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Columns: Society

ホワイトカラー・エグゼンプションに必要な2つの条件

Society

少々寝かせ過ぎた感もありますが。あとスパムが多過ぎてプロバイダから高負荷になっていると注意を受けているため全エントリでコメントとトラックバックを使えなくしています。ご了承ください。

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socioarcでは1年半前の2005年6月の経団連の提言から「残業」という概念をなくすホワイトカラー・エグゼンプションの「画期的な発想」に着目し、しばしばニュースエントリで取り上げてきたが、ここ2,3ヶ月で「SPA!」のような大衆向け雑誌を含め、様々なところで騒がれるようになってきている。そして、そこでは大抵残業代がなくなるような扇情的な書かれ方がされている。

論点の概要はWikipedia: ホワイトカラーエグゼンプションにまとまっているので参照頂きたいが、しかし本質的には残業代がなくなること自体が問題なのではない。きちんと成果を出して定時に帰っている人よりもだらだら残業している人の方が給料が多いというのは納得性が低いし、非効率で非生産的な会議をなくして仕事の質を高めたり、ワークライフバランスを壊し少子化を加速させている大きな要因の1つである残業が減ることは誰だってウェルカムであるはずである。その意味で時間ではなく成果で見るというホワイトカラー・エグゼンプションの理念は必ずしも間違っているものではない。

問題なのは、健全な意味での流動性に欠け、新卒を除く若年層に厳しい今の日本では、事実上、単なる人件費削減と長時間労働の正当化にしかならないことが容易に想像されることである。その結果として、ただでさえ収入が下がり続けている中で国内の個人消費がますます減速し、海外への輸出を中心とした一部の産業だけが得する(産業間のカネの移転になる)可能性が高い。これは多くの生活者が幸福を享受できる社会の方向性とは一致しない(*1)。

(*1)もちろん、日本の産業が外国に対する国際競争力を維持することは重要である。エネルギー資源にしろ、食糧資源にしろ多くを外国に頼っている日本では、圧倒的な人口を誇る中国やインドの生活水準が向上するにしたがって、これらの国と資源獲得競争が起こるのが目に見えているからだ。

そこで、ホワイトカラー・エグゼンプションのもとで仕事の質と効率を高めるためには、2つの条件を注意深くチェックして行く必要があると考えている(*2)。つまり、ホワイトカラー・エグゼンプション導入によって、1)労働者分配率(企業の売上に対する労働者への配分率)が導入前よりも一段と下がっていかないかということ、2)総労働時間が導入前よりも長くならないようにすること(労働時間を今以上に厳密に管理すること)、ということである。

(*2)一般的な「条件」として、ホワイトカラー・エグゼンプションを巡る議論の中では年収によって適用範囲を限定しようという案があり、1000万円だとか400万円だとかいう数字が一人歩きしているが、間をとって700-800万円、といった落としどころが透けて見えなくもない。基準線をいくらのところに置くにせよ、それ以上の人とそれ以下の人の分割統治として働くため、注意して見る必要がある。

これなら総人件費を圧縮することはできないが、時間当たりの賃金が上がるから何が何でも仕事の質を上げ、徹底した効率化を図らないわけにはいかない。(厳密には、早く帰りやすいスタッフ部門が得し、顧客がいるために帰れない営業部門や技術部門といった現場が損しやすい構造になりやすい側面があるが、それは職種・部門間の分配の問題。)

それでは導入する意味がない、ということになるかもしれないが、だとしたらそれこそホワイトカラー・エグゼンプションを都合良く解釈しており、単に人件費削減と長時間労働の正当化を意図しているだけということの証左である。非正規雇用と正規雇用の賃金格差是正の圧力が高まる中で、正規雇用の賃金を圧縮したいのは確かであり、そうした圧縮によってバランスを是正して行くというのは現実的だが、あくまでも全体としての労働者分配率の推移には注意が必要と考える(もっとも、妥当な労働者分配率というのが分からないが)。

「いざなぎ超え」とされる好景気にあっても生活者の景況感が一向に改善しないのは企業が賃金を増やすことに慎重なことがあるという認識が共有されるようになっている(投資を中心にしている人を別にすれば生活者にとって景気がいいというのは社会の中をカネがくるくると回転している状態だから)。企業の景気が良くなればやがて生活者にも広がるというのは、あくまでも労働分配率が維持されていた時代の話であり、雇用の「多様化」によって失業率が改善しているだけの現代には必要条件であっても十分条件ではない。

もう1つの労働時間管理については言うまでもないが、「成果」による管理はそもそも「妥当な成果」というのが客観的に示せないから、「達成すべき成果」のさじ加減を調整する(上げる)ことで事実上無制限に労働時間を伸ばす事が可能であり、ワークライフバランスどころではなくなってしまう。冒頭にも書いたように、ワークライフバランスの破綻は少子化の一層の加速や「心の病」の増加に繋がる可能性が高いため、十分なウォッチなくしては非常に危険だろう。

Posted: 2006年12月19日 00:00 このエントリーをはてなブックマークに追加
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