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過当サービスの本質
Society[society] はてなブックマーク - 日本の「日常生活の質の高さ」の裏にあるモノ。 ニートの海外就職日記
いつもながら海外ニート氏が舌好調。日本は消費者でいる限りは最高。高いサービスレベルを求める消費者が、まわりまわって労働者側になった時に過酷な労働環境をもたらしている、ということは、socioarcでも繰り返し言及しており、何故それでも消費者は高いサービスレベルを求めてしまうのか、ということについては、単に日本ではカネを稼ぐ人と使う人が違うからではないか? という仮説を持っているのだが、それは今回は置いておく。
いくつかのブックマークコメントで、高いサービスレベルと過酷な労働環境は本当に相関しているのか、という疑問が投げからられており、この指摘は一面で正しい。本当に高いサービスレベルは、高い従業員満足度からしか実現できず、それは過酷な労働環境からは生まれない。もっとも、ここで問題視されているのは、サービスに対して顧客がカネを払っていないにも関わらず、「お客様は神様」ばりに、無理な要求を通そうとすることを指してはいるのだが。本当に高いサービスレベルを享受するには海外でも日本でも高いカネを払わないといけないのは同じなのだが、そこそこのサービスに対する対価が、あるいは低価格商品に対して求められるサービスレベルが、海外と日本で大きく異なることがここでは問題になる。
何故日本では過当なサービス競争になってしまうのかということを考えれば、そこそこ高いサービスレベルと、過酷な労働環境が相関しているのではなく、第三の変数に対する擬似相関ということが分かる。つまり、戦前から何一つ変わっていない、「戦略の失敗を現場でカバーしている」ということである。
日本では、基本的に1つの産業、商品領域に対して多数の企業が参入し過ぎていて供給過剰であり、それに加えてビジネスモデルや商品での差別化が十分にできていない(もっとも、そんなに簡単にできることではないが)。勢い価格競争に巻き込まれやすくなるが、ファーストリテイリングのように、仕組みで妥当コストを実現するのではなく、安直に人件費の削減で低価格を実現しようとするから、どうしても労働強度が高まってしまう。
顧客サービスについても同じである。他に差別化の余地がないから、顧客満足度を高めることが競争上必要になるが、トップマネジメントが顧客サービスの最前線で戦っている訳ではなく、仕組み化するでもなく、現場で何とかせよ、というスタンスであれば、感情労働や長時間労働を含めた顧客サービスの負担は全て現場に降りかかって来てしまう。
もっとも、更にその背景には、日本の労働市場や解雇規制の問題もあるかもしれない。転職市場も成熟していないため、企業の持続可能性ということについても、社会的責任としての持続可能性というよりは、自分の立場を守るために、組織の持続可能性を目指してしまう。その結果、M&Aを通じた企業の再編や淘汰が進まず、産業の過密状態が解消しにくいからである。
海外脱出はもちろん選択肢であるし、自ら起業すれば別だが、雇用されて働く立場としては、いかに強い商品、ビジネスモデルを持つ企業に入り込むかしかないのではないか。
関連: [society] はてなブックマーク - 「お客様は神様だ!」 なぜ、日本では客が神なのか│ニュース2ちゃんねる
Posted: 2010年04月19日 00:00 ツイート