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ビジネスの慣性

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[business] テレビとネットはそもそも融合しないのではないか?

自作ポエム交換ソフト」であるWinnyやShareはともかく、MySpaceやYouTube、Second Lifeなどの新しい生活者参加型メディアの活用が海外を中心に進む中で、Webを著作権ビジネス、特にテレビ業界がどう取り組んで行くか、という点について、日本は現状かなり遅れを取っていると言わざるを得ない状況である(*1)。

(*1)同じメディア業界でもより先行してビジネス的に曲がり角を迎えている新聞社や雑誌社は比較的Webの取り組みにも真剣さが感じられる。

昨年後半には海賊版コンテンツのダウンロードしただけで違法ということにしようと議論されていると報道されたことも話題になった。技術的な現実性に対する疑問もある(「「ダウンロード、海賊版は禁止」は実施可能か?」など)が、その点はブラウザのキャッシュや揮発性メモリ内に一時的に配置される分にはOKだが、意図的にキャッシュの外部のストレージ・メディアに保存したらアウト、ということにすればある程度は境界線を引けそうである。その意味で、コンテンツ産業にとって嬉しくない利用をしている人に、いつでも訴えられますよ、という状態にしておくことは、一定の抑止力を持つ可能性はある。

しかしそもそも、コンテンツ産業にとってやりたいことは、コピーを防ぐ事自体ではなく、同じだけのコンテンツの生産によって、いかに高い収益を上げ、かつ産業の持続可能性を保てるか、ということであるはずである(*2)。その点においてどの程度合理的な選択であるのだろうか。

(*2)超流通などの、コピー時ではなく利用時に課金するモデルも検討されているが、必ずしも上手く行っているとは言いがたく、現状はコピー(された媒体の購入)時に課金するモデルが現実的ということになっている。

Web・ケータイWebの普及という要因だけではなく、利用シーンにおける要因として、消費者の時間・関心が限られてくるということがある。コンテンツを含む娯楽産業は本質的に消費者の時間・関心を買うという要素が強いが、様々な理由でこの総時間・関心が減少の方向に向かう(あるいは消費者層が少なくとも大きく変化する)ことが予想される。今後本格的に進行する、娯楽コンテンツを消費する年代を中心とした人口減少ということもあるが、それに加え高齢者や女性、若者を中心に労働力率が向上し、かつ長時間残業の常態化やホワイトカラー・エグゼンプションなどの施策の展開によって、消費者が自由に使える余暇は減る方向に向かう可能性もある(団塊世代の引退によって高齢者の時間は増えるが)。このような中では、限定された時間で濃密な経験が可能な比較的高価なサービスに関心が集まる可能性も考えられる。

このような消費者の時間・関心がボトルネックになる状況では、コンテンツ産業の発展という課題に対して、一部の悪い利用者に目を奪われる余りに、著作隣接権者としてのコンテンツ産業と消費者の利害が対立する構図(そしてしばしばクリエイタは蚊帳の外)と捉えるのではなく、コンテンツ産業とクリエイタ、消費者がともに同じ課題に取り組むというスタンスが必要ではないだろうか。消費者をどう味方につけるか、ということである。娯楽産業はコンテンツ産業だけではない。旅行業界にしろテーマパーク業界にしろ、消費者の限られた時間と関心を買うという意味で競合しており、手ぐすねを引いて消費者が流れてくるのを待ち構えている。コンテンツ産業だけが頑なな態度を固持すると、消費者が他の娯楽に流れてしまう可能性もある。

しかし、情報技術の進展によって、考え方を変えなければならない時代になっていることが、説明されればされるほど、著作権ビジネス側が態度を硬化させているようにも思える。ビジネスをしている裏側にいるのは私たち生活者と同じ人間であって、そこでは「行動経済学 経済は『感情』で動いている」で紹介されているような、限定合理性と呼ばれているものが働いていることが考えられる。

限定合理性とは、従来の経済学が常に利己的で経済的に正しい判断を下す「合理的経済人」ばかりによって成り立っているとしているのに対して、それは現実を表してはおらず、しばしば、感情の働きによって(経済的には)非合理的には選択をする一定の傾向が観察できるということらしい。著作権ビジネスで言えば、「現状維持バイアス」がそうである(お役所の事なかれ主義のようにあらゆるものにおいて現状維持という慣性は働くとも言えるが)。

それは、現状のビジネスモデルが何とか上手く行っている限りにおいては、新たなモデルにチャレンジすることで収益拡大を狙うよりも多少ジリ貧であってもそちらの道を選んでしまう、という思考停止での形を取って現れる。あるいは、もっとシンプルに「コピーされるのはむかつく」ということだけなのかもしれない。だとすると、仮にモノが見えている外野の人たちがいて、いくらネットに適した新たなモデルを検討すべきであるというビジネスとして合理的な提言をしたところで、本人たちに聞き入れられる期待は低い。

特にテレビは日本ではまだまだ圧倒的に強力なメディアである。テレビCMが効き難くなっており、これからは口コミだ、といった声もネット業界からは喧伝されるが、「あるある」問題で、逆にテレビの影響力が再確認されたように、「なぜテレビで紹介された商品を買ってしまうのか?」で指摘される情報バラエティ番組のプロモーション効果は大きい。

他の業界においては既存の成功体験を疑う、あるいは自ら破壊して新しいことに取り組んでいくのはむしろ当たり前であり、これまでと同じ事を粛々と続けていれば生きて行けるといったある意味ではラクなビジネスは、国の規制によって守られている(参入障壁が築かれている)一部の業界ぐらいだが、それゆえに日本のテレビ業界には当面積極的なモティベーションは働かないだろう。ただ、それが、将来取り返しのつかない状況を招かないかは危惧されるところである。

Posted: 2007年04月04日 00:00 このエントリーをはてなブックマークに追加
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コメント

クール記事を、それがあった面白い。

Posted by: MCM 店舗 : 2013年08月17日 16:55
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