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04/06/30(水) ナウなヤングがディスコでフィーバー
04/06/28(月) まんが道
04/06/24(木) 少女地獄
04/06/23(水) 黒船っちゅうものがきたそうな
04/06/20(日) 長沢節展
04/06/18(金) あなたの魂に安らぎあれ
04/06/12(土) ないしょないしょ―剣客商売番外編
04/06/06(日) 半落ち
04/06/05(土) 宇宙服のトリビア
04/06/04(金) 完全な真空
04/06/03(木) 小6同級生殺害マスコミ迷走中
04/06/02(水) 天麩羅の味
04/06/01(火) 小学生が刃傷沙汰
04/05/23(日) スターウォーズ展
04/05/22(土) リサイクル幻想
04/05/21(金) 世界の中心で愛を叫んだけもの
04/05/12(水) ムイシュキン公爵
04/05/07(金) 鉄人28号
04/05/05(水) 夢百景:蜥蜴星人
04/05/03(月) 自堕落な連休

2004/06/30(水)ナウなヤングがディスコでフィーバー

<外来語>日本語に言い換え、33語を提案 (毎日新聞)

国立国語研究所(甲斐睦朗所長)は29日、分かりにくい外来語を日本語に言い換える第3回の提案(中間発表)を公表した。今回は33語が対象で、進行の妨げになるものや場所を示す「ボトルネック」は「支障」とした。一般からの意見を受け付けたうえで、8月にも最終発表する。

70年代風の表題を言い換えると「今風の若者たちが発展場で大熱狂」てな感じかな。一気に50年代の香りがしてくるようだ。

アカウンタビリティー」はたしかに「説明責任」の方が簡潔でよいけど、「ステレオタイプ=紋切り型」かな?「イニシアチブ」を言い換えて「主導」にすると「イニシアチブを取って進める」は「主導を取って進める」かい?日本語として変だろう。「デジタルデバイド=情報格差」っていうのもなんだかなあ。「デジタル」であることが抜け落ちてると思うけど。単なる「情報格差」ではなくデジタルな情報に対するインフラ(基盤?)やスキル(技能?)の格差で結果として生じてしまった情報収集能力の差のことだろう。そのまんま「デジタルデバイド」の方が良いと思います。

国立国語研究所はどこを対象に「提案」してるのか、よくわからないけど、一番意味もなく外来語を使うのはお役所だよね。リンク先にあった中ではじめて聞いたパブリックインボルブメント(住民参画)なんて、住民を参画させたくなくてわざと使っているような気がするな。

大体民間は効率が大事だから、よほど大企業病にでもかかっていない限り無駄な外来語は使っていないはず。「会議」は「会議」で、いちいち「カンファレンス」なんていう奴はいないだろう。(日本語禁止の会社は例外)

あまり日本語になじみのない概念は、言い換えてもすっきりしないので外来語のまま使っていることが多いようだ。たとえば最近の企業には「コンプライアンス(法令順守)担当部」を設置するとこが増えたようだが、これは日本の会社に「法令順守」という概念があまりなかったということなんでしょうな。

漢字だって元々は外来語なのだから、なんでも漢字熟語にすればいいというものでもない。ただ、漢字には「訓読み」がある。漢字という表意文字にやまとことばの意味を連結する天才的発明だ。英語だと「水素」はギリシャ語源の「Hydrogen」で、初読の人はなんのことやらさっぱりわからない。日本語だと「水素」はなんとなく水の素なのだなということはわかる。Hydrogenに非明示的に「Water Element」とルビがふってあるようなものだ。(参考:鈴木孝夫『閉された言語・日本語の世界』新潮選書)

その利点を生かして、あまり一般になじんでいない外来語は単に言い換えるのではなく、フリガナにしたらどうだろうか。法令順守(コンプライアンス)災害予測地図(ハザードマップ)というような感じだ。昔の新聞や本は漢字の多くにルビがふってあって、いつのまにか漢字や熟語を覚えたものだ。コストはかかるだろうが、使うべきコストだと思うけどね。

*

外来語はわからないわからないといっていないで辞書をひけよって話でもあるのだが、「リストラ(Restructuring)」をひいても「大量解雇」とは出てないよなあ。これこそ言い換えが必要だ。「大量解雇」にするか「再構築」にするかで、その会社の本当の「スタンス」がわかる。

2004/06/28(月)まんが道

NHKの『BSマンガ夜話』をひさしぶりに見た。

なにより笹峯愛ちゃんの復帰が嬉しい。サトエリはひどかったなあ。愛ちゃん、あいかわらず可愛いですが、ちょっと痩せすぎなのが心配。それにひきかえ岡田斗志夫さんは思いっきりリバウンドしてました。

本日のテーマは『まんが道』。常連のコメントも和気あいあいで良かったが、視聴者メールの「このマンガを読んでから手塚治虫を手塚先生と呼ぶようになりました」というのに一番同感。漫画家志望でもないのにただの読者の私もなぜか手塚先生と書いてしまう。ちなみに私は「まんが道」では、トキワ荘の漫画家時代より高岡の新聞社時代のエピソードが好きだ。

「トキワ荘」と言えば一つ気になっていることがある。「まんが道」に限らず、色んな漫画家が「トキワ荘物語」を描いているが、その中の登場人物としての石森章太郎赤塚不二夫のコンビ(二人は同部屋で合作もしていた)。どうもホモっぽいニュアンスを匂わされているような気がするのだが、私の病的な想像力による邪推でしょうか。機会あれば『トキワ荘青春物語』などでご確認いただきたい。

ボクシング 徳山が1回TKO負け』。

K1やプライドのKOに比べて、ボクシングのKOは見ていて胸にズキンとくるのだが、なんでだろう。私の偏見ですかそうですか。

2004/06/24(木)少女地獄

長崎の小6同級生殺害事件をきっかけにいまさらながら小中学生たちの世界を知らないことに気がついた。

これは少なからぬネットの住人にとっても同じだったようで、読冊日記の風野ドクターなどはぱどタウン潜入までしてガキンチョ帝国の実態をつかもうとしている。掲示板も「小中学生のネットマナーや友人関係論で盛り上がっている。これがなかなかすごい。ぱどタウンに比べれば2ちゃんねるなどは、なんと知的で洗練されていて良識にあふれていることだろう。

若きネットワーカーたちにして、小学生のコミュニティは驚愕の異文化であったらしい。私のような年寄りにはそれこそ異星の客であろう。

幸い、身近に最近まで小学生だった連中がいるので、高校生の娘や中学生の姪っ子に小学生時代の友人関係について聞いてみた。案の定というかなんというか、小学生の頃は彼女たち(特に娘)にとってあまりいい時代ではなかったようだ。

クラスがいくつかのグループにきっちり別れていて、グループ間に暗黙の階層序列(ヒエラルキー)があったそうだ。士農工商エタ非人だね。しかし江戸時代ほど「身分」は固定的ではなく、だれかが所属していたグループ内で気まずくなると(グループリーダーのおぼえが悪くなると)なんと「格下げ」になってしまうのだという。「格下」のグループがすんなり受け入れてくれるのか疑問だと思うのだが、明日はわが身と思うのか、とりあえずどこかのグループには属せるシステムだったようだ。

で、その格下格上というのはなんできまるのかというと、これが「のりの良さ」なんだそうだ。「なんだそりゃ」という感じだが、みんな必死で「のりの良さ」を演じていたというのだから、つらいね。

娘などは「小学校は思い出したくもない。中学校や高校はみんな仲良くてもう幸せ(は〜と)」なんだそうだ。よかったね。今頃そんなことを知った私は当然親失格でありますな。

姪っ子は世代が違うのかそれほど露骨な「格」的なものはなかったらしい。

それと、娘のクラスは一時荒れていたが、これも先生がなめられたとか嫌いとかいうのとは全然関係ないそうだ。「ただなんとなく荒れてしまう」のだそうである。う〜ん、勉強になる。やはり異星の客であるね。

とはいっても、茫洋たるはるか昔の記憶をたどってみると、私の小学生時代もそんなに良き人間関係があったとは思えない。昔はよかった、という大人の繰り言は単なる健忘症か記憶の歪曲の可能性が高いと思って間違いあるまい。

もう大人になっていて良かった。目が覚めたら小学生にもどっていたなんてことにはなりたくないものだ。

2004/06/23(水)黒船っちゅうものがきたそうな

NHK『その時歴史が動いた〜大江戸発至急便 黒船あらわる』。なかなか面白かったのでメモ。

浦賀にペルリ率いる黒船がやってきてから、日本全国にその情報が伝わるまでに2週間足らず。鉄道も車もない時代に、驚異的な速さである。しかも江戸藩邸を持ち独自の情報網を駆使する大名だけでなく、商人や大百姓をとおして庶民たちもあまねく知ってしまった。情報を伝達する力はインターネットやTVラジオのような手段の前に、なにより好奇心や警戒心などの「情報を欲する心」なのだね。

時の老中首座阿部正弘は弱冠27歳。ペリルのもたらした国書は当然、国家の最高機密だ。それを旗本や譜代大名だけでなく外様大名にまで「情報公開」した。さらに武士だけでなく、町人にまで公開して、広く意見を求めたのいうのだから驚きだ。国論の統一のためだろうが、江戸300年の泰平の果てにもちゃんとこういう政治的判断をくだせる人物がいたことが一番驚異なのかもしれない。

モーリス・ルヴェル『夜鳥』(創元推理文庫/田中早苗訳)購入。

2004/06/20(日)長沢節展

弥生美術館『長沢節展』を見に行く。

山本耀司川久保玲も学んだセツ・モードセミナーの創設50周年を記念した展覧会。今日はたまたま会期中2回だけあるファッションショーに当たって、得した感じ。

このファッションショー、あの狭い弥生美術館でやるのにはもったいないような本格的なもの(ただし音楽もなにもない)。1970年に銀座ワシントン靴店と組んでプロデュースした「モノセックスショー」を再現したもので、衣装も当時のまま保管されていたのを使っている。モノセックスと銘打っているだけに、男女が同じデザインをまとっているのだが、大変セクシーで眼福でありました。

長沢節は靴のデザインを担当しているが、このデザインもなかなか官能的。展示されていたデッサンにも「足裏がうまく描けた」とか「甲の線がシャープだ」などというコメントがある。かなりの足フェティッシュだったようだ。

私はファッションのことは全然わからないが、展示されていた絵は文句なく素晴らしい。特に墨による筆の線描が見事で、いわゆるスタイル画の域を超えている。まあ、飯野和好上田三根子峰岸達といった超一流イラストレーターの師匠なんだからあたりまえか。どんな先生だったかはこのへんに詳しい。

2004/06/18(金)あなたの魂に安らぎあれ

Amazon神林長平『あなたの魂に安らぎあれ』読了。

核戦争後の放射能汚染は、火星の人間たちを地下の空洞都市へ閉じ込め、アンドロイドに地上で自由を謳歌する権利を与えた。有機アンドロイド―人間に奉仕するために創られたそれは、人間のテクノロジーをひきつぎ、いまや遥かにすぐれた機能をもつ都市を創りあげていた。だが、繁栄の影では、ひとつの神話がアンドロイドの間でひそやかに伝えられている。「神エンズビルが天から下り、すべてを破壊し、すべてが生まれる…」果して破壊神エンズビルは本当にあらわれるのだろうか?―人間対アンドロイドの抗争を緻密なプロットで描く長編デビュー作。

神林長平は昔から気になっていた作家なのだが、いままで一冊も読んだことがなかった。そこで長編デビュー作の本書から読みはじめたわけなのだが、う〜ん、可もなく不可もなく。

感覚を移管して自由に飛び回るシャンターとか魅力的なガジェットはたくさんでてくるし、アンドロイド社会と人間社会の対立とかSF的設定もしっかりしている。だけど、もうそれだけで面白がれるSFファンではなくなってしまった私には、もう一つ物足りない。

ただしデビュー作にしては文章はそこそこ、プロットは水準以上で完成度は高い。次は名高い『戦闘妖精雪風』を読んでみよう。

21世紀研究会編『色彩の世界地図』(平凡社新書)購入。


2004/06/12(土)ないしょないしょ―剣客商売番外編

Amazon池波正太郎『ないしょないしょ―剣客商売番外編』読了。

越後、新発田の剣客・神谷弥十郎の道場で下女として働いていたお福は、主人が暗殺されたため、下男の五平と一緒に江戸へ出る。が、新しい主人の御家人・三浦平四郎も、そして五平も、神谷を殺した無頼浪人の凶刃に倒れる。三浦に手裏剣の手ほどきを受けていたお福は、三浦の碁敵・秋山小兵衛の助太刀をえて、見事、仇を討ち果たす。数寄な運命を背負った女の波瀾にとんだ成長の物語。

けなげだけど凜としている若い女性の成長物語だが、いい意味で描写は軽い。私の好みだと山本周五郎藤沢周平のようなもう少しコクのあるしつこいくらいの方が好きなのだが、池波正太郎の粋な味もなかなかいい。実にするすると読める練達の文章が心地よい。りりしいヒロインがいとおしい。ヒロインを取り巻く人々の善意の塩梅が甘すぎず辛すぎない。

『剣客商売』や『鬼平』のお馴染みの登場人物がそこかしこに現われるのでファンには楽しいだろう。

左の画像では小さくてよくわからないが、中一弥のカバー装画が素晴らしく、実はこの絵に魅せられて買ってしまいました。


2004/06/06(日)半落ち

無料券をもらったので地元の区民会館で映画『半落ち』を見た。

なかなかいい映画でした。何がいいって原作を崩さず、そのまま映画化したこと。原作にはそれだけの力がある。それと上手な手堅い俳優ばかりでキャストを固め、ジャニーズやアイドル系女優?などを出していないこと。おかげで映画らしい映画を落ち着いてじっくり堪能することができました。

達者な役者たちの中でも、うだつのあがらぬ弁護士を演じた国村隼がいい。その妻役の高島礼子だけはミスキャスト(小さな役だが)。できれば室井滋で見たかった。

国村よりさらによいのは樹木稀林。ラストの慟哭の場面ではおっさん(私だ)の目がなんだか熱くなってしまいました。さすがの演技です。

*

原作は文春の年間ミステリーベストと宝島のこのミスで1位に選ばれ、直木賞候補になっているが、受賞はのがしている。この日記を書くのにネットを検索するまで知らなかったのだが、落ちたのは選考委員の林真理子がいいがかりをつけたかららしい。

興味がある人はこちらを参照。ただし、リンク先は思い切りネタバレしているので、これから見たり読んだりしたい人は見ないことをおすすめする。

2004/06/05(土)宇宙服のトリビア

Q:日本に「本物の」宇宙服はいくつある?

A:[]

Q:その宇宙服のお値段は?

A:[]

Q:その宇宙服の重さは?

A:[]

Q:宇宙服の前面のパネルの文字は裏文字で書かれている。なぜ?

A:[]

NHK教育TV『科学大好き土よう塾「どうして宇宙では宇宙服を着るの?」』から。

司会はNHK解説委員の人と中山エミリー。小学生向けの番組なので、小学生三人がレギュラーで出ているが、そのうちの一人の女の子がなんというか、立派な体格をしている。もしやと思い、2ちゃんねるの実況板をのぞいて見ると、
案の定「NHK教育を見て5751倍賢く ムチムチ雪乃タン(;´Д`)ハァハァ」なんていうスレが立っている。……中山エミリーの立場は。

しかし、2ちゃんねらーの嗜好が的確に察知できるようになっても、自慢にはならない……というか人としてまずいですか、そうですか。

答えは反転文字なので選択すれば読めます。

2004/06/04(金)完全な真空

Amazonスタニスワフ・レム『完全な真空 』(沼野充義訳/国書刊行会)読了。

架空の書物の書評集という斬新なアイデアで書かれた本書の著者は、あの『惑星ソラリス』の作者である。

レムが書こうとして果たせなかった架空の本たち、らしいのだが、さすがに斬新なアイデアの宝庫である。それも思いつきレベルではなく、世界観をくつがえすレベルのアイデアまである、レムの面目躍如たる一冊だ。以下、いくつかを紹介。

完全な真空」。まずは序文からして、本書自体の書評である。その書評が本書に収録されているメタ構造にちょっとくらっとしますな。

ロビンソン物語」。ロビンソン・クルーソーのパロディである主人公は、自らの想像力によって従順な下僕たちを無から創造する。ちょっとミルハウザーにありそうな話しだが、下僕に満足しないロビンソンは次々新しい従僕を創る。たとえば三本脚の女性のフライデーなどだ。そしてロビンソンは自分の創造物に翻弄されてしまう。

ギガメシュ」『ユリシーズ』がジョイスの『オデュッセイア』であるように、『ギガメシュ』はハナハン(もちろん架空の作家)の『ギルガメッシュ』(古代バビロニアの叙事詩)である。そこに記述されている言語学的マジックを詳細に評論しているのだが、実際に小説化することは不可能だろう。

性爆発」。セックスの商品化人工化の行き着く果てに人工爆発の対処法として発明された性欲を失わせる薬物が事故によって、全世界に散布されてしまう。本書では軽めのアイデアの作品。

新鋭隊長ルイ十六世」。ナチの親衛隊将校が、隠匿した財物で南米奥地に閉鎖的な王国を築く。ナチ上がりなのにゲルマン文化風ではなくフランス風王国なのが皮肉だ。矛盾のかたまりのような王国の描写と王位継承者の物語は実に面白そうである。小説化されたら読んでみたい度は本書中一番だ。

白痴」。「白痴」はもちろんドストエフスキーの「白痴」をさしている。しかし本書の白痴の子供が、ムイシュキン侯爵のように天使のように無垢なのは、両親の幻想の世界の中だけである。

イサカのオデュッセウス」。主人公は天才である。普通の天才は世間に歓迎される。一級の天才は生前は理解されず、認められるのは未来の世代によってである。しかし主人公は最高レベルの天才であるがゆえに未来永劫認められることはない。

ビーイング株式会社」。偶然を装って願いを実現させるサービスをする企業によって全てが動かされている世界。諸星大二郎が描きそうな話しだが、そういった企業が複数あり、互いに諜報活動をして相互干渉しながら企業活動をしているから話はややこしい。

我は僕(しもべ)ならずや」。本書中の白眉。架空の科学理論パーソネティッスク=電脳世界上のヴァーチャルワールドの話しなのだが、単純な人間世界の模型ではないところがレムだ。純粋に数学的論理によって構築された世界、ただし自然界の法則とはなんら似通ってはいないが、世界内の論理は整合している。その世界はたとえば3次元であることにも縛られない。4次元でもN次元でも可能性はある。……イーガンも含め現在のSF作家のだれもこの高みに達していないのは間違いない。

新しい宇宙創造説」最後のテーマは「神」である。宇宙の創造者についての思索はいつのまにか、物理法則自体がゲームであるという奇想天外な展開をする。ゲームといっても通常のゲームの概念ではないのだが、要約不可能。

最後の「解説」まで「書評」なのはやりすぎではないかい。

大江健三郎『取り替え子(チェンジリング)』(講談社文庫)、池波正太郎『ないしょないしょ〜剣客商売番外編〜』(新潮文庫)、神林長平『あなたの魂に安らぎあれ』(早川JA文庫)購入。


2004/06/03(木)小6同級生殺害マスコミ迷走中

女児「謝りたい」付添人弁護士に話す

女児は掲示板以外にも3月ごろから怜美さんや他の数人の友人と交換ノートもしており、そのやりとりでも不愉快に思うことがあったという。事件を起こしたことに「掲示板と交換ノートのやりとり以外では怜美さんとはトラブルはなかった」と話した。

昔ながらの「交換ノート」も登場しているのに、なぜかマスコミはネット上の書き込みばかりを重視しているようである。

「容姿」書き込み引き金か 加害女児、HPでトラブル

PC体験に楽しさと戸惑い、死亡の小6女児が文集に

長崎少年鑑別所に収容された同級生の女児とは、チャット(ネット上のおしゃべり)の書き込みが元でトラブルになったとみられているが、作文の中では「顔も姿も見えない人たちと仲良くできるのだろうか」と、ネットへの戸惑いを見せていた。

だって、二人は同級生なんだから「顔も姿も見えない人」にはあてはまらないではないか。加害者と被害者がネット上ではじめてあってその後トラブルになったのならともかく、ここでこの文章を引用するのはあきらかにおかしい。「顔が見えない」は「ネット=悪」論の際のきまり文句だから使ってしまったのだろうが、この記事を書いた記者は頭が悪いのか、誤解させようという意図がある悪意ある記事なのか。

また、同じ文集の中で補導された女児は、「将来の夢」は小説家で、「好きな本」として「バトル・ロワイアル」を挙げていた。
 映画にもなったこの小説は、同じクラスの中学生同士が殺し合う凄惨(せいさん)なシーンが問題になった。

児童相談所の所長が会見でいった「普通の家庭の普通の子」という情報に、マスコミは困り果ててしまったのだろう。二人ともバスケット部に所属してワイワイやっていたらしいし、「パソコン好きのひきこもり」というマスコミの好きなステロタイプにも当てはまらない。ドキュンな親のドキュンな子でもない。「普通の子ですが、たまたま殺人しました」では記事の体をなさない。「好きな本が『バトル・ロワイアル』」という「ネタ」には、干天に慈雨の心地で飛びついたに違いない。

事件前夜のTVドラマで実行決意

このドラマは事件前日の5月31日午後9時からTBS系列で放送された「月曜ミステリー劇場『ホステス探偵 危機一髪(6)』」。
(略)
 計5人の被害者が路上で襲われ、回想シーンも含めて計8回カッターナイフで切りつけられる場面が放映された。
 女児は県警の調べに「このドラマを見た。こんなふうにしようと思った」などと供述したという

今度はTVドラマにカッターナイフが槍玉に挙げられるのかな。

親の育て方、子への接し方を原因に挙げている「識者」の意見もTVや新聞でかなり見かけた。断言してもいいが「加害者の親がこういう接し方をしたから、こどもが殺人を犯した」なんていう断定的理由は、(この事件に関しては)調査が進んでも絶対に出てこないだろう。加害者の子が友人を切り殺した原因は(たぶん永遠に)わからない。

簡単にはわからないからこそ「心の闇」なんだろうよ。

2004/06/02(水)天麩羅の味

NHK総合『そのとき歴史は動いた/家康・人生最大の危機の三日間“伊賀越え”』。

ようやく危機を脱した家康は、領地岡崎へ向かう船の船頭にはヤドカリの塩辛をふるまわれたそうな。「殊の外 風味よし」といったそうだが、それはことのほか旨かったことだろう。

そのとき飯も三杯食べたそうだが、徳川家康にはこの手のエピソードが多い。今日の番組中でも触れていたが、伊賀越えの途中でやっと落ち着けた民家で出された握り飯にむさぼりついたとか。

若いときの危機、武田信玄に散々に打ち破られたときも、ほうほうの体で城にたどりついたとたん、物もいわずに湯漬けを三杯かっこんだそうな。(ここでも三杯)

そして最後には茶屋四郎次郎のすすめる鯛のてんぷらをたらふく食ったあとに食あたりで死んだと伝わっている。(異説もあるが)

まあ「鳴かぬなら鳴くまで待とう不如帰」の人だから、克己の人でもあったのだろう。同年代のライバル豊臣秀吉に勝つには、彼より長生きするしかなかった。それは体に気をつかったことだろう。でも、本当はいじきたないところがあったんだろうね。

天下を確実なものにして、最後の最後に気がゆるんだのだということか。きっと鯛のてんぷらは美味なことこのうえなかったにちがいない。

2004/06/01(火)小学生が刃傷沙汰

少6女児が校内で同級生女児を切り殺す

TVで被害者の父親が気丈に記者会見してましたな。なぜ、加害者でなく被害者の家族をさらし者にするのかね。娘の死を知ってから間もない(私と同年代の)父親の姿など、あまりにもかわいそうすぎて正視に耐えかねる。

私もふくめ大多数の視聴者の知りたい「情報」は加害者の動機であり事件の原因だ。被害者の家族を見てみたいなんて奴は、もしいたとしても少数だろう(と思いたい)。

と思っていたら、この被害者の父親は毎日新聞の支局長なのだね。今まで散々被害者をさらし者にしてきたマスコミの一員としては、いざ自分の身になった場合は逃げるわけにはいかなかったのだろうな。企業人はつらいね。

これを機会に被害者をさらし者にする風潮はやめにしたらいいだろうに。少年法に守られた加害者をさらせない分、被害者に矛先が向くのだろうが、被害者と加害者の露出度は逆にならねばね。加害者が守られて被害者が守られない社会はどう考えても変だ。

2004/05/23(日)スターウォーズ展

国立科学博物館『スター・ウォーズ サイエンス&アート』。

これは予想以上に面白かった。映画のできとは別に、ブツのディテールでは、新二部作の方がさすがに上である。お金のかけ方が違う。

圧倒的だったのはクイーン・アミダラの衣装。数も多いが一つ一つの素材、刺繍などの手間もかかっていてゴージャスである。それにひきかえレイア姫の衣装は…零落して逃亡中とはいえあまりに貧弱。ジャバ・ザ・ハットにつかまっているときの女奴隷衣装が一番素敵だというのはなんだかなである。

ポッドレースのマシンやドロイドの映画そのままの実物大が目に前にあると、動いたり飛んだりしないのが不思議に思えてくるリアルさだ。スターウォーズファンには(あらためていうことではないだろうが)おすすめである。

旧三部作特に第一作は、こんなチャチい大道具・小道具があの素晴らしい映像になったのかという別の驚きが大きい。映画的にはむしろこちらの方が王道かな。

朝青龍、強っ。

ボブ・サップ、弱っ。

2004/05/22(土)リサイクル幻想

武田邦彦『リサイクル幻想』(文春新書)読了。

立派なビル内のトイレに手拭き用のペーパーが設置されていることがある。たいてい「再生紙を使って環境に配慮しています」なんてことが書いてある。なんか変だなあと以前から思っていた。自分のハンカチで拭くのが一番環境にいいのではないかい?再生紙だって作るのに電力も水も使って環境にダメージを与えるし、100%古紙で作ることなどできない。

「リサイクルは環境に悪い」というのが本書の主張である。たとえば再生ペットボトルは新品より三倍以上資源をムダ遣いする。考えてみれば当たり前で、リサイクルするにはゴミを分別し運搬し蓄積し再生しなければならない。そのためには新品を作る何倍もの労力を費やし電力を使い石油を消費することになる。その上再生された製品は不可避的に性能や耐久性が劣化して、メンテナンスや安全対策など、社会的負担が増大する。

もちろん、だから今のままの消費社会・生産文明でいい、というわけではない。ただ、リサイクル、環境問題、循環社会をちゃんと考えるには、地球全体、少なくとも日本全体を俯瞰した統合的理論が必要だということ。感情的な「地球にやさしい」的発想は意味がないどころかむしろ逆効果であるということだ。

一番基本になるのは、地球上の資源はフローもストックもすべて太陽エネルギーによって作られてきたということだ(例外は原子力のみ)。そこから演繹された目からウロコな発想が本書にはたくさん記述されている。「石油を直接暖房や発電に使うのはムダである。すべてプラスチックにして、ゴミになったらすべて燃やしてその熱で発電するのが資源的に一番効率的」という主張など、今の風潮からはとんでもないことのように聞こえるが、細かな検証を読むと納得せざるを得ない。

マイ箸を持ち歩いて森林にやさしいなどという勘違いをしがちな情緒的環境派ではなく、環境について科学的に考えるには、お薦めの一冊。

*

リサイクルや地球環境問題を考える場合の科学的基礎を知る本としては『資源物理学入門』(槌田敦著/NHKブックス)も良書だと思う。キーワードは「エントロピー」。具体的な資源の話題を例にした「エントロピー」の平易な解説として読んでも面白い。


2004/05/21(金)世界の中心で愛を叫んだけもの

ハーラン・エリスン『世界の中心で愛を叫んだけもの』(ハヤカワ文庫/浅倉久志訳)読了。

70年代の伝説のSF作家ハーラン・エリスンの本邦初紹介短編集。といっても出版されたのは1979年。25年ぶりの再読だ。

エリスンの伝説は色々あるらしいが、日本のSFファンには、SF大会ではじめて会ったアイザック・アシモフに「なってねえなあ」といったというエピソードが衝撃的か。

本書に収められた短編は、いかにも70年代らしくドラッグとバイオレンスばりばりで、既成のSFの枠を破壊しようという意欲にあふれてはいるのだが、意余って力足りずというところか。

表題作はあらゆる時代に狂気を流し込む七頭の龍の話し。今となってはちょと平凡。

他には「犬と少年」がいい。崩壊した未来社会。知的な階層は地下に潜り、地上は粗暴な少年たちが徘徊し、血と暴力が支配している。彼らが連れているのは女ではなく(女たちは富裕な人々と地下に潜ってしまった)知能を人工的に発達させられた軍用犬だ。むしろ犬が少年を連れているというべきか。なにしろ少年たちより犬の方が知能も知識も上なのだ。そんな犬の一匹がある日「女」の匂いを嗅ぎつける。

なんといっても題名がかっこいい。本書の原題は「The Beast that Shouted Love at the Heart of the World」だ。他にも『おれには口がない、それでもおれは叫ぶ』(I Have No Mouse, and I Must Screeam)とか、『ラブなんてセックスの綴りをまちがっただけ』(Love Ain't Nothing But Sex Misspelled)なんて短編集があるらしいが、いづれも未訳のようだ。

*

最近、『世界の中心で愛を叫んだけもの』が映画化されたらしい、いまさら、あんな映画化しづらいのをどうしたんだろう、とマジに思っていたら、日本映画だっていうじゃないか。なんと原作も、日本?…SFじゃないぃ??…世界の中心で愛を叫……ぶぅ?!

「けもの」はどこいったんだよ?「けもの」は?

筒井康隆の『朝のガスパール』みたいなパロディタイトルでもないようだし、『白痴』や『嫉妬』みたいな一単語タイトルでもない。そういうのは、昔はパクリといったもんだけど……作者は少しは恥ずかしがっているのかいな?

2004/05/12(水)ムイシュキン公爵

最近、読了のペースが落ちているが、これは『白痴』をゆっくりと再読しているため。

主人公の「白痴=ムイシュキン公爵」はキリストにもなぞらえるほどの好人物にして、癲癇持ち。周囲の人物はみな彼を困惑しつつも好きになる。対照的な二人の美女からも愛される。恋敵も彼を憎むことができない。でもはくち

毎度のことながら、世界文学の名作(日本には坂口安吾の同名の名作もあるし)の題名も変換できないMS-IMEは痴呆(こっちは変換できる)である。WXGはできる。

なんどか映画化されているようだが(黒澤映画もある)、現代ではとても適役がいないなあと思っていたら、

一人おりました。→キアヌ・リーブス

人の好さを物語るエピソードがムイシュキン公爵を彷彿とさせる。なにより2ちゃんねるの芸能人スレッドでマンセーレスばかりというのは、一種の奇跡ではないだろうか。

日本では(元?)劇団四季の松橋登が演じていた。見たことはないけど、こちらも風貌は適役だ。松橋登がロシア人だったら完璧だ。

2004/05/07(金)鉄人28号

TV東京で深夜にやっているアニメ『鉄人28号』がなかなかいい。鳴り物入りではじまっていつのまにか終わった?『鉄腕アトム』がダメダメだったのとは好対象だ。

下手に現代的にせずに、時代も原作通りに敗戦直後に設定し絵柄も旧さをうまく生かしている。ストーリーは原作とはだいぶ変えているが「鉄人が旧日本軍の兵器だった」という原作のキモを原作以上にふくらましてイイ雰囲気を出している。それでいてロボットの巨大さや飛行する迫力をリアルに出しているのだから、リアルタイムで連載を読んでいた私など、手もなくはまってしまいました。

ショタコンの元祖、オープンカーを乗り回し拳銃をぶっぱなすトラッド少年探偵、金田正太郎クンがちょっぴり屈折キャラになっているのも微笑ましい。

アトムと違い、深夜に放映することで視聴ターゲットを青年以上老人未満に絞ったことが勝因でしょう。

改めて見て思ったことは、アトムのルーツは欧米のSFにあるとすれば、鉄人のそれは、乱歩の怪奇探偵ものだということだ。「鉄人28号」は絶対(いい意味で)SFではない。

武田邦彦『リサイクル幻想』(文春新書)、泡坂妻夫『大江戸奇術考』(平凡社新書)、四方田犬彦『白土三平論』購入。


2004/05/05(水)夢百景:蜥蜴星人

最近、あまり面白い夢も見なかったが、連休でいぎたなくた〜っぷりと睡眠時間を取ったおかげか、ひさしぶりで能天気な夢を見た。

といっても、残念ながらストーリー?はあまり覚えていない。

とりあえず宇宙人が地球を侵略しに来る。

姿はトカゲ型。集団で地球人に迫って来る様子は、ちょうどジュラシック・パークのヴェラキラプトルのようだ。ただ、武器らしきものは携帯しているのだが、どうもそれ以外はスッポンポンのようだ。

左の絵の右側のすごんでるのがそれ。デッサンが怪しげなのは夢だからです。たぶん。

なんだかんだあって、なんとか敵の前衛は退却させて何匹かを捕虜にした。彼らを捕らえている研究所に女性科学者が赴任してくる。なんと彼女は(大方の予想通り)宇宙人が化けていたのですねえ。なんともベタな展開だけど夢だから気がつかない。

左の絵の奥のが、その女性科学者が正体を現わしたとこ。監視係が私なんで、私をたぶらかすためか、とりあえず胸はある。


2004/05/03(月)自堕落な連休

どこ行っても混んでるしなあ、といつもの通り近場をうろうろとする連休。明日明後日は天気も崩れるようだし、大人しく絵でも描いているとするか。

前田侯爵邸旧前田侯爵邸洋館

旧岩崎邸をさらに凌ぐスケール。しかも無料、しかも空いている。大邸宅が舞台の漫画や小説を書こうなどという人が妄想を膨らませるには、最適の場所である。全ての部屋に暖房を供給する煉瓦造りの竈が中庭にある。巨大な煙突を持つその風情は一見の価値あり。

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となりの『日本民藝館』ものぞいてみる。パキスタンの刺繍工芸品展はつれあいの好み。私が一番惹かれたのは、鈴木繁男という工芸意匠家の雑誌『工芸』の表紙の元絵。すべて漆絵だそうだが、見事なものです。

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田中一村展』(4月29日)。

奄美を描いた画家、田中一村の回顧展をH2さん伊豫田さんと。

いや、うまい。特に軍鶏を描いた一点は絶品。

そのあとはいつものように銀座の好々亭で談論風発(しゃべりまくりともいう)オフ。

連休中の夜は、一杯やりながらDVD鑑賞。肴はちょいとあぶった(もらいものの)本物のシシャモ。これが旨い。シシャモには本物と偽者があるんだと。せちがらい。


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