Columns: Society
オタク論と資本主義
Societyloveless zeroは恋愛アニメ/ビデオゲームという典型的なオタク商品を扱っているため、世間的にはオタクサイトに分類される訳だが、RPG/SRPGのような一部のビデオゲームにハマれるように、虚構との相性が良いことが示されているにも関わらず、世代的には興味を持ってしかるべきガンダムに全く興味を示さなかったり、そもそもアニメや漫画にほとんどアクセスしないなど、いわゆるオタク文化に全面的にコミットしきれていない部分を抱えており、特に近年の記事は、大半の観点が社会やコミュニケーション、あるいはビジネスに集中している。
これは何故なのかということを考えた時に、カイコウのオタク論は、個別には(筆者自身も書いているように)公平さに欠ける部分もあるように思われるが、オタクが忌避されるのは資本主義や市場経済に適合しないからである、という要点において興味深いものであった。他にも、高校生・大学生以降に、ビデオゲームの「悪影響」が顕在化する(意訳)という指摘が、市場経済や恋愛市場経済への適合性が重視され始める年齢ということと符号する。
もっとも、世相的には価値観が多様化したとされ、拝金主義的でなはない、これまでとは異なる部分に価値を見出す「スローライフ」や「年収300万時代」などのように、別の生き方が広がりつつある、とされる。とされる、としきりに書くのは、本当にどの程度の人がこの「スローライフ」を(自ら)志向しているのか不明でありこれ自体がメディアの操作なのではないかという気がしないでもないがためだが(年収300万云々は明らかに自分で望んで選択するものではないように思える)、ともかく、市場的な価値観軸を転換し、他とは異なるものに価値を見出すことで、充足した生き方を送る、ということではオタク的ライフスタイルは実は今になって喧伝される「スローライフ」の先駆者であったと言える(無論、サステナビリティやエコへの関心とは方向性が全く異なるのだが、「自給自足」で無から脳内で価値を生み出し続けられる2次元はある意味で「サステナブル」である)。
そして、それがゆえに、資本主義を未だに比較的シンプルに受け入れている旧い人間は、こうした「スローライフ」、あるいは時には「恋愛スローライフ」(造語)に馴染めなかった訳だ。
ただ付け加えるとすれば、先のオタク論でも多少触れられているように、オタク自体も一様ではない。世代論ということでまとめられやすいが、オタクメディアを生まれた時から日常的に浴びているより新しい世代では、オタクメディアに興じることと、市場経済や恋愛市場経済への適合性は全く相関(逆相関)がないとは言えないとしても、かなり直交するものになりつつあると考えられる。
こう言いなおそうか。「一億総オタク時代」あって、「オタク」か「非オタク」か、ということはもはや意味を持たなくなりつつある。意味があるのは、「モテ」か「非モテ」か、ということなのである、と。
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「オタク」から「オタ」へ
いつも拝見させて頂いています。
今回の記事も、色々な事を考えながら拝見しました。
最後の一文「モテ」か「非モテか」が重要である
という一文は、私と見解を共にします。
この場合、「モテ」という言葉は、コミュニケーション
スキルという私の言葉に置き換えられますが。
一方、アニメやオンラインゲームが同世代に
おけるコミュニケーションツールとして幾らかの
価値は有しているものの、恋愛強者と弱者の
関係やコミュニケーションスキルの多寡と関連して
考えると、オタクメディアはやはりコミュニケーション
スキルを(一定水準までの貢献はするものの)
一定水準以上のものに引き揚げるのに貢献しないと
考えております。その一線を越えるには、オタクメディア
と節度ある付き合い、具体的にはあまりにも時間と
資本を投下しすぎるようないわゆる古いオタク的な
付き合いをすることは避けなければならないと
私は感じております。
そして、私と同世代の二十代後半~三十代前半
クラスのオタクメディアのへびーな消費者は、これを
避けきれずに、古典的なコミュニケーション不全な
オタクをやっていると私は感じております。
斉藤環氏のオタクに関する言及は、この点を照らして
いませんし、岡田氏に至っては第一世代のエリート
オタクですから全く問題になりません。また、彼らの
オタク研究は横断的であり、縦断的ではなく、
コミュニケーション不全のオタクがどのように醸成・
発酵・腐敗していくかのプロセスを知りませんし、
気づいてすらいません。斉藤氏のオタクに関する
言説には、ここに落とし穴があると私は考えています。
彼らの見ているオタクは、いわゆる上澄みだったり、
「ハレ」の舞台のオタクだったりするわけで。
この、知識人達が指摘しない間隙に、「コミュニ
ケーションスキルがあまり発達しないまま歳くった
オタク」「職場に行っているものの社会的には
引きこもり」な予備軍が沢山存在していることを、
私は楽しく眺めています。いずれ、このことを
精神医学の世界できっちりした形式で指摘すべく、
現在資料とフィールドワークを重ねております。
問題となるのはオタクかどうかではなく、「オタクで
あるがためにコミュニケーションスキルが発達
しなかった人間は沢山いるか」や「オタク趣味に
傾倒することがコミュニケーションスキルにどう
影響するか」を、私は現在の視座の中心を
置いています。いずれ、何らかの形で、何らかの
提言が出来ればいいなと思っております。
PS:オタク論と資本主義、もいいですが、オタク論と
ポストモダン、というのも面白そうに思えます。
もし可能でしたら、是非、一視点をご呈示ください。
シロクマさん、こんにちは。
今回の記事、2つのポイントを1つの記事に入れてしまっているのが良くないですが、
コミュニケーションスキルの問題に集約されるというのは、同じスタンスですね。
オタクメディア、特にアニメ絵が何割かの人に生理的不快感を与える、
要は「キモい」と感じるということについては何となく感覚的に分かりますし、
オタクメディアへの耽溺が有害なのもやはり理屈的には分かりますが、
コミュニケーションスキルに対する具体的な悪影響について、フィールドワーク
ベースで科学的に分析されている例というのは余りないと思いますので
シロクマさんの活動には期待しております。
ポストモダン、というのは幅広いと思いますが、具体的にどの辺を
想定されていますでしょうか? 東氏とかの分野ですかね。
現代思想は以前読んでいたこともありますが、上記記事にもありますように、
私が一番楽しく感じるのは結局ビジネス畑の話だったので、余りご期待に
そえないかもです。