06/04/21(金) スターウォーズとテンプル騎士団 06/04/16(日) 幸田文の日本語 06/04/15(土) 念力家族 06/04/11(火) お笑いに見る現代人の根源的不安 06/04/09(日) 顔をなくした女―〈わたし〉探しの精神病理 06/03/31(金) ペン先の殺意 |
06/03/27(月) 黒い時計の旅 06/03/26(日) 長谷川潔展 06/03/22(水) 想像力の芸術展 2006 06/03/21(火) クリスマス・プレゼント 06/03/19(日) ブッデンブローク家の人びと 06/03/05(日) 岩田専太郎展 |
2006/04/21(金)[映]スターウォーズとテンプル騎士団
『ダ・ヴィンチ・コード』文庫版はまだ上巻を読み終わったところだが、謎の重要なキーワードとして、テンプル騎士団の最後について書かれている。
中央集権化を狙った教皇クレメンス5世は、当時強大な権力を握っていたテンプル騎士団の壊滅を画策する。秘密裡に勅令をヨーロッパ全土に発し、1307年10月13日の金曜日に一斉に騎士団を逮捕・処刑させた。
……『スターウォーズ・エピソードIII』のジェダイ騎士団の最後にそっくりだと思いませんか。
以前、私は『レンズマン』のレビューで「スターウォーズはビジュアルイメージの部分でクロサワ映画の影響が強いことは有名だが、こうしてみると物語の骨子はアメリカの伝統的スペースオペラの系譜のもとにあることがよくわかる
」と書いたが、考えてみればSFに登場する「銀河帝国」的なものは、スミスでもアシモフでもヴォークトでも、中世以前をモデルにするのが、いわば伝統だ。
ヨーロッパ史あたりをもっと勉強した方が、本でも映画でももう少し楽しめるのでしょうな。難儀なことであります。
*
最近更新が止まっていた映画レビューサイト「m@stervision」に、スターウォーズ・エピソードIIIのレビューがアップされていた。やはり、m@氏もEP3の出来には大いに不満らしく、☆二つという評価だが、m@氏の脳内補完はさすがに老舗、私の妄想などよりはるかに面白い。うーむ、この設定のEP3が見たくてたまらん。ジョージ・ルーカスの作家としての劣化がいまさらながら口惜しい。
◇
安達祐実の母有里さん(48)が熟女ヌード、祐実の夫井戸田潤は不倫疑惑
井戸田潤のお相手は元の彼女らしい。つまらん。
私はまた、安達祐実母と義理の息子の井戸田が不倫しているのかと思ったのに。それならば、どろどろ度背徳度はかなりのもので注目度もはるかにアップしただろうに、大変残念である。
◇
浦沢直樹『PLUTO 3』(小学館コミックス)、幸田文『流れる』『きもの』(新潮文庫)購入。
2006/04/16(日)[言]幸田文の日本語
NHKの地上デジタル波の受信状態が悪いので今日の『功名が辻』はBS2の再放送を見ていた。う〜む仲間由紀恵さんは泣き顔も美しいのう、などどほくほくしているうちに流れで次のNHKアーカイブス「あの人にあいたい」も見てしまった。
何十年前の映像か知らないが、インタビューされているのは、幸田文さん。いわずとしれた文豪幸田露伴の娘にして、名エッセイスト小説家。インタビューの内容に目新しいことは別にないが、聞き惚れてしまったのは文さんの話し方、しゃべりかただ。
決して美声ではないが聴きづらくなく。ぱきぱきと歯切れが良くテンポよくどちらかといえば早口だが、やかましくない。ざっくばらんだが下品ではない。ああ、これが本当の江戸弁だよなあ、と思ってしまいました。記憶をさぐってみれば、文さんと同年代だった祖母も若い頃(といっても私が覚えているのだから50代くらいの時か)はこんなしゃべり方だったような気がする。
こういう本物を聴くと、TVや映画に登場する「江戸っ子」の「江戸弁」は全くうそっぱちなのがよくわかる。最近は落語家のしゃべる江戸弁もいいかげんなことでは例外ではないな。
まあ、いいものを聴いた、というだけで別に江戸弁を復活させたいなどとは全然思わない。とりあえず、日本橋の上の高速道路はとっぱらった方が気持ちいいだろうとは思うがね。
2006/04/15(土)[本]念力家族
笹公人『念力家族』(宝珍)読了。
俊英の短歌集。野暮な感想等は割愛して、以下私が好きな歌をいくつか引用紹介する。(収録歌数:約180)
死に際に極楽往生確信する祖母を嘲笑う背後の死に神
愛犬に翻訳声帯装着し聴く第一声はわれの悪口
落ちてくる黒板消しを宙に止め3年C組念力先生
レントゲン写真に肋骨映らないアダムと名乗る生徒の微笑
無口なるクラスメイトを訪ねれば山田けい子の蝋人形あり
地球儀でサッカーしている俺たちに天変地異のニュース飛び込む
少年時代友と作りし秘密基地ふと訪ぬれば友が住みおり
胴上げをされたる男が目撃すアパート二階の殺人事件
すさまじき腋臭の少女あらわれて部屋の般若の面が割れたり
2006/04/11(火)[TV]お笑いに見る現代人の根源的不安
なんておおげさなタイトルだけど、要するに先週録画した『エンタの神様2時間スペシャル』の感想だ。
といっても、いわゆるアルアルネタには飽きてきたので、腹抱えるほど笑ったのはコント二つしかなかった。
一つ目はネタを見るのはおひさしぶりのインパルスの「インターネット地獄」。
ネットで知り合い富士の樹海に停車中のクルマの中で自殺を決行しようとするボケの板倉とツッコミの堤下。
二人はもう一人待ち合わせた吉田という女性を待っている。
板倉の携帯に合コンの誘いメールが入る。
板倉はそわそわしつつ「今日はいけねー」と返信するが
「相手は巨乳三人」「しかも全員AV女優」
等と次々再返信され、板倉はまったく自殺する気がなくなる。
「樹海じゃなくて渋谷で自殺しよう」とかわけわからんことを言い出すが、死ぬ気満々の堤下には一切通用しない。
板倉の挙動不審を怪しんで携帯を強引に取り上げメールを読む堤下。
「なんだー、行きましょうよ、こんなおいしー話教えてくださいよ」と豹変する。
板倉も大喜びで渋谷に向かう。
と、ここまではベタな落ちだが、最後っ屁があった。
いまだ現れない女性を思い出し
「吉田さん、どうしましょう」
「いいっすよ。もうこないでしょ。それにたぶん、吉田さん不細工ですよ」
「そうですよね。俺もそう思ってたんですよ」
「不細工なら約束やぶっていいのか?!」というとこだが、観客も「そうだよね、そういう女って不細工だよね」という和気藹々とした共感のもと、大爆笑。
続いて、今、私が一押しのコント3人組、東京03。こちらも合コンネタだが。シンプルにスーパー?の従業員控え室での合コンメンバー選びから始まる。
仲間に呼んででもらえず暗くなっていた男が、誘われたとたん超ハイテンションで盛り上がって笑わせる。
「何はともあれ相手のメンバーの顔はどーなの?ブスじゃねーの?」
「はいー。写メ到着ぅ!」
「おー、文明の利器」
「えー、超かわいーじゃん」とさらに盛り上がるが、写真を見たとたん、なぜか一番盛り上がっていた男がさっと暗くなり、「俺、やっぱり行かない」と言い出す。
他の二人は当然「なんでだよ」「なに考えてんだよ」とあわてる。
「だって相手超美人じゃん、モデルみたいじゃん……俺、自信ねーよ」
「なにいってんだよ。だいじょうぶだよ」
「大丈夫じゃねーよ、じゃあ聞くけど、俺かっこいいか?お前が女の子だったら、俺が来たらアタリか?」
「なんだよ、お前かっこいいよ、山田五郎みたいだよ」などと一人は持ち上げようとするが、もう一人も「おれも、やっぱりやめるわ」と退きはじめてしまう。
このあとオチまでは省くが、残った一人の科白が秀逸。
「おれはどうだよ?それは、かっこよくはないよ!かっこ・よくはないけど、かっこ・悪くはないだろ?な?な?」
……リアルですね。この感覚、(あえて「今の」とは言わない)若い人の根源的恐怖をついているのではないだろうか。
もてるもてないだけが男女関係の尺度になってしまった日本とかなんとか言われてますが、この「もてる/もてない」は「勝ち組/負け組」みたいに単純に二分できるものではないのだよね。東京03のコントでよくわかるように「相手」あっての相対的なものなのだ。「容姿」という単一の価値によって積み上げられたヒエラルキー。ホリエモンのように「金さえあれば」と言っても、それに続くのは「やれる」であって「もてる」ではない。
この真実を小谷野敦が百万言をついやして『もてない男』『帰ってきたもてない男』を書くより、東京03の数分のコントの方が赤裸々にあばいていると思える夜でありました。
*
東京03が相対的もてない男たちとするなら、絶対的もてない男たちの聖地は2ちゃんねるの「モテない男性」板、通称「喪男」板だ。同病相哀れむ身として私が愛読するスレッドを紹介しておこう。
喪男が一人の時にするおかしな行動
男って、なんて悲しい生き物だろうと海より深く地獄よりさらに深く思い知らされるスレ。
限りなく広がる思春期の妄想again
ここにこそ人生があるのではないかと、ふと思ってしまうスレ。もちろん誤解だけどね。
2006/04/09(日)[本]顔をなくした女―〈わたし〉探しの精神病理
大平健『顔をなくした女―〈わたし〉探しの精神病理』(岩波現代文庫)読了。
色々本を読んでくると「精神分析」というジャンルは、いっときはまる人が多いのではないだろうか。私もご多分にもれずフロイトやユングや小此木圭吾や岸田秀等を読んで人間心理がわかったような気になった時があった。フロイトの汎性欲論やユングの元型理論はキリスト教やギリシャ神話のようにいまや欧米文学の基礎教養だろう。
しかし、エディプスコンプレックス論やアーキタイプ論が人間の心のメカニズムの真実を現しているかというと大いに疑問だ。早い話、分裂病や鬱病患者にいくら精神分析をしたところで、病気は治らないらしい。やはり効果があるのは投薬であり休養なのだろう。精神分析は科学というより文学に近いという方があたっているのかもしれない。
飽きっぽい私も、今はいわゆる精神分析や心理学というジャンルには興味はないのだが、本書の著者大平健だけは別で、今でも新刊を見かけると買ってしまう。『豊かさの精神病理』や『やさしさの精神病理』は今読みかえしても面白い。
著者は心理学者ではなくれっきとした精神科の医師で臨床の現場の人である。当然投薬治療を主としているのだろうが、対話療法というのか、いわゆるセラピーに長けているようだ。患者との対話の中で、患者の微妙な言葉つかいに真の(患者にとっての)意味を探っていく過程は、(使い古された言い方だが)推理小説のようである。
医学業界の内輪話的エッセイもあるが、なんといっても、紹介されている特異?な精神病症例が興味深い。
表題作の女性は、いつも顔を手で覆い、指の間からのぞきながら「わたし、顔がないんです」と訴える。魔王に顔を盗まれたのだという。
自分は「○○上人の生まれ変わりだ」と主張する青年は、家族の止めるのを振り切って「自分」が開祖の宗派の本山に登る。高齢の管長は青年の言い分を聞くや「ははあ」といって合掌し青年を拝んだという。同道した家族も驚いたことにこれで青年は正気に戻ってしまったという。これだけで話は終わらず青年はやがて再発し、著者の元に治療に通うことになる。
この手の本の定番「多重人格」の症例も収録されているが、「多重人格の様々な人格たちは『本人の一部が分離発展して一人前づらするようになったものだ』というのは必ずしも正しくないようだ
」という指摘は新鮮だ。「僕が実に興味深いと感じていた人格の生活史をとり終わる頃になると、どういうわけか新しい人格が出現していた。平凡な人格に僕が飽きかけていると別の魅力的なあるいは凶暴な人格が登場していた。どうも、僕の関心を繋ぎ止めておくために、次々と新たな人格が出てくる……そんな感じなのだ
」
どれも面白い。面白い精神病理話を書くには、やはり医学的というより文学的才能が必要のような気がする。それとも文学的才能とは実は精神医学的側面と重なるところが大きいのだろうか。
◇
ダン・ブラウン『ダ・ヴィンチ・コード(上中下)』(角川文庫)、笹公人『念力家族』(宝珍出版)、星野之宣『2001+5スペースファンタジア』(双葉社)購入。
◇
先週末は4シーズンぶりに夫婦でスキーに行ってきました。シーズン終了日の上越というのにまた積雪は280cmもあった。前日は吹雪だったという上々のコンディションでなんとか骨も折らずに帰京。筋肉痛も特になかったけど、これは用心してきつい斜面は敬遠したおかげ。年取った分、少しは智恵もついたということか、不精になっただけか。前者ということにしておきたい。
2006/03/31(金)[本]ペン先の殺意
ミステリー文学資料館編『ペン先の殺意』(光文社文庫)読了。
純文学系作家のミステリー短編アンソロジー。
たまには☆などつけてみる。(☆五つで満点、小さい☆は0.5)
谷崎潤一郎「柳湯の事件」☆☆☆☆
強いて言えばサイコ物ですが、ミステリーというよりやはり「奇妙な味」だろう。湯船に沈む死体の不気味な描写が秀逸。色々なアンソロジーに選ばれているだけのことはある名編。
芥川龍之介「疑惑」☆☆☆☆
地震と火事の中、目の前で妻を死なせてしまった男の自分自身への疑惑と恐怖。極限状況の人間の心理がひきおこす悲劇なのだけれど、味わいはホラーのようだ。男の指が一本ない原因が最後まで明らかにならないのも妙にこわい。
大岡昌平「お艶殺し」☆☆
実際の事件に材を取った、のちの『事件』等の先駆的短編。奇妙な三角関係や殺人の動機が捻っているようでもう一つピンとこない。
佐藤春夫「女人焚死」☆☆☆
こちらも実際の事件を元にしているが、凄惨な死体の具体的描写や逆に淡々とした捜査経過の記述、冷静な推理的想像が、事件の異常性を際立たせて、なかなか読ませる。
松本清張「記憶」☆☆☆☆
松本清張が非ミステリー?と思われるかもしれないが、元々は芥川賞作家だ。本編は清張得意の自己幼児期記憶探索もの(「潜在光景」「天城越え」なんていう傑作がある)。後の有名な短編につながる要素もあるが、初期作品だけに味わいは素朴だ。しかし清張の抑制の効いた文体と詩情はこの頃から健在だ。
坂口安吾「選挙殺人事件」☆☆
著者には『不連続殺人事件』という有名な長編ミステリーがあるが、本編は思いつきの域を出ない愚作。滑稽を意識した文章はさすがにうまいので☆一つだけおまけ。
小沼丹「バルセロナの書斎」☆☆
稀覯書をめぐる殺人事件。可もなく不可もない。雰囲気はいいので☆一つおまけ。
山川方夫「ロンリー・マン」☆
ショートショートだというだけで、今になって読み返すまでさっぱり頭に残らないつまらなさ。
曽野綾子「競売」☆☆
ありきたりの詐欺話。
倉橋由美子「警官バラバラ事件」☆☆☆☆☆
小学校の女教諭が同棲していた警官を殺してバラバラにして捨てたという実際の事件をもとにした傑作。冷徹な心理描写が鬼気迫る。後のベストセラー「OUT」(桐野夏生)を先取りしたような内容。解説によれば、著者の意に沿わない作品だったようだが、それでも傑作です。
遠藤周作「憑かれた人」☆☆☆
趣味にのめりこむ「マニア」な人の末路を描いて、そこそこ面白い。のめりこむ対象は著者得意の切支丹伝説。切支丹関係は素人歴史研究の穴場だというのはなかなか興味深い。
五木寛之「ヒットラーの遺産」☆☆☆☆
裏マスコミに生息する悪徳ジャーナリストを主人公に、「ヒットラーの伝説の秘密兵器用の巨大砲弾を発注された工場」という魅力的な謎を追いかけるハードボイルドタッチの佳編。もっと長い作品にしたら面白かっただろうと思う。
井上ひさし「鍵」☆☆☆☆
手紙文だけで構成された短編集『十二人の手紙』の中の一編。谷崎潤一郎に同名の長編がある。本家谷崎版は日記だという違いがあるが、あきらかに本編は谷崎版のパロディだ。それが読者へのひっかけにもなっているところが憎い。
村上春樹「ゾンビ」☆
マイケル・ジャクソンのスリラーのパロディだが、まるでつまらない。
2006/03/27(月)[本]黒い時計の旅
スティーヴ・エリクソン『黒い時計の旅』(白水uブックス/柴田 元幸訳)読了。
仮に第二次大戦でドイツが敗けず、ヒトラーがまだ死んでいなかったら…。ヒトラーの私設ポルノグラファーになった男を物語の中心に据え、現実の二十世紀と幻のそれとの複雑なからみ合いを瞠目すべき幻視力で描き出した傑作。
ヒトラーが死ななかったら……というとSFの平行世界ものを連想する。ディックの『高い城の男』なんて傑作もありました。
しかし例によってエリクソンの小説はそんな単純には話は進まない。書かれる世界もヒトラーが死んだ/死なないの二つだけではない。
主人公がヒトラー(作中ではただ「Z」と呼ばれる)に書きあたえるポルノは主人公の幻想であるのだが、その幻想も一つの現実であり、作中のヒロインは肉体を持ち人間としての苛酷な過去がある。どちらの世界が現実というわけではなく、お互いを幻視しあい、お互いの世界から生まれ、時間軸も大きな円環を描き、お互いの世界につながっていく。
いくつもの世界がからみあう構成は『Xのアーチ』より更に複雑だ。
ああ、私の文章力では、いかにも難解で読みにくそうにしか紹介できない。『Xのアーチ』のレビューでも書いたが、全然そんなことはないのだ。たしかに予定調和的なストーリー展開は望めないが、一つ一つのエピソードは面白く、文章は力強く気高く、「普通の小説」にはないめくるめくような感覚を味わえる。
エリクソンは癖になる。ちと高いのと他のは訳者が違うので躊躇しているのだが、やはりもっと読みたい。次は処女作の『彷徨う日々』あたりにしようかな。
2006/03/26(日)[美]長谷川潔展
木蓮の花満開の横浜美術館に、『銅板画家 長谷川潔展』を見に行く。
有名なマニエル・ノワール(黒の技法)の闇に浮かび上がる静物画に瞠目。
マニエル・ノワールではない、ドライポイントで木々を描いた作品も素晴らしい。技法的なことは全く無知な素人眼にも、線刻が完璧にコントロールされていることがわかる。それなのに、ペン画や細筆のような勢いを感じられるのが不思議だ。勢いのあるモチーフ(例えば樹木)を正確に刻めば、勢いも正確に再現されるということなのだろうか。
今日が最終日だったこともあり、図録は売り切れていた。人気もあるのだね。
2006/03/22(水)[美]想像力の芸術展 2006
原宿のアルスギャラリーに『国際幻想芸術協会〜想像力の芸術展 2006』を見に行く。
幻想芸術というと、マグリット、ダリ、エルンスト、デルボーといった巨匠を思い出すが、やはりそういう既存のイメージから離れた作品に眼がいく。
例えば市川伸彦氏の『バス亭』。明るい色彩の画面にゴチャゴチャとたくさんのオブジェがぶちまけられているのだが、全体としては静謐な感じなのが不思議だ。緻密な描写とデフォルメされた形態が楽しい。
モノクロームで異彩を放つ伊豫田晃一さんの2点は旧作と新作。素人目にも線密度の向上に瞠目する。モチーフは生命体のように動的で遺骸のように静的だ。
印象的だったのは、作者の方々のプロファイルを拝見していくと、若い作家の方ほどエロスの表現に禁欲的な感じがしたこと。私に近い年代の人の作品には、なんらかの形でモチーフに含まれているエロチシズムが、よりナマな表現をされているように感じた。もちろん、どっちがいい悪いということではない。年代的なものか世代的なものなのか考えるととても面白い。
やはり絵を描くのはいいなあ、と力をもらえた展覧会。歴史的名作もいいけれど、アクチュアルなものも見ていなければいけませんな。
2006/03/21(火)[本]クリスマス・プレゼント
ジェフリー・ディーヴァー『クリスマス・プレゼント』(文春文庫/池田真紀子訳)読了。
スーパーモデルが選んだ究極のストーカー撃退法、オタク少年の逆襲譚、未亡人と詐欺師の騙しあい、釣り好きのエリートの秘密の釣果、有閑マダム相手の精神分析医の野望など、ディーヴァー度が凝縮されたミステリ16作品。リンカーン・ライムとアメリア・サックスが登場する「クリスマス・プレゼント」は書き下ろし。
私は海外ドラマ、特にアメリカのミステリドラマが大好きである。最近だとNHK-Bで放映されていた『名探偵モンク』『デスペラートな妻たち』『FBI』などだ。かの『刑事コロンボ』もそうだが、日本のミステリドラマにくらべて脚本が面白い。先が読めない。気持ちよくだましてくれる。
50年位前の『ミステリ・ゾーン』『ヒッチコック劇場』を今見直しても、脚本のうまさという点は変わらない。伝統の強さを感じるところだ。
本書の面白さにも、同じエンターテインメント先進国としてのアメリカの強さを感じる。なにしろうまい。読者の意表をつくうまさは職人芸だ。
16本の収録作のうち、私のベスト3をあげると「ジョナサンがいない」「釣り日和」「被包含犯罪」。表題作の「クリスマス・プレゼント」は「ボーン・コレクター」シリーズの登場人物が活躍する番外中編。終盤で二転三転するストーリー展開をたっぷり楽しめる。
ただし、16本ほとんど全部、どんでん返しの妙味に徹した小説だ。それ以上の人物造型や心理描写等を期待してはいけません。結末の意外性を虚心に楽しみましょう。
2006/03/19(日)[本]ブッデンブローク家の人びと
トーマス・マン 『ブッデンブローク家の人びと』(岩波文庫/望月市恵訳)読了。
北杜夫激賞のトーマス・マンの自伝的小説。
著者25歳にしてはじめての長編小説だというのに、このうまさはなんだろう。
チェーホフの描いた没落の物語は貴族が主人公だが、こちらは裕福な商人=近代の資本家一家の盛衰の記録だ。
重々しく、ある意味単調な主題なのに、意外なくらい軽快に読み進むことができた。それは読者に、登場人物の誰にも過剰な感情移入を強いない、絶妙な距離感のせいだろう。
精妙な人物造型や面白いエピソードも色々あるが、なにより私にとって印象的なのは重要な登場人物四人の「死」の描写である。
悲劇性を盛り上げる劇的な死でも、ストーリー重視のテクニカルな要素としての死でもない。人々の歴史を書いていくと必然的にあらわれる「普通の」死の実相が多様な手法で描かれている。
初代の母の苦痛に満ちた死、二代目、三代目の唐突な死、四代目の必然的ともいえる早すぎる死。だれにでも訪れる、しかしだれもが日常的には目をそらしている「死」の様相にきちっと向かいあって描く筆致は繊細で冷徹だ。
小説のうまさよりも、作者の若さでこの死への洞察に、私は慄然としたのでした。おそらく私が作者がこの小説を書いた年齢で読んだとしたら、なにも感じなかったに違いない。
歳をとるのは悪いことばかりではない。
2006/03/05(日)[美]岩田専太郎展
弥生美術館で開催中の『岩田専太郎展』に行った。
日本挿絵史上の巨人。生涯に描いた挿絵、実に6万点。昔、毎日新聞社で出した4冊揃いのムックを持っているのだが、今回の展示とかぶっている絵が数点しかないのがすごい。
全盛期には30時間で24枚の挿絵を描いたそうな。しかし展示作品を見る限り、荒れた感じは全く見えない。流麗な線やデッサン力はもちろんだが、なにより構図が斬新でデザインに工夫が凝らされていて飽きない。
何本もの連載小説の挿絵を抱えたときは、それぞれ画風を変えて描いたそうだ。まさにプロフェッショナルだ。色紙に書く言葉が「迅速正確親切」だというのが笑える。「おれは芸術家ではない、挿絵職人だ」という江戸っ子らしい斜に構えた自負が感じられるではないですか。
*
弥生美術館は竹久夢二美術館が併設されていて同時に見られる。そこで気がついたのは、村主章枝は春信美人というより「夢二美人」の方ががぴったりだということでした。
◇
大平健『顔をなくした女』(岩波現代文庫)、諸星大二郎『トゥルーデおばさん』(朝日ソノラマ)、トオマス・マン『魔の山』(新潮文庫)購入。