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Columns: Subculture

「見られる」という感覚

Subculture | Technology

年末ということで(別に年末でなくても書く訳でたまたま年末だっただけだが)、テクノロジが近未来の恋愛アニメ/ビデオゲーム(以下単に恋愛ゲーム)シーンにもたらす新しいエクスペリエンスについて、想像の翼を広げてみよう。

CNET Japanの記事、次世代プレステ、ユーザーの身振りや感情も認識可能にによれば、次世代のビデオゲームコンソールには、カメラ機能が搭載され、カメラと連動してユーザーの感情を読み取ることができるようになるという。これは恋愛ゲームの「コミュニケーション」シーンを決定的に変える可能性がある。

従来の恋愛ゲームにおいて、完全に欠落していたもの、それは「見られる」という感覚である。今木氏の2000年10月16日の記事ではたとえば「見る」ことができても「見られる」ことが不可能な事態と言及され、そこからリンクが張られているパソコン通信で真の...(非常に面白いので是非最後まで読んでみて頂きたい)では「マジックミラー」という言葉で表されているように、いや、ここでは人と人との「コミュニケーション」でさえ、互いにマジックミラーを隔てたかのようなコミュニケーション不可能性・一方向性を抱えているという指摘である訳だが、それ以前に恋愛ゲームにおいては、表層的、物理的な意味でもモニタ上のキャラクタをプレーヤは「見る」ことができるが、プレーヤはキャラクタに「見られる」ことがなかった。

ビデオゲームコンソールのカメラ機能によって、こういった状況は変わるかもしれない。「他者」の視線が持ち込まれることで、今度はプレーヤが「見られる」ことができるようになるのである。多少、乱暴な言い方をすれば、これまで安全な場所から単にパートナを「選ぶ」側にいたプレーヤが、「選ばれる」側に立たされることも可能である。そしてこれは、恋愛ゲームをプレイする一部のユーザに見られるような、対人コミュニケーションに問題を抱えている人にとっては、十分な恐怖になり得る。例えば、恋愛ゲームをプレイ中のあなたは「人に見せられる」ような姿だろうか? あなたの部屋は、いつでもパートナを入れられる状態になっているだろうか? まして、モニタ上のキャラクタ(およびカメラ)に対してキョドったり(視線を泳がせたりしどろもどろになったり)していては目も当てられない。

もちろん、本当にそんなゲームが出てくると思っているのではない。ここにエンターテイメントとシミュレータに求められるエクスペリエンスの違いがある。恋愛ゲームは現実をシミュレートするものではなく、別次元のリアルを提供するエンターテイメントであり、例えそれが自己愛を増幅するリスクを伴うような害悪性を持ってしまっていたとしても、ユーザを楽しませられることが第一に要求されている。現実的には、カメラ機能を活用するとしても、プレーヤの容姿や表情、言動によって「あらゆる配慮」を行うという方向性に留まるであろう。

さて、実際の恋愛ゲームは、今後どのようなエクスペリエンスを、ユーザに提供してくれるだろうか。

Posted: 2003年12月30日 00:25 このエントリーをはてなブックマークに追加
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コメント

どうもです。

一時期、ゲームのインタラクティブ(双方向性)なんて言葉が流行ったそうですが(今はホコリかぶってますか)、
そういう意味で言っても、現時点でさえ恋愛ゲームは「ゲーム」とは定義されないのでしょうか。

ショックを受けたのが、秋風様の「恋愛ゲームはエンターテインメントであり、シミュレーターではない」というお考え。
より「リアリティ」が増せば、面白いことになりそうだと考えていた私は、それこそ用語解説における「オルタナティブ」として恋愛ゲームを捉えていたのでは、と思いました。

しかし、他ジャンルのゲームが様々なシステムを有しているのに対し、恋愛アドベンチャーやノベルは発展せず、画一化が進んだのは、
出来なかったのではなく、しなかった(求められなかった)のではないか。(もちろん、斬新なシステムを求められる方もおられるでしょうが、「恋愛」である必要はないワケで)
同じ恋愛ゲームを求めた身内が、実はアナザーというフィルタを通して違うモノを見ていたのでは、と、軽い恐怖さえ覚えました。

いや、それにしても秋風様のエントリは面白いです。考察したくなるじゃないですかw
まだまだ見てみたいですね。

では。

Posted by: 永夢 : 2014年10月12日 18:56
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