しかない人々を慈しむ。昔のSFは基本的にモラリストの文学でありましたな。

藤井康栄『松本清張の残像』(文春新書)、ジョー・R・ランズディール『モンスターズ・ドライブイン』、E・E・スミス『レンズの子供たち』(小隅黎訳/創元SF文庫)購入。

『レンズの子供たち』の邦題は旧訳ではたしか『レンズの子ら』だった。『メトセラの子ら』もそうだけど、「〜ら」という表現はそろそろ死語の世界入りなのかな。

2003/03/10(月)『江戸東京《もの》がたり』

江戸東京博物館『特別収蔵展〜江戸東京《もの》がたり』。

若いカップルが多いのが意外だったが、展示内容はたいしたことはない。旧い電化製品を見せられても、あんなのあったなあと思うだけだし、鎧や刀などは国立博物館の常設展示の方がずっと面白い。

一番面白かったのは、エントランスホールの床に貼ってある巨大な江戸の地図。妻と『剣客商売』の舞台をたどってしまった。やはり江戸の街は水路を行くのが便利にできていると、時代考証に納得してしまう。

J・G・バラート『スーパー・カンヌ』(小山太一訳/新潮社)、鉄拳『こんな○○は××だ!2』(扶桑社)購入。

2003/03/05(水)つっこみニュース

日本の識者、米重視でも好感度はドイツ

 ドイツ西部のノルトライン・ウェストファーレン州経済振興公社は4日までに、日本の識者は米国を最重要視しながらも、ドイツに最も好感を抱いているとのアンケート結果を発表した。 同公社当局者は「日本、ドイツ両国の潜在力は大きく、関係強化が必要」と述べている。

ベルリン映画祭は昔から日本映画に好意的だしね。パートナーはどうか知らないが、食べ物の美味そうなとこは一に中国、二にイタリアだなあ。やはり日本はドイツとイタリアと枢軸同盟する運命なのだな<映画と食い物で決めていいのか?

*

フラスコがレンズに?小学校理科室で火事

 宇都宮南署などの調べでは、理科室の南側窓際の台に置いてあったフラスコなどの実験機材と、その内側に掛かっていたカーテンが燃えた。フラスコには水が入っており、日光を受けてレンズの作用をした可能性があるという

ミステリーファンは当然乱歩の有名な短編や元ネタの『ズームドルフ事件』などを思い出したことだろう。数年前にも同じような事件があったし、結構起きることなんだね。

*

睡眠時無呼吸症の検査、運転士・機長も

 居眠り運転した山陽新幹線の運転士が睡眠時無呼吸症候群(SAS)だった疑いが出たことを受け、扇千景国土交通相は4日の閣議後会見で、列車の運転士や旅客機のパイロットらの健康チェック基準に改善すべき点があるかどうかを検討する方針を明らかにした。

運転士が病気だったことより、眠っていても、ちゃんと駅に停まって事故が起きなかったことの方がすごいと思うけどね。プログラミングを完璧にしたら運転士はいらないのではない?

新幹線以外にも、本当は人間はいらない職種ってどのくらいあるのだろう。思ったより多くて驚くぐらいあるのではなかろうか。霞ヶ関の偉い人たちは、日本人の労働力の何%は機械化できるから少子化はここまでがデッドライン、とか計算してそうだな。民間は競争にさらされてるからできるとこは機械化してしまっている。本当はお役人たちが一番コンピュータに代替可能だったりして。

*

対イラク武力容認決議案 採決は来週後半か

石油利権のブッシュに味方をするのは業腹だけど、北朝鮮が攻めてきたらどこが味方してくれるんだと考えたら、結局日本政府としては(日本国民としても)「アメリカ支持」しか切れるカードはないよなあ。冷戦の頃は、戦争の可能性はアメリカ対ソ連の戦いに「巻き込まれる」ことぐらいだったから、単純に反戦=反米で割り切れた。しかし、今現在、金正日が日本にテポドンだかノドンだかの照準を向けているのはどう考えても、米軍基地があるからではない。「そこが日本だから」だよね。

2003/03/02(日)伊藤彦造展/第7回キルト日本展

弥生美術館『伊藤彦造展』。

ドレがチャンバラを描いたような(銅版画ではないが)細密なペン画の挿絵画家だ。中では渡辺綱と鬼の戦いを描いた1枚が構図といい筋肉描写といい圧巻。現代のあかぬけた挿絵にはない素朴な面白さがある。こんな挿絵で読んだら時代小説も楽しかろう。

ただ、緻密な描写はすごいがところどころデッサンの狂いが気になる絵も多い。迫力優先の画風なのだろう。ご本人も「日本刀を(現実味を持って)描けるのは私だけだ。一刀流の気魄で描いているだから」と威張っている。実際、伊藤一刀斎の末裔で一刀流の達人である父親に幼少のときから鍛えられた本物の剣士らしい。

しかし、伊藤一刀斎は天涯孤独、享年も没した地さえも不明の謎の剣客だ。子孫がいたというのはどうもおかしい。こういうことではないだろうか。

一刀斎の弟子で、将軍家指南役にもなった小野次郎右衛門には二人の息子がいた。次男に二代目次郎右衛門を名乗らせ、長男には師を偲んで伊藤姓を名乗らせたという。おそらく彦造画伯はこの伊藤派一刀流の末裔ではないかと思うが、どうか。

東京都美術展『『第7回キルト日本展』。

こちらは妻のリクエスト。とりあえず小さな布を縫い合わせていくという根気に圧倒されてしまうが、配色・デザインは絵としてみてもなかなか面白い。

2003/03/01(土)吸いすぎに注意

耳鼻科と言えば、私の義母は長年看護婦をしていた人で、耳鼻咽喉科勤めが長かった。看護婦ならではの面白い話をたくさんしてくれたのだが、中には痛そうな話も少なくない。

ある日、中年のちょっと色っぽい女性が鼓膜が破れたようだと言って来院したそうな。先生が診察すると本当に破れていて、どうやら掃除機で吸い込んだような破れ方だったらしい。先生が「いったい何をしたんですか」と聞いても頬を赤く染めるだけで答えない。

さんざんもじもじした末に白状したことによると、彼女はお妾さん(愛人ね)で、鼓膜を破ったのは旦那と愛情交換の真っ最中だったということだ。興奮した?旦那は激しくKISSしまくっていたが、勢い余って彼女の耳を強く吸ってしまったらしい。で、バリッと。

「鼓膜が破れるほど激しく愛しあう」なんていう文章は官能小説でも読んだことはない。事実は小説より奇なり。どちらさまも健康のため吸いすぎには注意しましょう。

2003/02/28(金)花粉症の女(ひと)

しばらくおさまっていた鼻炎アレルギーが、ここ一週間ばかりまたムズムズしてきた。ひどくならないうちにと思い、出勤前にいつもの耳鼻科に寄る。いつも混んでいるので、風邪がはやっているときなどは敬遠しているのだが、ここで出してくれる薬は良く効くのだ。

今日も女院長先生がバリバリと患者をこなしている。すばやい診断であまり時間がかからないのは良いのだが、鼻に薬を入れる動作もすばやく、いささか暴投気味だ。思わず荒れ球をさばく名キャッチャーの心境になり、鼻をミットにして受け止める。

混んでくると順番待ちの患者のうち次の番の人は診察室内に入って待つことになる。当然、他の患者さんが治療診断してるのも見えてしまう、聞こえてしまう。まあ、耳鼻科なのでたいした支障はないのだが、今日の私の前の患者さんは若い女性だった。

彼女もやはり花粉症、それもかなり重症のようだ。鼻血が止まらなくなってしまったと、かなり憔悴している。水泳のインストラクターなので出血していては仕事もできないというのがかわいそうだ。先生も速く治してやろうと思ったらしく、止血剤の注射を看護婦さんに指示した。

注射の間、私の番になり問診をしてくれたが、ものの数分で薬決定。あとはネフライザー(二股に分かれたガラス管で鼻に霧状の薬を吹きつける装置)をやっていきなさいということなので、処置室の片隅でおとなしく鼻に管を押し当ててボーっとしていた。

ところが、さきほど注射をした女性が突然処置室のベッドに運ばれてきた。「気分が悪くなった」と言ったらしいが顔色が悪い。先生が手を握って「だいじょうぶよ。こわくないからね」などと一所懸命落ち着かせている。看護婦さんがばたばたと血圧計で血圧を測りだした。

結果は特になんともなかったようだ。どうやらあまり注射をしたことがない患者さんで、貧血を起こしただけらしい。やれやれ、ほっとした。

鼻にネフライザーを突っ込んだまま茫然と見ていた私に、先生が「あなた、ネフライザー終わってるわね。薬もらって帰っていいですよ」と何事もなかったように告げた。

松沢哲郎『チンパンジーの心』(岩波現代文庫)読了。→レビュー

2003/02/27(木)『情婦/検察側の証人』

2月23日(日曜日)、NHK教育TVの世界名画劇場『情婦』。

原作はアガサ・クリスティの短編『検察側の証人』。原題は"Witness for the Prosecution"だから、原作通りだ。「情婦」とは、なんとも曲のない邦題である。良く解釈すれば、クリスティの原作と気付かせずにラストのどんでん返しを効果的にするため、とも考えられるが、違うな。題名だけ変えても原作を読んでる人にはすぐわかるし、読んでない人には関係ない。単に、マレーネ・ディートリッヒが出てることだし、扇情的なシーンがありそうな題名にして、助平な客の興味を惹こうとしたに違いない。

映画のラストは原作とは変えてあるので、原作を読んでる観客にも意外性がある。助平な客の方は、満足するかどうかはわからないが、ディートリッヒがスラックスを裂かれて「百万ドルの」脚線美が剥き出しになるシーンがちゃんとある。それより夫(美男タイロン・パワー)が殺人罪で裁かれようとしている裁判に証人として出廷する際の妖艶なスーツ姿がすばらしい。このとき御年57歳だというのだから驚きだ。全然美人じゃないし、声もがらがらした低音で美声でもないが、「大女優」のオーラをこれでもかと放射している。

この美男美女のカップルから弁護を依頼されるのが、でっぷり太った頑固な古強者弁護士チャールズ・ロートン。心臓病を患って退院したばかりなのだが、禁じられた酒や葉巻を盗み呑もうとして世話係りの看護婦エルザ・ランチェスターと丁々発止のバトルを繰り広げる。この二人の掛け合いの演技が抜群に面白い。法廷の駆け引きより面白いくらいだ。

名匠ビリー・ワイルダー監督みずからの脚本の妙。科白、伏線、カメラワーク、細部に渡って隙がない。まさにウェルメイドという形容詞が似合う映画でございました。

挿絵画家・中一弥』読了。→レビュー

チャールズ・ペレグリーノ『ダスト』(ヴィレッジブックス/上下)購入。

2003/02/22(土)こんな「悲しいとき」は●▲だ

いつもここから『悲しいとき』(扶桑社)、鉄拳『こんな○○は××だ』(扶桑社)読了。

いや、読了というか笑了というか。

お笑いは大好きで古典落語のファンではあるが、守旧派というわけではない。漫才は今の人の方が断然面白い。しかし、いわゆるバラエティ番組のぬる〜い「笑い」や、がーがー汚い声で吠えまくるしゃべくり漫才はきらいだ。聴くのも見るのも苦痛である。

どんなのが好きなのかというと、前にも書いたが、不条理な前衛コントのラーメンズ、オタクキャラの人物造型が秀逸なドランクドラゴン、練りに練った脚本で勝負のアンジャッシュ、いかにも不良の立ち話風の芸風だけど抜群のリズム感スピード感が小気味いいアンタッチャブル、ブラックでビターな独り語り長井秀和、なんてとこがマイフェイバリットユニットだ。

当然、いつもここから鉄拳もお気に入りだ。二組とも「絵」を使ったネタだというとこが共通の芸風。(いつもここからは絵を使わないネタもある)。いつもここからは旧めの劇画系、鉄拳はへたうま系の画風だ。なかなかうまい。ネタも絵の雰囲気通り、両者まったく違う芸風である。

いまのところ世間的評価はいつもここからの方が高いようだが、今回の本に関しては鉄拳の方が笑えた。家族で回し読みしていたが、全員くっくっ肩を震わせながら読んでいてなかなか無気味な団欒風景でありました。これは、『悲しいとき』に収録されているネタのほとんどは見たことがあり、鉄拳は「お笑いオンエアバトル」でもあまりオンエアされないので、初見のネタが多かった、というのが原因だろう。鉄拳的にはあまり嬉しくないか。

悲しいとき』には最後に、いつもここからの絵担当の菊地さんが描いた『HIMAO〜ひまお』という31頁の漫画が載っている。これがひさうちみちお風ダーク系で、なかなかいい。ラストは・・・『暗黒神話』だし。

ボーン・コレクター』読了。→レビュー
 『天才と分裂病の進化論』読了。→レビュー
 『銃・病原菌・鉄(上・下)』読了。→レビュー

中一弥『挿絵画家・中一弥』(集英社新書)、篠田節子『家鳴り』(新潮文庫)購入。

2003/02/12(水)Photoshop と Painter

絵を描くときは、スケッチから Painter (まぎらわしいので以下「ペインター」と表記)で描きあげ、ほぼ出来上がったところで PSD 形式で保存して、仕上げを Photoshopで、というのがここのところのパターンだ。

ペインターが6になり、 レイヤー が使えるようになったことで、 PSD を介する方式に変えることができるようになった。以前のバージョンでも PSD 形式は扱えたのだが、 レイヤー が フローター になってしまい、扱い勝手が悪かったのだ。そのため、 Photoshop メインで処理をして、ペインターで描きたい部分だけ BMP 形式で受け渡し、描画後に Photoshop に張り付ける、などという面倒な手順で処理していた。

今描いている絵はさらに、もう少し違う方法で描いている。といってもたいしたことではない。前半ペインター、後半 Photoshop できっちり受け渡す「駅伝方式」ではなく、途中で適宜両方のソフトで交互に処理をしながら進めていく「テニスダブルス方式」にしたということだ。

ただ、両方の共通形式である PSD 形式だけだとペインターの処理が重いような気がするので、ペインターで開いたらすぐに RIFF 形式で保存することにしている。 PSD ファイルは「Temp.psd」という汎用ファイルを作っておいて、いつでもペインターから上書き保存して使えるようにしている。
 以下のような手順だ。

  1. ペインターで新規作成。「鉛筆ツール」でスケッチ→その他のツールで描き込む。
  2. 通常は RIFF 形式で保存。(例.FirstKiss.rif)
  3. Photoshop で処理したくなったら、 PSD 形式で「Temp.psd」に上書き保存。
  4. Photoshop での処理が終わったら、「Temp.psd」に上書き保存。
  5. 「Temp.psd」をペインターで開いて描き込みを継続。
  6. 2〜5の手順を繰り返す。
  7. ペインターでの描き込みが終了したら、 PSD 形式でも保存する。
  8. 7のファイルを Photoshop で開いて仕上げの処理をする。
  9. この段階では「Temp.psd」ではなく、ユニークなファイル名(例.FirstKiss.psd)で保存。

どちらか一つのソフトで描けたらベストなのだろうが、一長一短あるので、このような描き方になってしまう。

よく言われているのは、ブラシの書き味の違い。ペインターの水彩ブラシの人気が高いようだが、私の場合は「鉛筆ツール」と「水滴ツール」だ。この二つのツールの書き味は Photoshop のブラシツールやエアブラシツールではどうしても再現することができない。

しかし、 Photoshop のブラシはすべてだめというわけではない。「指先ツール」は、ぼかしツールとしてはペインターの「水滴」にはかなわないが、引きずり系のブラシとして使うと、なかなか使いやすい。ペインターのブラシのカスタマイズ能力は強力なので、「指先ツール」ぐらいは再現できるかもしれないが、 Photoshop のブラシやエアブラシには、ブラシ自体に乗算や差の絶対値等の地色との合成モードを持てる。これはペインターにはない、いかにもレタッチツールらしい機能だ。

描画以外の機能や各種フィルタは Photoshop の方が有名だが、意外とペインターのフィルタも強力なのだ。Photoshop のフィルタ機能はペインターでほぼ全部まかなえるが、Photoshop ではできないペインター独自の機能は結構ある。それを抜きにしても、インパスト系やイメージホースなどブラシの特殊効果を Photoshop でシミュレートするのは至難の業である。

Photoshop が強いのは、むしろ基本的機能の操作性が洗練されていることだろう。特に選択ツールや変形ツールの操作性がペインターよりはるかにいい。変形アルゴリズムも Photoshop の方が優秀なようで、拡大縮小だとそれほど差はないが、任意の角度で回転などをさせるとはっきり違いがわかる。ペインターだと回転後はぼけてしまうが、Photoshop はシャープさを失わない。画像を300%以上に拡大表示させたときも、ペインターはブロック化されてしまうが、 Photoshop は比較的滑らかさに表示してくれるので、細部を楽に描き込むことができる。

しかし、操作性についても、すべて Photoshop の方がいいというわけではない。カンバスの扱いはさすがにペインターが使いやすい。手の平ツールで画像をウインド内を自由に(ウインドからずれた位置までも)動かすことができるので、画像の端を描くのも楽である。 Photoshop はウインドより大きい画像の場合、ウインド内に余白を作れないので、画像の端が必ずスクロールバーに接してしまい塗りにくいことこのうえない。カンバスのサイズを変えるインターフェイスもペインターの上下左右を任意に数値指定できる方が使いやすい。

こう描いてくると、本当に一長一短だ。ネット絵描き定番の感想だが、色んな機能がモジュール化されていて、ユーザーが好きなように組み合わせられたらどんなにいいだろうと思う。そう理想論のようにはいかないのがソフトの世界だというのは重々わかってはいるけどね。当分、今の方法で使っていく他なさそうだが、それはそれで結構楽しい。ただし、スポイト機能のショートカットが Photoshop が「Alt」、ペインターが「Ctrl」(Windowsの場合)というのだけは統一してほしいものだ。または、ショートカットのカスタマイズ機能をつけてくれい。

*

上記は、Photoshop がバージョン5、ペインターはバージョン6を基準にして書いている。現在の最新バージョンは、どちらも(たしか)7。少しは事情も変わっている・・のかもしれない。

2003/02/09(日)『ハリー・ポッターと秘密の部屋』

丸の内ピカデリーにて。

映画としては、前作『賢者の石』の方がはるかに面白い。第二作ということで人間関係の説明は全く抜きで、アクションとサスペンスに重心が寄りすぎ。といってもテンポは良いし、SFXを含めた画像は素晴らしく、2時間40分の長尺を飽きさせない。あの城のような魔法学校ホグワーツはどこからどこまでがCGなんだろう。さっぱりわからん。

主役三人が成長しすぎているという話しだったが、たしかに一作目の幼さはなくなってきていた。しかし中学生の一年間なんてこのくらいの変化が普通だろう。かなり一作目の記憶が薄れてることもあって(老人力のたまものだ)それほど違和感はなかった。天上界のかわいさだったハーマイオニーたん(Emma Watson)も、地上のかわいさに近づいてきたが、それはそれでよし。

上映前の予告編で面白そうだったのは、やはり『007』かな。『チャーリーズ・エンジェル2』もなかなか。

ハーマイオニーたん

2003/02/08(土)ゴッホ発見

左向きの農夫の頭部ゴッホの初期作、日本で発見。競売へ

画家中川一政の遺品コレクションから行方不明だったヴァン・ゴッホの「左向きの農婦の頭部」(左図)が発見された。オークション出品予定で当初の落札予想価格は一〜二万円だったが、ゴッホ美術館から真正作であるという調査報告書が届いたため、三百万円以上にはね上ったそうだ。

たしかに『ジャガイモを食べる人たち』(下図)によく似ている。

世の中そういうもんだと思いつつ、なにかおかしい。いい絵だったら最初から三百万円とは言わなくとも、数十万円の値はついてもよさそうなものではないか。値を予想するプロフェッショナルは絵そのものの価値を判断してるわけではなく、判断する能力もないということだろうね。借り手の将来性や能力が判断できずに担保だけを目安に融資する銀行に似ている。

「来年はヴァン・ゴッホ没後百年記念展覧会が当市で行われます。しかし、アルル市にはゴッホの絵は一枚もありません。

(中略)

それは、百年前のアルル市民がヴィンセント・ヴァン・ゴッホの芸術も絵画も理解しなかったからです。彼の画を買ってやらなかったからです。

(中略)

そのゴッホを性急にも精神病院へ収容させ、疫病神のようにアルルから北へ追放したのはアルルの市民です。彼がこの市で描いた精妙で、驚くべき多量の画はどこへ行ったのでしょう。『アルル時代』と呼ばれるゴッホの絶頂期の画です。黄金期です。それがみんなここにはない。アルルの市民が石もてゴッホを逐った結果です」


松本清張『詩城の旅びと』(文春文庫)

これほどではないが、江戸、明治期の浮世絵の扱いを見れば日本人も大きなことは言えない。

ジャガイモを食べる人たち


長山靖生『偽史冒険世界−カルト本の百年』(ちくま文庫)、藤本正行・鈴木眞哉『偽書武功夜話の世界』(洋泉社新書)購入。


2003/02/03(月)天駆ける

アポロ11号が月面に降り立ったとき、こういうコメントがあったことを思い出す。

われわれは、人類が月に到着するまでに要する期間がこんなに短いことを予想できなかった。月に到着するに要する費用がこんなにも膨大であることも、予想できなかった。

最初の月面着陸から四半世紀が経っても、まだ木星はおろか火星にも人間が行けない、なんてことも予想もできなかったけどね。月基地でさえまだないぜ。

今回のスペースシャトルの事故で、NASAが厳しい予算削減にさらされていたことを知り、さらにイラク戦に大量に用意されているミサイルが一発一億円と聞くと、さすがに怒りを感じる。

事故にあったシャトルでは、多くの実験が行われていたらしい。おそらく、そのほとんどはわざわざ人間が操作しなくても、コンピュータ制御で管理しデータを地球に送ったり持ちかえったりすることは可能だろう。その方がずっと安上がりなことも間違いない。しかし、そんなことをしてもなにもならないこと、人間が宇宙空間で実験をすることに意味があることはだれにでもわかる。

やはり、人類は宇宙に行きたいんだよなあ。たとえ自分が行けなくても、子孫でもいい。いつの日か、彼らが、金星や冥王星やハレー彗星や、太陽系を越えてアルファケンタウリの彼方まで疾駆していることを想像していたいものだ。人類、宇宙飛行から撤退、なんてことになったら、そんな夢も色あせてしまう。

事故でお亡くなりになった宇宙飛行士たちも、自分が宇宙飛行で死ぬかもしれないと考えたことはあっただろう。それはたぶん宇宙空間での出来事で、自分は星屑か流星になることをイメージしていたのではないだろうか。現実には一般の飛行機と同じく、離着陸(シャトルなら大気圏離脱再突入)時が一番危険なのだね。

天を駆け地に還ったアストロノーツたちのご冥福を祈る。

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