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Columns: Society

理論、感情、価値観、ポジション

Society

政策に対する賛成や反対、あるいは政策群の中での優先順位は、人々の頭の中でどのように決まっていまるのでしょうか。政策選択の背景を分解して考えてみると、4つの要素、すなわち「理論」「感情」「価値観」「ポジション」がありそうなことが考えられます。

「理論」は学術的にその政策が「正しい(と考える)か、間違っている(と考える)か」、です。政策に影響を与える、社会科学では特に、様々な学派が存在する場合が多いため、どの学派を正しいと考えるか自体にも人に依ります。

「感情」は、心情的に「好きか嫌いか」です。政策そのものよりも、その政策を推進する政党や政治家の印象に強く依存する場合もあります。政治家なら、一般に、クリーンなイメージ、クリアな発言、イケメンや美人ほど有利になるでしょう。

「価値観」は、その政策によってもたらされる社会や世界を「良いと思うか、悪いと思うか」です。政府の干渉を大きくしても、格差が小さい社会が公平で望ましいと考えるのと、格差が大きくても政府の干渉ができるだけ小さい方が自由で望ましいと考えるのとは、もっぱら価値観によるものと言えます。

「ポジション」は、いわゆるポジショントークといった言葉で語られるように、その政策が自分にとって「得か損か」というインセンティブベースの判断です。

さて、この4つの要素は、立場によって、どの要素が強く反映されるかが変わりそうです。

政治家や官僚は、なりたての頃は、一般に、志も高く、目指すべき社会の理想像を持っていることが期待されるます。そうでなければ、特にエリートが就く職業としては全く旨みのない国家公務員など、目指さないでしょう。ですので、「価値観」と、それを裏付ける「理論」に重きを置いていると考えられます。ただし、やがて理想に敗れると、政治家ならば選挙に通ること、官僚ならば自らが所属する省庁の組織や天下り先の拡大が最優先になってしまう、つまり、「ポジション」を最重要視することになります。(これは、政治家や官僚が悪い人間だからではなく、人間は誰しも弱いものだからです。)

メディアは、各メディアが立つ立場にせよ、官僚からレクチャーを受けるにせよ、はじめから「ポジション」が第一でしょう。財界、経済団体も言うまでもなく、所属する企業の「ポジション」から政策を提言しています。

研究者は、当然、「理論」を重視しているはずです。しかし、研究者として、十分な研究業績が上がっていないと、国やメディアの代弁者として重用されるために、考え方や発言を歪めるインセンティブが働きます。いわゆる御用学者です。当然、国やメディアが好む立場に「ポジション」を取ることになります。企業に属する研究者も、所属する企業の「ポジション」に影響されやすいと言えます。

一般の生活者はどうでしょうか。かつては、地盤・看板といった信義もありますが、それのベースとなっているのは地元への利益誘導といった損得であり、つまり「ポジション」を重視していたと言えます。しかし、都市部に人口が集中し、公共事業の削減により、地元への利益誘導といったことが難しくなって、無党派層が台頭してきて、むしろ、「感情」が第一になってきているのではないでしょうか。

先の衆議院選挙での民主党の「地滑り的勝利」には、「自民党にお灸をすえてやる」とか、閉塞感のある社会を「何か変えてくれるのではないか」といった漠然としたイメージが背景にあったと考えられます。次の選挙でも、同じようなことが起きそうです。

しかし、「感情」ベースの選択は、具体的に政策を掘り下げて考えている訳ではないため、時に危険です。何せ、政治家、官僚、メディア、経済団体、(一部の)研究者といった影響力のある人たちは、ほとんど皆「ポジション」の立場で発言しているのです。自分で選んでいるつもりで、思い通りに誘導されているだけかもしれません。

あるべき姿は、目指すべき社会の姿が「価値観」として共有された上で、「理論」によって裏付けられた政策が実行されるべきです。しかし、影響力のある人たちが皆「ポジション」で発言している以上、生活者としてももっと素直に「ポジション」を取る、つまり、自分たちの得になる政策を要求したり、自分たちの損になる政策には反対することが必要なのではないでしょうか。

Posted: 2012年07月14日 00:00 このエントリーをはてなブックマークに追加
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