06/06/30(金) ヨーロッパ文化と日本文化 06/06/27(火) 悪魔のような女たち 06/06/25(日) インサイド・マン 06/06/23(金) ギリシア神話ノート 06/06/18(日) ビル・ゲイツ引退 06/06/17(土) 集中講義織田信長 06/06/07(水) 阿弥陀堂だより 06/06/04(日) 芸術選奨文部科学大臣賞パクリ部門 |
06/05/28(日) あなたに不利な証拠として 06/05/26(金) 流れる 06/05/22(月) これがレスリングだ 06/05/07(日) これがボクシングだ 06/05/06(土) フィンランドのアラビア窯展 06/05/04(木) 現代植物画の巨匠展 06/05/03(水) 快楽亭ブラックの放送禁止落語大全 06/05/02(火) ダ・ヴィンチ・コード |
2006/06/30(金)[本]ヨーロッパ文化と日本文化
ルイス・フロイス『ヨーロッパ文化と日本文化』(岡田章雄訳/岩波文庫 )読了。
イエズス会宣教師ルイス・フロイスは、35年間日本での布教に努め、長崎で生涯を終えた。その間、当時の日本の社会を細かく観察し、ヨーロッパ文化と比較・対照して記録した。筆は、衣食住、宗教生活、武器から演劇、歌謡等々多方面に及ぶ。
【目次】男性の風貌と衣服 / 女性の風貌と風習 / 児童 / 坊主 / 寺院、聖像、信仰 / 食事と飲酒 / 攻撃用および防禦武器 / 馬 / 病気、医者、薬 / 書法、書物、紙、インク、手紙 / 家屋、建築、庭園、果実 / 船とその慣習、道具 / 劇、喜劇、舞踊、歌、楽器 / その他の異風、特殊な事
(AMAZONの商品説明より)
信長の庇護をえて布教の生涯をおくり、長大な「日本史」を著わした著述家でもあるフロイス。異人の目で当時の日本を活写する文章は素直に面白い。ただ、首をかしげる部分も多々ある。
違いの妙を強調するためか、誇張した表現(ヨーロッパでは女性が食事を作り日本では男性が作る等)や、「なぜ、これを比べるか?」という無理やりな組み合わせなどだ。
特に同業ライバルの僧侶寺社に対しては、容赦なく過激にその悪行(酒色怠惰物欲)を暴きたてている。当時のキリスト教会が東洋の仏教僧よりずっと清廉潔白だったとはとても思えないが、フロイス自身は敬虔な人物だったのだろう。それでも野蛮な東洋の異教徒を教導しに来たつもりの白人である。言葉の端々に先進国としての優越感がほの見えるのが、ちょっとつらにくい。
フロイスが列挙した東西の相違点には、単純に技術的にわが国が遅れを取っている点もあれば、肉体的条件(あちらは大きく、こちらは小さい)、気候風土など自然条件による違いなどももちろんある。挙げられている中には単なる偶然の産物でほとんど意味のないものも多い。しかし、それらをさっぴいてもなかなか日本人では気付かない興味深い点も多い。
例えば、ヨーロッパでは革、石、金属などの素材を使っているものが、日本では多く「紙」が使われれている。「障子」などは端的な例だが、これは和紙の吸水性、強靭性に依るところだろう。フロイスも「われわれは紙の上に(乾燥のため)砂をまく。彼等の紙はインクを直ちに吸い取る(ので砂の必要がない)
」と書いている。
日本人の小刀による細工技術には感心するが、馬術はヨーロッパの方がはるかに優れていたらしい。
医術ももちろんヨーロッパの方が進んでいた。しかしフロイスはこうも書いている。「ヨーロッパ人の肉体は繊弱なので、治癒が非常に遅い。日本人の肉体は頑健なので重傷、骨折および災厄からも、われわれ以上に見事に、しかも一層速やかに快復する。
」……う〜ん、スーパーニホン人。
*
ここで(特に女性に)質問だが、もし16世紀(の女性)に生まれ変わるとしたら、日本とヨーロッパとどちらを望むだろう。条件をそろえるため、どちらも裕福な階級に生まれるとする。
まあ、たいがいの女性はヨーロッパと答えるだろう。しかし、フロイスの書いた「ヨーロッパと日本の女性の違い」を読んでもらいたい。
- ヨーロッパでは財産は夫婦共有である。日本では各人が自分の分を所有している。時に妻が夫に高利で貸しつける。
- ヨーロッパでは妻は夫の許可がなくては、家から外へ出ない。日本の女性は夫に知らせず、好きな所に行く自由を持っている。
- ヨーロッパでは娘や処女を閉じ込めておくことはきわめて大事なことで、厳格におこなわれる。日本では娘たちは両親にことわりもしないで一日でも幾日でも、ひとりで好きな所へ出かける。
- ヨーロッパでは女性が文字を書くことはあまり普及していない。日本の高貴の女性は、それを知らなければ価値が下がると考えている。
- ヨーロッパでは女性がワインを飲むことは礼を失するものと考えられている。日本ではそれはごく普通のことで、祭りの時にはしばしば酔払うまで飲む。
どうだろう、意外に「自由」ということでは、ヨーロッパより日本の女性の方が満喫できていたようではないか。
え、それでもヨーロッパの方がいい?あっちの男の方がイケメンだからぁ?
むむ、これは16世紀でも21世紀でも変わらないで残っていることの一つだな。大変残念ではあるが。
2006/06/27(火)[本]悪魔のような女たち
ジュール・バルベー・ドールヴィイ 『悪魔のような女たち』(中条省平訳/ちくま文庫 )読了。
若い陸軍士官と高貴玲瓏たる美女アルベルトの秘密の逢瀬をまつ戦慄の結末、パリの〈植物園〉の檻の前で、獰猛な豹の鼻面をぴしりと黒手袋で打つ黒衣の女剣士オートクレールの凄絶な半生、みずから娼婦となってスペインの大貴族の夫に復讐を図る麗しき貴婦人シエラ=レオネ公爵夫人…。華麗なバロック的文体で描かれた六篇の数奇な物語を、魅力あふれる新訳でおくる。
(AMAZONの商品説明より)
著者は貴族出身で、19世紀フランスの小説家にして批評家。民主主義と平等を憎み、現実の王党派も軽蔑した反時代的思想家。かなり面白い人のようだが、作品も負けず劣らず、一筋縄ではいかない面白さです。
ファムファタルというのか、6編すべてのヒロインの個性が強烈で、ありきたりの悪女は一人もいない。しかも、すべて男の視線から描かれるので、ヒロインがより謎めいてエロティックに見えてくる。
編中では『ドン・ジュアンの最も美しい恋』と『罪のなかの幸福』が秀逸。
他の物語のヒロインはすべて成熟した大人の女性だが『ドン・ジュアン……』だけは13歳の小娘だ。純真で無邪気、であるがゆえに悪女になりえる。悪女ぶりも無邪気であるのだけれども。
『罪のなかの幸福』のカップルは圧倒的に美しい。以前、別のアンソロジー(創元の『怪奇小説傑作集4』)で澁澤澤龍彦訳を読んだのだが、直後にこんな夢を見たのを思い出した。夢の内容と小説の中身はまったく関係ないが、出てきた白人カップルはあきらかに『罪のなかの幸福』の主人公たちでありました。
著者は現代人から見たら、もちろん差別主義者だ。だからこそ書ける美しさもあるということだ。著者は1ダースで1組のつもりだったらしく、あと6編の作品があったはずなのに、前半6編(本書)だけで発禁処分となり、発表の機会を失ってしまったということだ。なんとも残念なことである。
2006/06/25(日)[映]インサイド・マン
両さんの街とは思えぬお洒落な店がある(歩いている人は私もふくめて両さんっぽいが)亀有アリオのMOVIXで『インサイド・マン』を見に行った。
監督は社会派のスパイク・リーということで、サスペンスものはどうか心配だったのだけど、その危惧は半分当たって半分外れた。
冒頭の犯人らしき男の独白から一転、銀行に強盗グループが押し入り、居合わせた行員と客50人をすばらしい手際で人質にして、立てこもる。銀行周囲はあっという間に封鎖され、腕利き刑事デンゼル・ワシントンが呼び出され、犯人と交渉にあたる。犯人の目的がわからないまま、虚々実々の駆け引きが繰り広げられ、やがて警官隊が突入・人質は救出されるのだが……
ここまでは実に快調なテンポ、臨場感も緊迫感も文句のつけようがありません。ところが、ここから謎の解明までが脚本がくだぐだ。謎や仕掛けも決して悪くないのだが、解決や解明のシーンの描写がうまくないので、もう一つカタルシスが感じられないのだ。監督のサスペンス映画の経験不足が出てしまったというところだろう。
※ここからネタバレがあるので注意※
ジョディ・フォスターが、銀行の会長に派遣されたやり手弁護士として登場するが、このスターを出すためだけのようなキャスティングは不要だろう。会長の秘密の暴露はこのあまり役に立たない弁護士がするのではなく、主役の刑事がラストでする方が効果的だ。
まんまと成功した犯人と主役の刑事がすれちがうシーンがあるのだが、刑事がそれに気がつくのがラストでガールフレンドといちゃついているとき、というのはあまりにマヌケな終わり方だ。これはシーンの順番を変えて、すれちがうシーンをラストにして、刑事が遠ざかり銀行内部に消えて行く。犯人がこちらに近づいてきてENDというのが、ベストの終わり方でありましょう。
スパイク・リー、名監督なのかもしれないが、サスペンス映画に関しては一年生ですな。できのいい一年生だとは思うけど。
2006/06/23(金)[本]ギリシア神話ノート
毎日のぞいているプロの絵描きさんのブログで、ギリシア神話をモチーフにしたデッサンの連作が展開されている。
元々ギリシア神話は大好きなので(鉄腕アトムのプルートウの巻やサイボーグ009のミュートス編でわくわくしたタイプ)、懐かしくなり本棚のギリシア神話関係を掘り返してみた。
折角なので少し紹介してみよう。小説でも詩でも戯曲でも絵でも彫刻でもギリシア神話は基礎知識なので知っておいて損はない、というより、物語として純粋に面白い。
【入門書】
阿刀田高『ギリシア神話を知っていますか』(新潮文庫)
がお手軽だが、私のおすすめ、というか私が最初にギリシア神話に接したのは次の2冊。
しかし、この「岩波少年少女文学全集」はとおの昔に絶版になっているらしい。
ただし、今読み返すとブルフィンチの紹介するギリシア神話は後述するオウィディウスあたりのロマンティックなものがかなり混じっていて、元々(というのが何かも諸説あって面倒くさいが)のギリシア神話とはと少しちがう気がする。
シュリーマン本も少年向けだっただけに、シュリーマンがクリミア戦争でロシアに武器を売っていた死の商人だったなんてことは全然書いてなかった。それを知ってもシュリーマンを嫌いになったりは全然しないのだが、知ったのが少年時代だったらどうだったかはわからない。
【叙事詩】
ということで、一番面白いのはやはり原典の叙事詩。最も重要で有名なヘシオドスとホメロスのほとんど全ては邦訳が出ていて、多くが岩波文庫で読めるのだからありがたい。
どんな神話伝説でもそうだろうが、ギリシア神話は異説類話の固まりで、天地の始まりからして、ヘシオドスとホメロスでは全然違う。
キリスト教だと「天地創造」だが、ギリシア神話では絶対者が創造するのではなく、なんかわからないもやもや(カオス)が固まったり(ヘシオドス)、最初から大海があったり(ホメロス)して、天地が勝手に生成される。神々が生まれるのはそのあとだ。
【補完】
長編叙事詩は以上。もちろん他にも漏れている話はたくさんある。それらの補完と、事典的な目的には次の2冊がある。
【悲劇】
ホメロスよりずっと後代になるが、神話を下敷きにしたギリシア悲劇(&喜劇)も現代の文学や美術や演劇への影響は、もしかしたら神話そのものより大きいかもしれない。
神話のファンタジックな要素はほとんどなくなり、強烈な人間ドラマの原型がごろごろしている。後代の精神分析学が深層心理の命名をギリシア悲劇に依った理由がよくわかる。
昔、人文書院版の全集を気ばって揃えたが、今ならちくま文庫ですべて手に入る。
【現代の解説本】
その他、お好みで。
*
以上が既読。ほとんどすべて20年以上前に購入したものなので、今は新訳になったり手軽な文庫になったり、さらに手にいれ易くなっていると思う。
【未読】
アマゾンのリンクを調べたついでに、未読のギリシア神話関係もちょっと調べてみた。興味をひいたものを以下に列挙してみる。
【購入】
上記のうち、『ヘレネー誘拐・トロイア落城』と『ホメーロスの諸神讃歌』をアマゾンに注文。
2006/06/18(日)[電]ビル・ゲイツ引退
米マイクロソフトのゲイツ会長、08年中に経営の一線から引退へ
私がネットをはじめた頃は「マイクロソフト=悪の帝国」というのが常識で、ビル・ゲイツをクソミソにけなすのがトレンドだった。(今もそうか?)
PCの業務用ソフト作りを生業としていて、NEC、富士通、IBM等のおれさま規格に振り回されていた身としては、実はMSのWindowsによるPCシーンの支配は大歓迎だったりしたのだ。
マイクロソフトが色々けなされてきたことは、天下を取ったのがIBMでもアップルでも同じことを言われたことだろう。ビル・ゲイツの戦略は取りたてて悪でも善でもあるまい。どんなに儲けても、PCやネットという本業から逸脱しないのは、ホリエモンあたりと大いに違うところだ。この点においては「善」と言い切っていいと思う。
マイクロソフトの戦略で一番非難されたのはIEをOSに無料で組み込んでネットスケープ社を追い落としたことだろう。逆にマイクロソフトに対抗したIBMやサンマイクロのネットPC等の戦略はうまくいかなかった。彼らはハードやソフトをMSより「売ろう」としたから失敗したのだろう。
今、マイクロソフトの牙城を脅かしているのはYahooやGoogleなどのネット企業だ。かれらが売るのはハードやソフトでなくてサービスだ。そしてそのサービスはどれも利用者から見て「無料」である。やはりただより安いものはない。無料より強い商品はない。
もちろん、YahooもGoogleもボランティアではない。広告料金という収入源があり、その広告費用はスポンサーの商品の価格に乗っている。間接的に消費者である我々が支払っているわけだ。それでも、新聞やTVやもろもろの媒体よりずっと低コストであることは間違いない。ということはYahooやGoogleに本当に脅かされているのは、マイクロソフトではなくて、新聞やTVであるはずなのだ。
今のところ、ネットで流れる情報のほとんどは二次情報であって、一次情報は新聞やTVや出版に依存している。しかし、取材力を持つどこかの新聞社か出版社が一次発信媒体をネットに移行するのも時間の問題と思える。そのとき「ネット=無料」の常識をつらぬけるかどうか。収入を広告に全面依存して公正な報道を保てるのか。
こちらは野次馬として見物しているだけだが、予想しているだけでもなかなか面白い。
2006/06/17(土)[本]集中講義織田信長
小和田哲男『集中講義織田信長』(新潮文庫)読了。
【目次】時代を先取りした信長 / 信長が生み出した尾張国とは / 武功から情報の時代へ / 「一所懸命」観の転換 / 発想力抜群の信長 / 能力本意の人材登用 / 武士道観念を変えた信長 / 乱世を治める峻厳さ / 思考の柔軟性と合理性 / 安土を天下の府とした意味 / 信長の演出力と美学 / 言行から信長の性格を読む / 信長が求めた政教分離 / ねらいは太政大臣か将軍か / 信長は天皇をどうしようとしたのか / 自ら神になろうとした信長 / 謀反を招いた信長側の問題点
珍しく見続けているNHK大河ドラマ『功名が辻』。もちろん目的は仲間由紀恵さんなのだが、意外なところでは織田信長役の舘ひろしがイイ。それほど好きな役者ではなかったのだが、魔王的な信長を演じてダースベイダーのような凄味を発している。私の中では『影武者』の隆大介を超えた歴代最高の信長役者となった。ということで、信長本を読んでみました。
*
著者は『呪術と占星の戦国史』等の著書がある戦国史の第一人者。網羅的に信長の先進研究を紹介してくれていて、過不足がない。延暦寺や安土城址の発掘調査での成果などは従来とは違う信長像を提示していて興味深い。
もちろん手軽な文庫本なので、一つ一つの考証部分が物足りないのはしかたがない。興味がある問題については類書に進め、ということでしょう。
信長のスローガン?として有名な「天下布武」。印にも使ったこの言葉は単に武力で日本を支配する、ということではなく、公家や寺家より上位に武家を置くという、一種の武家革命思想であったということだ。これが最終的に「本能寺の変」につながっていくわけだが、そのへんは読んでのお楽しみ。
*
信長研究の一次資料としては「信長公記」とフロイス「日本史」が有名だが、どちらも単なる断片的紹介ではなく、きちっと弱点や疑義も指摘されているので納得が行く。
ただ、こうなると一次資料が読みたくなってくるなあ。さいわいどちらも学術ものとしてはかなりリーズナブルな価格で出版されている。とはいえ一般人の趣味で読む本としてはちと高い。積読本を片づけながら、徐々に買って行くとしますか。
◇
といいながら、ちょっと高めで厚めのSFを買ってしまった。
オラフ・ステープルドン『最初にして最後の人間』(浜口稔訳/国書刊行会)購入。
2006/06/07(水)[映]阿弥陀堂だより
NHK-BS映画劇場で『阿弥陀堂だより』を見る。
北林谷栄の名演と樋口加南子の美しさと寺尾聡の剣の舞と信濃の自然を映して、これは名画でした。
田村高廣が凜として逝き、小西真奈美が可憐に生きる。Dr.コトーは真摯に悩み、香川京子はひそやかに耐える。
監督は黒澤組二代目小泉尭史。『雨上がる』はいまだミニ黒澤明という感がぬぐえなかったが、本作は悠揚迫らざる映像と脚本が独特の小泉節となって感動させてくれました。いい気持ちで眠れそうだ。
2006/06/04(日)[美]芸術選奨文部科学大臣賞パクリ部門
大詰め 盗作疑惑 和田氏「プロなら違い分かる」/スギ氏「裏切りだ」5日に芸術選奨 臨時選考審査会
しかし往生際の悪い先生だ。
違いもなにもこれを見たら疑問の余地なく盗作でしょう。その中から左に例をあげてみたが、他に指摘を受けたものもこれに負けず劣らず「間違いさがしですか?」というくらいの見事な出来(そっくり)である。
上が和田義彦先生の「ダンス」、真中がスーギ氏の「The ball,Nocturne」。少しは変えればいいのに。
下に変なのがおまけでついてるが、拙作の「血の味」。せめてこのくらい変えてあればオマージュとかインスパイヤとか言えたのではないだろうか。
私のはもちろん比べようもないヘッポコだが、別にスーギ氏や和田先生のを真似したわけではない。10年位前に描いた絵だから、もしかしたらスーギさんが私のをネットで見てインスパイヤなんたらで、それをまた和田さんがオマージュかんたらで(ないない)
冗談はさておき、文化庁もとっとと和田先生にやった賞を取り消してスーギ氏に謝罪しないと、日本は世界の笑い物になってしまう。ああ、恥ずかしい。
*
ネットによって一般人が情報発信能力を持った時代には、なかなかパクリはやりにくいだろう。
昔はパクリやり放題だった漫画の世界も色々と槍玉にあげられている。
「ドラゴンボール」をパクった「クロス・ハンター」や「スラムダンク」にNBAの画像のトレスがいっぱいなどなど……。みんな容赦ないなあ。
私は漫画にはうとくなってしまったので、別のジャンルの模倣ネタを紹介しよう。
左の浮世絵は歌川国芳の『木曽街道六十九次の内 落合 久米仙人と晒女』。今昔物語の中の洗濯女の太股に眼がくらんで雲から落ちた仙人の話を描いたのでしょう。なかなかに色っぽい絵です。
しかし、この絵が発行された天保期より30年ほど昔(寛政期)に喜多川歌麿が下のような絵を描いている。艶本『多歌羅久良』の中の一枚だが、どうです、構図も人物の手足の振りも男の顔もそっくりではないですか。
私はそれぞれの絵を画集で見ただけなので、業界での評価がどうなっているかは知らないけれど、どう見ても、国芳、やりやがったな、というところです。
国芳は好きな絵描きだけれど、この絵に関しては、やはりオリジナルの歌麿の方が迫真力も絵の品も上ですな。国芳はただ落ちてるだけだけど、歌麿の描くのぞき男が植木棚とともに落下した瞬間のダイナミズムは、現代のイラストレーションと比較しても遜色ない。男女の顔の色気もさすがに歌麿だ。
それでも国芳は、背景なり服装なり、オリジナリティを色々と付け加えてはいる。その点は和田先生よりずっと良心的といえるのではないかな。
2006/05/28(日)[本]あなたに不利な証拠として
ローリー・リン・ドラモンド『あなたに不利な証拠として』(駒月雅子訳/ハヤカワ・ポケット・ミステリ)読了。
警官を志望する若きキャシーは、レイプ被害者のマージョリーと出会う。だが捜査を担当したロビロ刑事は、事件を彼女の自作自演と断じる-。男性社会の警察機構で生きる女性たちを描く10篇を収録した短篇集。
(AMAZONの商品説明より)
アメリカ探偵作家クラブ賞最優秀短篇賞受賞、帯には「池上冬樹氏絶賛!読みながら何度も心が震えた」とあり、各誌紙の書評でも好評、いやがうえにも期待してしまったが、……ちょっと期待はずれ。
まず、まったくミステリではない。いわゆる警察小説でもなく、殺人や事件は起きるが謎解きや追跡はもちろん、捜査の描写さえほとんどない。かわりにあるのは女性警官(元もいるが)たちのドメスティックな日常や、職業や性別ゆえの心理的葛藤だ。著者は元々現役の警官だったというだけに、それらの描写はさすがにリアルで緻密である。
しかし、一篇一篇を普通小説として読めばなかなかのものだが、連作短編としては物足りない。それぞれの主人公があまりにも似すぎていて個性が感じられないのだ。
せっかくルイジアナ州バトンルージュ市警という舞台を同一にしたのだから、次の短編では前の短編の主人公が相対化して描かれるような(例えば、篠田節子の『死神』のような)重層化された視点があれば、もう少し連作として深化したような気がして、惜しい。
この作風なら長編の方がむいているのではないかなあ。次作が長編なら追っかけてみようかな。
*
著者ドラモンドの経歴がちょっと興味深い。
ニューヨークのカレッジで演劇を専攻するが、家族と南部へ引っ越すとルイジアナ州立大学の私服警官(これがどういう資格なのかよくわからん)を経て、バトンルージュ市警で制服警官を5年間勤める。交通事故がきっかけで30歳で退職したあと、ルイジアナ州立大学で英語の学士号と創作の修士号を取得し、大学で教鞭を取るかたわら執筆に勤しんでいる。
……本人の努力はもちろんだが、再挑戦しやすい米国社会を感じさせられる多彩さではないですか。
2006/05/26(金)[本]流れる
幸田文『流れる』(新潮文庫)読了。
大川の流れるほとりの芸者屋に、住み込んだ女中・梨花。この花街に暮らす芸妓たちの慣習と、自堕落で打算のからみあう、くろうとの世界に、梨花は困じながらも、しろうとの女の生活感覚で、誠実に応えて、働き、そこに生きる人々に惹かれていく…。時代が大きく移り変わる中で、抗いながらも、流されていく花街の人々と、そこに身を置いた女性の生活を、細やかに描いて絶賛された長編小説。新潮社文学賞、日本芸術院賞受賞。
(AMAZONの商品説明より)
ひさしぶりに美しい日本語を堪能した。よい文章は頭脳だけでなく、味覚や嗅覚までも刺激する。美味でありました。
まず、小説の冒頭を引用してみる。
切餅のみかげ石二枚分うちにひっこんでいる玄関へ立った。すぐそこが部屋らしい。云いあいでもないらしいが、ざわざわきんきん、調子を張った色んな声が筒抜けてくる。待ってもとめどがなかった。いきなりなかを見ない用心のために身を斜によけておいて、一尺ばかり格子を引いた、と、うちじゅうがぴたっとみごとに鎮まった。どぶのみじんこ、と聯想が来た。
その「家」の空気が肌に感じるようではないですか。この見事な文章がこのあとたんとんたんとんと流れるように続き、「しろとさん」の中年女性が玄人の街に生きる日々をつづっていく。
ヒロインは「くろうと」の芸妓たちからしろうととして距離を置かれるが、やがてしろうとの強さを獲得し、居場所を得、この街にいたいと思うようになる。しろうと女中の主人公が主人の長唄の稽古の出来不出来を見抜いて、「あんたは本当にしろうとかい?」と不審かられるのはちょっとすごい。
しかし、主人公の教養物語・成長物語というような小説ではない。やはり彼女の役割は「眼」である。あきらかに著者の分身である彼女の鋭い観察眼が、くろうとの街の「文化」とそこに住む女たちの性格・心情を活写していく。それがまた通りいっぺんの風俗描写や性格描写ではないのだ。
主人公が「みとっていきたい」と思うほどの名妓である女主人の描写。主人が姪の娘にしがみつかれて座り込むというか尻もちをつくシーン。
軽く笑い笑い横さまに倒れていくかたちのよさ。(略)腰に平均をもたせてなんとなくあらがいつつ徐々に崩れて行く女のからだというものを、梨花は初めて見る思いである。なんという誘われかたをするものだろう。徐々に倒れ、美しく崩れ、こころよく乱れて行くことは。横たわるまでの女、たわんで畳へとどくまでのすがたとは、人が見ればこんなに妖しいものなのだろうか。
同じことを、花街のラスボスのようなベテラン名妓が目覚めて蒲団から起き上がるだけの仕草からも感じ取り、主人公は嘆息する。
自分がざっぱくない起きかたをしているように思ったもんですから、羞しい気がして、……(略)ほんとに女らしいこなしなんてなかったんで、いまさら大変な損をしたような気がしまして
これを文化といわずしてなんといおう。
「不倫は文化だ」といって思いっきり笑われた俳優がいた。彼の場合にはとても当てはまらないが、色事の中に幸田文が描いたような「立ち居ふるまい」までを含んでいたら、それは文化といわざるをえないだろう。
*
こういう小説を面白く思えるようになったのも、年齢のせいだろうとは思う。
昔、この手の小説を亡母が「いいよぉ」と薦めるのを、「えー、だれも殺されないんじゃ、つまらん」などといって馬鹿にしてました。いまさら不明を恥じてわびることもできないが、申し訳ないことをした。いやあ、実に面白い小説でした、って遅いよ。
2006/05/22(月)[闘]これがレスリングだ
2006女子レスリング・トヨタワールドカップ名古屋の最終日が21日、名古屋市の稲永スポーツセンターで行われ、日本が3年連続5度目の優勝を飾った。
日本は予選リーグ2戦目となるウクライナ戦で、1番手の51キロ級を落としたが、59キロ級から盛り返し、6−1と大勝。決勝でもカナダを相手に1番手から6連勝した。優勝が決まった後、72キロ級の浜口京子が敗れるという波乱があったが、決勝での6−1という圧勝は女子レスリング王国・日本の強さを見せつけた形だ。
MVPには国際試合無傷の96連勝の吉田沙保里が選出された。
[Yahoo!スポーツナビ]2006/5/21
と簡単に言うが、吉田の96連勝は谷亮子をはるかに上回る大記録だ。しかも谷の48kg級と違い、層の厚い55kg級での快挙。もっと注目されてもいいと思うけどなあ。五輪の金メダリストで世界チャンピオンということでもひけを取らんし。
いかんせん、レスリングはわかりにくい。ちょろ見していた娘も「ええぇ、あれで勝ったの?」と不可解な様子。女子プロとは違うんだっての。
吉田は高速タックルで有名だが、決勝での最初のポイントのタックルもただ早いだけでなく、取ったあとの体重の寄せ方が抜群だ。後半胴タックルを巴で返されそうになっても、空中で反転してちゃんと相手の上に着地するし、相手の体も含めてのバランス感覚が凄まじいのだろう。私は男だし、吉田沙保里よりふたまわりは大きいが、彼女と喧嘩したら10秒以内に負ける自信がある。
2006/05/07(日)[闘]これがボクシングだ
世界ボクシング評議会(WBC)ミニマム級タイトルマッチ12回戦が6日、東京・後楽園ホールであり、タイ人の同級王者、イーグル京和(27)=角海老宝石=が、フィリピン人の同級1位、ロデル・マヨール(24)=三迫=を3―0の判定で降し、昨年8月に奪回したタイトルの2度目の防衛(通算3度目)に成功した。マヨールは世界初挑戦に失敗。日本ジムに所属する外国選手同士による世界戦は今回が初めて。
○イーグル京和(判定)ロデル・マヨール●
[毎日新聞]2006/5/6
ひさしぶりに格闘技を見てどきどきわくわくした。亀田のクソ試合の400倍、K1の250倍は面白い。それなのに、亀茶番がゴールデンでこちらの録画中継が深夜とはなんたることだ。
怪我による一敗のみで実質全勝のチャンピオンと無敗でKO率も高い最強挑戦者。どちらが統一王者でもおかしくない対戦は、前半は挑戦者が最軽量級とは思えぬ強打とアグレッシブな動きでチャンピオンにダメージを与える。左まぶたから流血し右目を腫らし生涯はじめての劣勢に陥ったチャンピオンはそれでも冷静にチャンスをうかがい、中盤からボディブローを中心に盛り返していく。両者の攻防のレベルの高さは、興奮より陶酔をさそうほどだ。
会場は後楽園ホール、リングアナウンスも昔風で、いかにもボクシングらしくていい。あしたのジョーの世界だ。チャンピオンは日本のジム所属のタイ人だが色白で端正なイケメンだ。リングサイドに来ていた日本人のおくさんは……まあ愛敬のあるタイプ、子供が天使のように可愛い。
挑戦者も日本のジム所属のフィリピン人、こちらは色黒でいかつい顔で、いかにもな風貌。ただしリングサイドに来ていた奥さんは色っぽいフィリピン美人。こちらは3−0の判定勝ち?
紹介されたリングサイドの有名人は千代大海ぐらい。他に伊集院静と内館牧子が来ていた。
強豪ウイラポンを破ったバンタム級の長谷川穂積といい、最近の日本ボクシング界は素晴らしいチャンピオンが結構生まれていて楽しみな時代を迎えている。スポーツ新聞は早速「イーグル、亀田に挑戦状!」とか低劣なあおりを書いているようだが、そんな阿呆な試合より、次はイーグルと新井田の統一戦をやってくれ。
◇
ローリー・リン・ドラモンド『あなたに不利な証拠として』(駒月雅子訳/ハヤカワ・ポケット・ミステリ)、ジュール・バルベー・ドールヴィイ『悪魔のような女たち』(中条省平訳/ちくま文庫)、カール・ハイアセン『幸運は誰に?(上下)』(田口俊樹訳/扶桑社ミステリー)購入。
2006/05/06(土)[美]フィンランドのアラビア窯展
天気のいい日の美術館めぐり第二弾、東京都庭園美術館に『北欧のスタイリッシュ・デザイン〜フィンランドのアラビア窯展』を見に行ってきました。
美術館は旧朝香宮邱。建物そのもが美術品といっていい美しさなので、毎度内装を見るだけでも飽きない。庭は綺麗だし、世が世ならとても下々の我々が楽しむことなどできない。時代に感謝というところだ。
展覧会の内容はリンク先などを参照してもらうとして、フィンランドといえばトーベ・ヤンセン。ムーミンをモチーフとした陶器も何点か出品されている。原作者本人の原画によるマグカップも特別コーナー(三階のウインターガーデン)に展示されているので、ファンの人はお見逃しなく。
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美術館を出たところに、二頭のアフガンハウンドを散歩させている美人がいた。白い生成りのコートに黒いパンプスが良く似合う。
犬の散歩にもきちっとした格好をするんだと変な感心をしてしまった。私の住んでいる下町のねーさんたちだったら、良くてジーンズ、へたすりゃジャージの上下だ。足元は99%スニーカー。街の風景というものは建物や道路だけでは決まらないものだね。どちらがいいというものでもないかもしれないが。
2006/05/04(木)[美]現代植物画の巨匠展
損保ジャパン東郷青児美術館に『現代植物画の巨匠展』を見に行く。
天気は快晴、風は涼しく、一年に何日とない気持ちのいい日、美術館は新宿の高層ビルの42階だから眺望は抜群、入場してすぐの窓から東京一円を望める。
以前にも「植物画世界の至宝展」で、英国王立園芸協会のボタニカルアートコレクションを見ているが、今回はシャーリー・シャーウッドという個人の方のコレクション。この女性は植物学者だけど、夫君はオリエント急行のオーナーだというすごい金持ちらしい。
作品は近代のものが多いので、技術は洗練されている。ほとんどが水彩画だが、細密画の極みのような描写はやはり現物を見ないとわからない。
リアルに描かれていればいるほど、写真とは違うなにかがあらわれてくる。帰りがけに夕食の買物に寄ったスーパーで玉ねぎの表面をつらつら眺め入ってしまいました。
2006/05/03(水)[本]快楽亭ブラックの放送禁止落語大全
快楽亭ブラック『快楽亭ブラックの放送禁止落語大全』(洋泉社)読了。
ネタの名前だけで放送禁止! 皇室ネタ、宗教ネタ、下ネタに古典のパロディ…、この男にタブーはない! テレビもラジオも放送禁止、寄席さえ出入り禁止の究極芸人・快楽亭ブラック、初の過激猛毒落語集。
「ネタの名前だけで放送禁止」というのは、たぶん「一杯のかけそば」のパロディ『一発のオマンコ』だろう。もちろん、本書に伏せ字なしで収録されている。洋泉社えらいっ!
これが出版できるということは、なかなか日本の言論の自由もすてたものではない。タイトルだけでなく内容の方も、ここに引用するのもちょっとやばいんじゃないかというネタが勢揃いだ。たとえば『道具屋・松竹篇』には脚本家を目指す与太郎が考えた「名字なき子」というシナリオが出てくる。もちろん安達祐実が一世を風靡した「家なき子」のパロディだが、その内容たるや……
郵政民営化で調子にのった小泉政権が次に民営化したのが、なんと宮内庁。植樹祭や国会の開会式や大臣の認証式まで有料化して最初は順風満帆だったのだが、株式会社化したのが運の尽き。株を創価学会に買い占められ、株主総会で池田大作が天皇になってしまう。あわれ天皇皇后両陛下は住み慣れた皇居を追い出されてしまう。皇室の切れ目が縁の切れ目と黒田家から離縁された紀宮殿下とともに親子三人が落ち行く先は三河島の四畳半アパート……
……ふう、引用する私の方がひやひやします。
この噺をある落語会でかけたとき、次の出番だった笑福亭鶴瓶が「こいつ気違いやで」とつぶやいたそうだ。それ以後鶴瓶はブラックと一緒の落語会には出なくなったたらしい。
ブラック師匠は別に左翼でも右翼でもあるまい。単にサービス精神が旺盛すぎるだけなのだろう。客を笑わすことに命を賭けているだけなのだ。逆に怒らせてしまうことも多いのは、まあしかたがないところだろう。
シモネタが平気な人なら、面白さは保証します。
しかし、落語は話芸だ。活字にしてしまってはわからない部分もある。そこはサービス精神満点のブラック師匠。本書にはちゃんとCDがついている。『道具屋・松竹篇』がまるまるともう一編。お得だと言えるでしょう。
2006/05/02(火)[本]ダ・ヴィンチ・コード
ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード』(越前敏弥訳/角川文庫[上中下])読了。
ルーヴル美術館のソニエール館長が異様な死体で発見された。死体はグランド・ギャラリーに、ダ・ヴィンチの最も有名な素描〈ウィトルウィウス的人体図〉を模した形で横たわっていた。殺害当夜、館長と会う約束をしていたハーヴァード大学教授ラングドンは、警察より捜査協力を求められる。現場に駆けつけた館長の孫娘で暗号解読官であるソフィーは、一目で祖父が自分にしか分からない暗号を残していることに気付く……。
ベストセラーになるだけの面白さがあることはたしかだけど、ストーリーは常套的ミステリの範疇で、はっきり言えばありきたりだ。まあ、その分、読みやすいことはたしかで、ハリウッドが映画化するのもうなづけるのだが。
ダイイングメッセージのパズルもそれほど秀逸とは言えない。
なんといっても面白いのは、本書の冒頭に
この小説における芸術作品、建築物、文書、秘密儀式に関する記述は、すべて事実に基づいている。
と、書かれている、聖杯伝説やキリスト教伝説等の事実?の部分である。
読んでいて一番興奮したのは、クライマックスの真犯人の対決場面ではなく、中盤、教授の友人がヒロインに聖杯伝説についてレクチャするシーンである、特にレオナルドの『最後の晩餐』の絵に示されたキリストの真相には、わくわくさせられた。
しかし、ならば、小説より、本書の訳者付記に書かれていた参考資料となる書物を読んだ方がもっと興奮させられるのではないだろうか。
ということで、何を読もうか物色中。キリスト教関係の伝説についての無知を痛感させられたのが、本書を読んだ一番の収穫?のような気がする。
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ここからはちょっとネタバレなので、未読の方はご注意ください。
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キリスト教には無知だが、本書で提示された謎というか、教会の陰謀についてはさほど意外な感じはしなかった。他の宗教でもよくあることだからなあという感想。特に異教の象徴や儀式をキリスト教の伝統と融合させ、双方が受け入れやすい混血の宗教を創り出した
というのは、古代日本で似たようなことを仏教がやっている。
本書では「異教」が具体的になにを指すのか書かれていない。しかし欧米文学で「古代の神々」と呼ばれるギリシャ神話自体、本書でキリスト教がしたという「女性原理の圧殺」の前科がある。神話の怪物=ゴーゴンや巨人や大蛇はほとんど全て大地の女神ガイアの末裔だ。醜い蛇の髪を持ち空を飛ぶのは復讐の女神たち。いずれもオリンポスの神々(男系制の新しい支配者)に征服される前は支配者だった、母系制部族の神々(大地母神)だったと言われている。
いずれにしても、処女から生まれて一生童貞のキリストより、馬飼い夫婦の子でマグダラのマリアを愛して妻にしたキリストの方が、ずっと面白いし魅力的だと思う八百万の神の国の私なのでした。
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ここの『反・ギリシャ神話』はとても面白い→バルバロイ!
「原始キリスト教の世界」というページもあるのに今さら気がついた。