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プラットフォームの制御権

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[business] はてなブックマーク - 電子書籍の開放を阻むべきではない:佐々木俊尚 ジャーナリストの視点 - CNET Japan

日本の電子書籍を巡る動きに大きな失望感があるのは分からなくもないが、電子書籍におけるプラットフォームの選択権を、消費者が持っているかどうかは疑問だ。PC98がDOS/Vに敗退した(Windowsではなく)のは、より上位層のWindowsによって同じソフトウェアが動くようになり、消費者にとってどちらでも変わりがなくなった(それによって初めてボリュームが大きく安価に作れるDOS/Vが有利になったし、エコシステムを形成するDOS/V機メーカを味方につけることができた)からではないだろうか。

そのアナロジーで行けば、iPad、Kindleその他の端末で、日本語のコンテンツが豊富に出てくれば、より豊富で魅力的なコンテンツとサービスを持つプラットフォームが消費者によってデファクトスタンダードとして選ばれることになるだろうが、日本はまだそうなっていない。肝心の電子書籍のコンテンツが極めて限られており、どれもまだ魅力的なプラットフォーム足りえていないからだ。消費者にとっては何のメリットもないが、ある種のカルテルとして、主要な出版社が、AmazonやAppleのサービスに参加しなければ、消費者としてはコンテンツがないから選びようがない。だからこそ、電書協はこのタイミングで動いて来たのでもある。

AmazonやAppleは自社のプラットフォームにコンテンツを囲い込むべく、個別の出版社を切り崩しに来るだろうし、有力な編集者・著者を取り込もうとするだろう。電子書籍のプラットフォームの制御権は現在、出版社、編集者や著者、そして消費者からはよく見えないが流通にあり、プラットフォームのアピール競争の相手は出版社や、それ以上に編集者・著者になる。

電子書籍を開放すべきだと考えるのであれば、その方が今のままジリ貧に陥っていくよりも儲かるということを、出版社や流通に説得しなければならない(少なくとも流通が儲かるモデルはイメージ湧かないが)。むしろ、中小出版社や編集者・著者が抜け駆けしてAmazonやAppleと組んで儲かるモデルを示せれば自然と変わるのではないだろうか。それが本当に儲かるのであれば、企業は雪崩を打って参入するはずである。プラットフォームの制御権を持たない中での「電子書籍を開放すべき」という主張は、単に「そうなるといいなぁ」という希望でしかない。

関連: [business] はてなブックマーク - 電子書籍市場の課題と可能性--慶應義塾大学シンポジウムから:ニュース - CNET Japan

Posted: 2010年04月16日 00:00 このエントリーをはてなブックマークに追加
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