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Columns: Society

マイクロテロリズム待望論

Society

昨年末からの多忙月間も一区切りついたので、久しぶりにニュースでないエントリを、最近1文コメントしか書いておらず、まとまった文章が書けない身体になっているので、リハビリがてらひとつ書いてみる。

一昨日、「 国民の心配「治安の悪化」が48%…内閣府世論調査」という記事を見かけた。

半数近くの人が治安の悪化を感じていることが、内閣府が9日に発表した「社会意識に関する世論調査」結果で明らかになった。

「悪い方向に向かっている分野」(複数回答)として、「景気」や「雇用・労働条件」を抜いて初めてトップになり、国民の治安に対する不安感が浮き彫りになった。

朝日新聞でも、「刑法犯の認知件数は02年をピークに減る傾向だが、肌で感ずる「体感治安」は悪化の一途をたどっている。」としている。「体感治安」の悪化は、非合理的で一見理解不能な事件が度々発生していることが原因なのだろう。

3ヶ月ほど前、「マイクロ・テロリズムの時代」で書かれた「マイクロテロリズム」という概念が静かに広がりを見せている。つい最近には「テロルの時代と大学の使命」という印象的なエントリを書かれたumeten氏によってはてなのキーワードにも登録された(→「マイクロテロ」)。マイクロテロの意味は、早速このはてなキーワードから引用させて頂くと、

対象や場所や時間を選ばずに、相手を害したり、物を破壊したりすること。偶発的犯罪行為。

個々の事件に直接の関連性はないが、メディアや口コミを通じて連鎖的に波及し、社会の関係性を破壊していく犯罪行為。暴行や殺人などの自分より力の弱いものに対する危害や虐待、社会的マナーの欠如などが、その例である。

また、対象も場所も時間も選ばないそれは、一見して「目的も動機も不明な犯罪」として受け止められ、結果、「漠然とした社会不安」となって蓄積する。

ということである。必ずしも個人の問題だけには還元しきれない、社会構造の歪みが持たらす様々な格差や閉塞感が(一見)不可解な犯罪を引き起こしている現象を一言で表した言葉と言える。(ちなみにGoogleで"micro terorrism"を検索すると結構ヒットするが、上記のような半ば比喩的な「テロ」でなく、単に小規模のテロとして扱われていることが多そうなので、ある種の和製英語かもしれない。)

テロリズムはもともと市場主義やグローバリゼーションに対する抵抗手段として機能しているが、そもそもマイクロテロが「マイクロ」であるのは、個人主義が浸透して価値観や属性が細分化されている上に、既成の枠組みの中でも成功している人とそうでない人が出てきているため、かつてのようには多数が一致団結することが難しくなっていることがある。大きな構造として世代間格差というものがあるにせよ、正社員になりたくてもなれない若い人が増えている一方で、中高年になってリストラに遭遇したり、20代でも「個人の努力によって」ベンチャー経営などで成功している人もいるから、単純に世代間格差という言葉で片付けられない。正社員と非正社員という括りにしても、同じ正社員でも差があり過ぎるし、フリーターも望んで選択している人と望まないのに選択せざるを得ない人ではまとまらない。男性社会が根強く残る中で苦しむ女性がいる一方で、成功する女性も続出している。いきおい、「テロリズム」の活動も、マイクロ(小規模)にならざるを得ない。

ただ、こうしたマイクロテロやより消極的だがそれゆえに一層深刻な「サイレントテロ」が社会不安を増長し、社会の維持コストを高めることで、いわゆる負け組だけでなく、勝ち組にも住みにくいものになってしまう可能性は十分に考えられることである。

一方で、マイクロテロやサイレントテロに属する事件を「それ見たことか」と(まるで嬉々として)扱っていくことは、ひねくれた見方をすればマイクロテロリズムを待望しているようにも見えなくもない。

新たな階級社会が現出する中で、日本には、「ノブリス・オブリージュ(*1)」という思想が発達していないため、経済的・社会的な成功者がそうでない人を自発的に支援するという方向は期待することが難しい。少なくない意識ある人たちからは、これからの格差時代において、人々が安心できる豊かな社会を築いて行くためには、「自分とは異なる立場・境遇の人に対する想像力」が大切なことを指摘するが、合理的な理由がない限り、強者にとっては、何も弱者の境遇に想像力を働かせる必要もない訳である。

そこで、機会格差の是正やセーフティーネットの構築、何度でも再挑戦できる社会の実現が、あくまでも成功者にとってもメリットがあり合理的なことを訴求していくことが必要となる。その意味で、マイクロテロは自分に被害が及ばない限りにおいて、都合の良い動きですらあると言えなくもない。つまり、テロを起こした本人は当然罰を受けるだろうし、被害者は理不尽な不幸に見舞われるが、直接関係ない第三者からすれば、それは社会の成功者に対して、無力な自分の手を汚すことなく社会構造の歪みを是正する重要性を訴えるための格好の材料にもなるということである。

(*1)選ばれた者に伴う義務。田坂広志氏の文章から引用させて頂くと、

「高貴な人の義務」という意味の言葉であり、高貴な身分に生まれついた人間には、人々に奉仕し、献身する義務があるという、その思想を表した言葉です。

http://www.hiroshitasaka.jp/cgi-bin/tayori.cgi?81

ということ。

格差をより積極的に肯定しようという方向に向かっている日本において、今後マイクロテロやサイレントテロに類する事件がより増えていくことは恐らく間違いない。しかしこれらの「扱いやすい」言葉の使い方には十分注意する必要があると自戒すると同時に、マイクロテロを待望しなければならなくなる時期が来るのではないかと危惧するのである。

【関連: 治安に対する不安感について】
内閣府 社会意識に関する世論調査 (4/10時点ではまだ平成17年版は掲載されていないが、まもなく掲載されるものと思われる)
治安に関する世論調査

【関連: ノブリス・オブリージュについて】
欧州系多国籍企業のリーダー開発「六つの視点、三つの真実」
新しいノブリス・オブリージュたちへ

Posted: 2005年04月11日 00:54 このエントリーをはてなブックマークに追加
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コメント

何のことはない、10年前に宮台真司が「終わりなき日常」と言っていた(当時はその正体がよくわからなかった)ものが具体的になってきただけである。

すなわち、「終わりなき日常」=「悲観的~(中略)~現実肯定」だ。

小林よしのりはこの悲観的現実肯定=若者が希望を失った社会に対抗するため、
薬害エイズ訴訟の川田龍平氏を擁して市民運動というテロをやった。
これは奇跡的に成功したが、その後市民運動(=テロ)から離れられなくなった若者たちに失望して、「日常に帰れ」と言い残して運動から去っていった。
小林氏は「若者よ諦めるな、プロになって戦え」と言いたかっただけなのだから、これはこれでよかった。
だが、現実には社会はテロによっては何も変わらず、プロになって戦うには途方にくれるばかり、
結局もとの「終わりなき日常」=「悲観的現実肯定」が強化されて現在に至る。

Posted by: anomy : 2005年04月11日 22:47

この手のマイクロテロリズムの記事を読んでいて常に
思うことは、こういったマイクロテリロズムなる新しい
言葉と概念に委ねなければ現況を本当に説明する
事が出来ないのか?ということです。例えばanomy
さんは宮台の言葉を引用なさっていますが、この
ように、もう少し古くて一般的な概念である程度まで
総括できやしないのかなと思うことはしばしばです。

 それは個人的な感慨として、ちょっと質問を。
最後の一文「マイクロテロを待望しなければならなくなる」ことが危惧されていると書いてありますが、この
場合、待望しなければならない、の主語は誰に
あたるのでしょうか?危惧するの主語はわかるん
ですが、待望「しなければならない」の主語がピン
ときません。ちょっと教えて頂けたら嬉しいです。

Posted by: シロクマ : 2005年04月12日 09:00

 本来ここに書くのはアレかもしれませんが、でも
せっかくなのでこれも。ノブリス・オブリージュについて
ネット上で書かれている事が、なんとも気持ち悪く
感じられてなりません。なんか、ノブリスじゃない側
から金持ちや企業に対して一方向的に使命だ
何だを期待するような、そういう印象を受けずには
いられません。確かに金持ちなどがそういう使命を
持つべきというのは十分わかる話なんですが、それは
その裏返しに、使命を持つべき金持ちだの企業だの
がそれなりに尊敬され、それなりに優遇されている
事と表裏一体のものではないかと思うんですよ、
ですがこういう視点が欠落しているか、乏しい話が
あまりにも溢れていてどういう事なんだろうとしばしば
思います。ノブリス・オブリージュなる状況は、単に
高収入者や雇用側の使命が先行するだけでも駄目、
逆に高収入者や雇用側の尊敬や優遇だけが先行
するでも駄目、両方が同時に進行するかたまたま
並立した時にしか起こらないのではないかという気が
してならないです。権利の増大に伴って責任も増大する
という枠を踏み越えて、「使命の期待」などというもの
を金持ち連に期待する風潮は、風潮としては理解
出来ても、金持ち達を動かすインセンティブには乏しい
ことこのうえありません。ノブリス・オブリージュを金持ち
に推進させるだけのインセンティブは、現在のこの国
にないのではないでしょうか?

 イギリスのジェントルマンであれ職業軍人であれ
昔の騎士であれ、挺身的な部分や貴族性、精神
性の優越を示す事には(領地の人達の支持を
かちとる・階級制を維持する等の)何らかの利得
が隠れていたような気がして、だからこそノブリス・オブ
リージュが維持される下地があったような気がしますが、
今の日本の金持ちや「セレブ」達にそれがどこまで
あるのか、私にはわかりません。むしろそんな事よりも
金持ち同士のぱーちーに出かける時のくだらない服
でも買うほうにこそインセンティブが発生しがちのように
さえ思えてならないです。

 PS:私の職種は、職業軍人の世界に近い封建的
な制度があるため、ノブリス・オブリージュは職場での
私の適応を向上させる為の必須手段となってます。
だからこそ、私はノブリス・オブリージュに該当するもの
を数年前から職場では(←ここ重要)なるたけ行う
ようにしてますが、それはそれをやるだけの効果が
明確に意識されてのことですし、この職種じゃなかったら
やってなかったか、気づかなかったんじゃないかと思います。

Posted by: シロクマ : 2005年04月12日 09:17

>シロクマ氏

「終わりなき日常」も10年前は新しい言葉と概念でしたよ。
人生そのものを諦めた感覚は近代ではなかったのではないでしょうか。
「終わりなき日常」の前は何?「シラケ世代」?

#そりゃあ、江戸時代までさかのぼれば牧歌的風景もあるのでしょうが、
#江戸時代は鎖国によって人工的に外部からの情報を遮断した特異な時代なんですよ。

>マイクロテロを待望しなければならなくなる の主語

anomy的には、「直接関係ない第三者」全員に当てはまることだと思います。というよりかは、
社会を改善するにはテロをやってでも問題提議や動機付けをしたいと願うくせに、
自分ではその汚れや苦労を被りたくないので、常に「直接関係ない第三者」であることを望む。
あるいは、「終わりなき日常」が(普通に生活する分には刺激が少ないから)つまらないので、
その外部の娯楽や話題としてマイクロテロやサイレントテロを持ってくるケースが多い、ということです。

#10年前、あれだけ騒いでいたオウム真理教の問題も
#結局「直接関係ない第三者」にとってはワイドショーや討論番組のネタだった。

Posted by: anomy : 2005年04月12日 20:19

anomyさん、どうも。
なるほど、「終わりなき日常」ですか。そこは思いつかなかったです。夢とか希望がない日常ってことではそうなのかな。だいぶ忘れかけているので読み直す必要がありそうです。

「マイクロテロを待望しなければならなくなる の主語」についても、フォローありがとうございます。そうですね、「娯楽としてのテロ」というところまでを考えていた訳ではなかったので、これまたなるほど、というところですが、ある種のニュース番組は以前から娯楽番組であることを考えると、その意味合いも結構ありそうです。


シロクマさん、こんにちは。お久しぶりです。
「マイクロテロを待望しなければならなくなる の主語」は、「私たち」でしょうか。勝ち組には入っていないが、そこまで追いつめられていない、元「中流階層」で、黙っていればどんどんジリ貧になっていく層と考えています。

「ノブリス・オブリージュ」については、仰る通りだと思います。平等意識が根付いている日本人には政治家・お金持ち・大企業=悪みたいなところがありますからお互いさまでしょうね。もっとも、企業については、社会的責任が経営の一部として重視されるようになってきていますのでだいぶ変わってくるのではないかと思います。ただ、個人においては当然モチベートされない。ですので合理的な理由付けが必要だよ、という話で。

ある種の職場での適応向上に役立つ、というお話は興味深いです。

Posted by: 秋風 : 2005年04月14日 02:39

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Posted by: モンクレール ダウン : 2013年01月18日 22:08
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