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Columns: Society

希望を語る国、危機を煽る国

Society

米国の大統領選でオバマ氏が選ばれてから1ヶ月が経った。オバマ氏の演説「Yes, we can」は日本でも、共感を呼び、希望やビジョンを語る米国に対して、「この国には何でもあるが、希望だけがない」を挙げるまでもなく、少子高齢化・人口減少や年金問題、財政破綻の不安からしきりに危機を煽るばかりな日本に対する嘆きは各所で指摘されている。

「危機を煽る」のは企業のマネジメントにおいても同じである。いやむしろ、日本企業におけるマネジメントは「危機を煽る」ことばかりであると言っても良い。2007年度、日本企業で初めて営業利益が2兆円超えたトヨタですら、副会長の張富士夫氏が「トヨタはいま、歴史的危機にある」と語っていたぐらいである。(もっとも、今になってみると、その危機意識は極めて正しかったわけだが。)

企業のマネジメントが危機を煽るのはそれが都合がいいからというのはあるかもしれない。福利厚生の削減など従業員にとって都合の悪い施策を打ちやすいし、賃金を上げろという要求をかわしやすい。一方で、マネジメントがビジョンを語らないことでは、将来に対する不透明感や不安感を持ってしまうことにもなる。

では、金融危機に始まった経済の悪化がますます加速している中で、国や企業のトップ、マネジメントといったリーダに求められているのは、「希望やビジョンを語る」ことなのだろうか。

リーダが語る希望やビジョンにフォロワーがついていくためには、前提としてリーダに対する信頼感が必要だろう。政治家や官僚に対して不信感を持っている(政治家や官僚に原因があるのも確かだが)日本では、単に「希望やビジョンを語」っても、生活者はついていくだろうか。企業における経営者、マネジメントにおいても同様である。

それに、「Yes, we can」の国である米国はまた、「あなたの国家があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたがあなたの国家のために何ができるかを問おうではないか。」(ケネディ大統領の就任演説)の国でもある。行動するのは、変革を起こすのはあくまでも自分自身なのであり、政府ではない。根強い不信感を持っている一方で、何か問題が起きれば、「お上」に対応を求める日本では、どうにも相性が悪いと言わざるを得ない。

むしろリーダに求められているのは、「危機を正確に認識し、自ら前線に立って行動する」ことではないだろうか。「危機を正確に認識」するのは、対策を適切に打つために不可欠である。経済界に賃上げを要請したという日本のリーダは、「危機を正確に認識」しているだろうか。

また、「危機を煽る」だけではまだ自分の問題になっていないし、誰にだってできる。企業のリーダであれば、(フォロワーが行動するのはもちろんだが、)自ら営業の前線に立って商品を売る、仕事を取ってくることであるし、中長期視点に立って売るための仕組みづくりを考え、手を打つのであれば、もっと良い。今ほどリーダの行動が求められている時はないのではないか。

Posted: 2008年12月07日 00:00 このエントリーをはてなブックマークに追加
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