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Columns: Society

「属性論」は間違いか

Society

「男性/女性は~だ」とか「団塊/ロスジェネ世代は~だ」(世代論)とかいった「属性論」で考えることは間違っているだろうか。間違っているだろうか、と言っている以上は、必ずしもそうではないのではないか、というのが今回の主旨である。いや、正しいか間違いかというよりは、「適切な仮説を元に」「正しい使い方をすることは可能」である、というのが正確だろうか。

例えば、「ロスジェネ世代は就職氷河期の影響を被って雇用面で損をしている」という指摘に対して、いや、(例えばmkusunok氏のように)自分の力で道を切り開いて成功している人はいる、あくまでも努力しているかどうかという本人の問題だ、と個人の違いに目を向け過ぎればタダの自己責任論になってしまう。

コミュニティサイトの企画をする際に、25-35歳の女性を最初のターゲットとして選ぶ、というのは1つのパターンだろうが、背景には「25-35歳の女性は同性にしろ異性にしろ多くの友人ネットワークを持っている」からそこを基点するのがユーザを増やしやすいはずだ、というのがあるだろう。いや、25-35歳の女性であっても非コミュで余り友人はいない、という人もいるかもしれないが、全体としてネットワークが広がればいい、ということになる。ファッションやコスメに対する関心なども同様だ。

「オタクは純真なキャラクタを好む」というのも、そうでもない人も当然少なくないはずだが、商品を企画する際には、そうしておけば大体無難だろう、ということになる(だから逆に「下級生2」のような作品が毒の効いたメッセージとなる…必ずしも成功しているかどうかは別として。むしろある種のゲームではこだわりがある一部のユーザが荒れ過ぎるかもしれない)。

このように、一定のボリュームの層を想定して、学術的に研究する、市場を調査・分析する、マーケティング戦略を策定する、商品を企画する、政策を立案する、といった場合には、個人レベルの枝葉末節はある程度ばっさりと切り捨てて単純化、フレームワーク化しなければ、議論や意思決定をすることができない。もちろん、そもそもその仮説が合っているかどうか、ということはあるし、性別や年齢といった分かりやすいデモグラフィック(人口統計学的)属性によるカテゴライズは、好み・嗜好の多様化とともに必ずしも有効ではなくなっており、ライフスタイルや価値観のようなサイコグラフィック(心理学的)属性をもとにした分析も重視されるようになっているが、デモグラフィック属性も依然としてベースに使われているし、いずれにしても属性でカテゴライズしていることには変わりない。

では、どのような場合には属性論は不適切だろうか。どちらかというと上記を除けば適切でない場合の方が多いかもしれないが、特に2つの使い方には注意した方が良さそうだ。

1つは言うまでもなく属性論を個人に当てはめることである。「あなたはAである」「AはXである(属性論)」、だからといって推移律的に「あなたはXである」となる訳ではない。属性論はあくまでもある程度のマスを見たときに全体的にはそうだよね、ということでしかないからだ。個人に属性をもとにしたレッテル張りをするのは、あなた個人には興味がない、と言っているようなものである。

もう1つこじれそうで避けるべきなのは、属性論を価値判断(特に否定的な)に使うことだ。「AはXである(属性論)」「だから(良い/悪い/キモい)」というのは、「A」の人から見れば、個人の人格を見ないで判断(否定)されているように感じられてしまうため、反発を招きやすい。

単に、レッテル張りに使わない、でいいかもしれない。その意味で、属性論はあくまでも「仮説として(ビジネス/政策シーンで)有効かどうか」という、ビジネスライクな、ドライなものなのではないだろうか。

4883351599消費行動の「なぜ?」がわかる実践講座ライフスタイル・マーケティング
ODSマーケティングコンサルティングチーム
宣伝会議 2006-08

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Posted: 2008年07月08日 00:00 | Trackback このエントリーをはてなブックマークする このエントリーを含むはてなブックマーク
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