◆ まみむめも - 魔魅夢MEMO ◆ HOME
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最近見た2本の映画の感想で書き残したことを少々。
*
まずは『
スパイダーマン』につっこんでおく。映画というよりスパイダーマンの設定そのものにだけど。
一番のご都合主義は、スーパー蜘蛛の超能力を得ても外観は変らないってとこね。
変ったのは眼鏡不要になったのと少しだけマッチョになったことぐらい。どっちも良い方にしか変ってない。 やはり能力的にあれだけ変ったのだから、外見も『ザ・フライ』のようにならないと論理的ではないでしょう。 八本脚は極端にしても、全身剛毛が生えるとか、単眼がもっと増えるとか(き、気持ちわるい・・)
食性も変わって、蝿やバッタが大好物にならないと糸もでないんじゃないだろうか。
でも、映画は大好きなのよ。
*
『
少林サッカー』。
こちらはもう奇想天外の試合シーンとベタなギャグに呑まれてしまうけど、恋愛心理の描写がなかなか細やかなのだ。
無職極貧だけど自信満々前向きの主人公と、自分に自信のない内向きな饅頭屋の店員のヒロインを結びつけるのは、饅頭代の代わりに主人公が置いていったボロボロのスニーカー。
靴が必要になってさがしに来た主人公に、パッチをあてた靴を差し出すヒロイン。心が通いあうきっかけとしてはうまいけどありきたりだなあ、と思っていたら、脚本はとことんこのスニーカーにこだわる。その後勝ち進んで売れ出した主人公は、そんなボロ靴を捨てて新しいスニーカーを買おう、と前向きにヒロインに語る。ヒロインは反論はしないが、表情とその後の演技で微妙な心のすれちがいを表現する。
最後のクライマックスでまたボロスニーカーが大きな役目を果たす。
こんなに恋愛描写できるのに、なぜに醜女メークにこだわる>周馳星。
◇
スティーブン・ミルハウザー『マーティン・ドレスラーの夢』(白水社)待望の新作。Amazonで購入。
TVドラマはほとんど見ない。と言っていたのが最近あやしくなってきた。
昨日の月曜日など、夜8時と早めに帰ってきてからTV見っぱなしだものなあ。
食事しながら『
ダーク・エンジェル』。しかし内容的に8時台には向いてないんじゃないかなあ。10時ぐらいからの方が視聴率も上がりそうな気がする。
9時のニュースを見たあと、PCの前へ。ネットをチェックしたり絵を描いたりTVはお休み。10時からは妻がお気に入りの『
濱マイク』につきあう。フィルム撮りのスタイリッシュな映像がいい。私は探偵マイクの居候役の
市川美和子を見たくて見ているのだが。
11時15分からはBS2で『
ERVII』。この時間のBS2の海外ドラマも良く見ている。今日は妻がお気に入りの『
バーナビィ警視』。木曜日は私好みの『
レリックハンター2』。『ダーク・エンジェル』といい、要するに巨乳で色っぽくて強いおねーさんが暴れまわるのが好みなのですね。『
ごくせん』の
仲間由紀恵お嬢は暴れまわったけど巨乳ではなかった。けど、見ていた。(カミングアウト)
それでも、平日は他には金曜日のNHKの宮部みゆき原作の時代劇ぐらい。土曜日は『
週刊こどもニュース』(←わかりやすいのだよ)『
美の巨人たち』『
爆笑オンエアバトル』。日曜日は『
新日曜美術館』。
ニュースは適宜。面白そうな映画やスポーツ中継をやっていたら都度、といっても野球は見ないので時間的にはとるにたらない。以上で、私のTV視聴のほぼ全部だ。一般的にいって多いのか少ないのか見当がつかないが、子供のときのように一回見逃したら泣き、というような情熱はないなあ。
真剣にTVを見ていた頃を思い出させる懐かしいスレッド→「
トラウマになるくらい怖かった特撮の1シーン」。
2ちゃんねるでは珍しいような臆病者で善人ばかりのまったりとしたスレです。かくいう私も臆病者の子供だったから、トラウマになった番組はもちろんある。『
少年ジェット/宇宙病人間篇』<だれも知りません。
書くのが前後してしまったけど、土曜日にNHK総合でやったアニメーション『
老人と海』はすごかった。
ガラスに3万枚の油絵を描いて撮影したという製作方法から想像してた以上の映像。アニメーションとしてはどうかという意見もあるようだが、単純に動く油絵というのではない。光、海、雲の表現がなんとも素晴らしい。波のアニメーションだけでも見る価値はある。
公式サイトでも画像の片鱗はうかがえるが、アニメの光の効果は1枚絵ではわからない。
こんなにデジタル技術が発達しても、まだまだ本物の手作りには及ばないのだね。
ミルハウザーの『
J・フランクリン・ペインの小さな王国』を思い出してしまった。
日本アニメNo.1と思っていた人にもかなりの驚愕・感動だったようだ。
2ちゃんねるでもスレッドが立っている↓
http://comic.2ch.net/test/read.cgi/asaloon/1027096911/ http://comic.2ch.net/test/read.cgi/anime/1027175768/ NHKは突然こういうのをやるからあなどれない。
かと思うとこういう↓バカなこともするのだよなあ。
NHKが「ER6・緊急救命室」2話分を放送中止 精神病患者に刺されて研修医のルーシーが死に、カーター医師が重傷を負う回ですな。私はBSで見たけど、これを放映しなかったらその後のカーター先生の苦悩がまるで理解不能になってしまうではないか。
NHKは「精神に障害のある患者が医師を刺すシーンがあり、病気に対する誤解や偏見を助長する恐れがあると判断したため」と説明している。
・・・・馬鹿です。
風野先生も書かれているが、精神病患者が医師に危害を加えるのは実際にあることだろう。
実際にあることを放送できないのなら、ニュースもやめなさい。
炎暑の中、銀座東劇で『
少林サッカー』を観る。
CGとワイヤーアクションを駆使した超常爆裂試合シーンは評判どおりの面白さだった。監督主演の
周馳星は漫画ファンらしく『キャプテン翼』に影響されたと言っているようだけど、ヴィジュアルイメージはむしろ『ドラゴンボール』だ。チームプレイなとこは『アストロ球団』か。シュートはカメハメ波よろしく炎と光を放ち、衝撃波で周囲のものを吹き飛ばす。ドーピングした敵方選手はサイヤ人のように全身の血管がふくれ上がる。やはり『ドラゴンボール実写版』はハリウッドでなくて香港で撮ってもらいたいものだ。
しかしその分、破天荒なシーンも、どうも観たことがあるような気がして、こちらの想像力をぶっちぎってくれるとこまではいってないようだ。むしろ、ラストで主人公の夢がかなって少林寺拳法が隆盛をきわめている街の風景の描写が面白い。冒頭シーンの伏線がここで生きてくるので、乗り遅れた人々がバスに超人的(少林寺的?)ジャンプで飛び乗る、なんていうスラップスティックなギャグも十分に面白い。
前半、チームの仲間が拳法に目覚めるまでのベタな展開は、確信犯的な旧めかしさで、私には少々つらかった。主人公とヒロインのロマンスはその旧めかしさが逆にいい感じではあるのだけど。
*
(以下ネタばれ注意)
ヒロイン役
ヴィッキー・チャオは抜群の美形・美脚の持ち主だが、前半は吹出物だらけの醜女メーク。一念発起してがんばってお洒落しても、勘違いのケバファッションで化け物と言われる始末。ラストでやっと美しい素顔で現れたと思ったら、今度は坊主頭。他の男の少林寺チームは有髪なんだから坊主にする必然性はないだろう。敵方の美女ツートップ、
カレン・モクと
セシリア・チャンもペイントになぜか付け髭。どうもこの監督は意地でも、美女を美女のまま出したくないようだ。なぜだ。
◇
『対談集/物語と夢』読了。→レビュー。
武田泰淳『貴族の階段』(岩波現代文庫)、夏目漱石『坊っちゃん』(岩波文庫)購入。
日劇2で『
スパイダーマン』を観る。
世間は『EP2』のレビュー花ざかりなのに、当サイトはいつも上映終了直前の感想で申しわけないような。
昔、虫プロが出していた『COM』というマンガ雑誌があって私は創刊号から愛読していた。そこに翻訳家
小野耕世が外国マンガを紹介する連載記事があったのだが、その一回めが「スパイダーマン」だった。たぶん本邦初紹介だろう。ナショナルコミックの『
スーパーマン』に対抗する、マーベルコミックの等身大のヒーロー、いや「アンチヒーロー」と紹介していた。おそらくこの「アンチヒーロー」という言葉もここではじめて使われたのではないだろうか。
オープニングクレジットの「製作者」にマーベルコミックの当時の編集長
スタン・リーの名前が見つけたときは、紹介記事を読んだころを思い出して、なつかしかったですね。
映画は手堅いエンターテインメントで理屈ぬきで面白い。こういうB級テイストは大好きだ。蜘蛛の糸によるターザンダイヴのドライブ感はもちろん、アクションシーンもスピード感があるのに動きがわかりやすく(これ大事)、楽しめる。
この手の超能力ヒーローものでいつも思う疑問が二つある。
なぜ「正義の味方」になるのか?普通、もっと私利私欲にために使うだろう。
なぜ、あんなコスチュームをわざわざ着るのか。
脚本は、この二つの疑問にちゃんと回答を与えていた。えらい。特に「正義の味方」をするにいたる出来事のつなげは、実にうまい。
コスチュームの件も映画のオリジナルだろうが、なかなか楽しい発想だ。
つっこみどころは、悪役「グリーンゴブリン」だろう。正体の実業家を演じた
ウィレム・デフォーはさすがにうまいが、般若面に鎧のようなコスチュームがださすぎ。これなら仮面ライダーの怪人の方がもっといい造型がたくさんいた。
主役
トビー・マクガイヤはユアン・マクレガーと川平慈英を混ぜたような顔だが、ピーター・パーカー役にはぴったりだ。問題はヒロインMJ役の
キルスティン・ダンストだ。なかなかチャーミングできらいではないのだが、ピーターの友人の大金持ちの御曹司の二枚目がぞっこんになるには、ちょっと美人度が不足ではないかな。まあ、あまり美人だと、女優のオーディションに落ちてばかりいるウェイトレスというリアリティがなくなるので、いいセンだとは思うが。雨の中でのノーブラショットがあるのでよしとしましょう。
青春恋愛ものとしても、なかなかいい。SFアクションものの味つけとして多すぎず少なすぎず。その意味でもいい脚本だと思います。
*
日記で行きたい行きたい騒いでいた『アリ』は、ネットで色々レビューを見ているうちに見たい気が薄れてきたのでパス。やはりドキュメントにはかなわないよなあ、と思いなおしました。
◇
『ベストセラーの戦後史1』読了。→レビュー。
松本清張『文豪』(文春文庫)購入。
じわじわと積ん読が減ってきてたのに、またずりずりと増えてきた。
NHK-BS2『
吾輩は猫である』1975年。三日ほど前に録画しておいたのを今頃観る。
悠然たるテンポととぼけた味わいが原作にふさわしい。ときどきパッと入ってくる短いカットが、いかにも
市川崑の映画を見ている気にさせてくれる。
主役の苦沙弥先生は
仲代達矢、迷亭を故
伊丹十三、寒月が
岡本信人、金貸しの金田は故
三波伸介という配役。さすがにみなさん芸達者だが、この映画に限っては女優陣のできがいい。細君の
波乃久里子、下女の
上原ゆかりもなかなかいいが、金貸しの妻役の
岡田茉莉子と娘役の
篠ヒロコの悪演技が秀逸。ヒロイン雪江は
島田陽子だが、さすがに若くて美しい。
「吾輩は猫である」なら、猫のナレーションだろうと予想していたのだが、ラストでしかナレーションは入らない。これは正解だろう。ラストには猫の死のあとに、原作にはないシーンがあるが、これが余韻があって、映画らしい良い終わり方だった。
娘が原作を読みたいといいだしたので、本棚から岩波文庫を引っ張り出した。これが昭和39年の版で見事に真っ茶色に焼けている。買いなおすことにする。
◇
夏目漱石『吾輩は猫である』(岩波文庫)、清水勲編『続ビゴー日本素描集』(岩波文庫)、いしいひさいち『文豪春秋』(創元推理文庫)購入。
買いなおした『吾輩は猫である』だが、旧版と微妙に違っているところがある。例えば旧版では「とんと見当がつかぬ」となっていたのが、新版では「
頓と見当がつかぬ」と漢字にふりがな表記になっている。旧の最後には「文庫化にあたり現代語表記にあらためた」としかないが、新では表記ルールを細かく挙げて、「平仮名を漢字に、あるいは漢字を別の漢字に替えることは原則としておこなわない」と記されている。
「改善」でありますな。さすが岩波。
今日はソフトの話、といってもFEP(かな漢字変換)の話だが、私の使っているのは
MS-IMEでも
ATOKでもなくて、エーアイソフトの
WXG4だ。
長年愛用しているのだが、Version4が出たのが1999年で、最新パッチも2000年2月以来出ていない。WindowsXPにもインストーラが未対応という、半分見捨てられたソフトだ。かな漢字変換なんて無料でOSについてくるのが当たり前の時代に、実売7000円もするパッケージなど売れないのだろう。FEPなんて言葉自体が、もう死語だな。
しかし、日本人ならFEPは(無意識のうちに)一番使うソフトだといっていい。単に長年使っているというだけではなく、WXG4には他のFEPに変えがたい良さがたくさんあるのだ。
エーアイソフトさん、一度出したからにはがんばってOS対応とバグとりぐらいはユーザーが一人もいなくなるまでやってほしい。お願い。
WXGの変換効率はMS-IMEやATOKに比べて格段に優れているわけではない。他のソフトの方が頻繁にバージョンアップしている分、全文一括変換などの場合は上だろう。しかし文節変換なら遜色ないし、旧い分軽い。
なんといっても他にないユニークな機能が色々便利なのだ。
なかでも同社の翻訳ソフト「訳せ!!ゴマ」の翻訳エンジン/辞書を積んだ「
英和和英変換」が出色だ。
「私は遺伝学研究所に勤務しています。」と入力すると
「I am working to genetics research institute.」と変換してくれる。
実際は文章を英和変換することなどは少ないが
「ギャラリー」→「Gallery」
などという単語変換に、なかなか重宝している。
「Gallery」を和英変換すると「画廊/細長い部屋/天井さじき」という候補が出てくる。
「
元号変換」は
「1972年」→「昭和47年」はあたりまえだが、
「712年」→「建久3年」には、ちょっと感動する。
「
連想変換」というのがまた変な機能で
「伝説」を連想変換すると「昔話/説話/民話/言い伝え/伝承/俗伝/昔語り」などの近い意味の候補が表示される。文章書きの人には実に嬉しい機能ではないだろうか。
「処女」だと「バージン/生娘/おぼこ/乙女/純潔/無垢」という候補だった。
変換効率は普通だといったが、妙な単語に強かったりする。「男闘呼組」「國府田マリ子」「虎舞竜」なんてとこが一発で出てくる。MS-IMEだと「山口百恵」や「吉永小百合」でさえ出ない。
WXG4は改行コードも単語中の文字として登録できるので、複数行にわたる署名なども登録できる。
その他、これでもかというほどのカスタマイズとか色々あるのだが、会社でMS-IMEを使っていて面白いことに気が付いた。
MS-IME2000では「きちがい」が変換できないのだ。「機知外」などというまるで2ちゃんねるのような変換をしてくれる。
「きちがい」だけでなく「かたわ」「びっこ「ひにん」「いざり」「せむし」・・あぶない?言葉はみんな変換できない。「ノートルダムの背無視男」ってなんだよ?
WXG4ならちゃんと「気違い」「片端」「跛」「非人」「躄」「佝僂」と変換してくれる。旧いソフトのせいかとも思ったが、MS-IME98でも変換できないことは同じだった。
これはあきらかに「言葉狩り」ではないか。公平を期して書くが、WXG4でも「めくら」と「つんぼ」は変換できなかった。どのFEPでも「盲人」と「聾唖」は変換できる。
これでは「辞書」とはいえないのではないか。ただ紙の辞書と違ってFEPの辞書はユーザーが自分で登録できるから支障はないといえばいえる。
しかし、MS-IME2002からは差別用語は辞書登録時に拒否されるという話をネットでみた。ほんとかね?(使ってないのでためしようがない)
当分はWindows2000からOSを変える気はないし、WXG4もこのバージョンのまま使っていくことになりそうだ。ひまを見てあぶない(とされているらしい)言葉をちびちび登録していくことにしよう。
◇
『ベストセラーの戦後史2』読了。→レビュー。
前回の浮世絵からマンガへの連想は少し強引だったかもしれない。
もちろん、人種的描き分けをきちっとしている作家はたくさんいる。
だれだと言われると最近全然読んでない身としては困惑するが、たとえば
小林まこととか。
人種的特徴の記号表現を美人描写に活かしているなぁと思うのは、たとえば
多田由美、彼女のサイトの
このページなどはその醍醐味がよく味わえる。日本髪の女性はちと洋風味だが。
旧い人では、時代ものばかりと思っていた御大
白土三平が、神話伝説シリーズで描いた南米ポポロ族の女性やアフリカの女占師などはちゃんとご当地美人にしていた。(作画は弟の
岡本鉄次)
『
ゴルゴ13』も多様な国籍の美女が登場するが、こちらはさいとうプロのシステマティックな作画方式で部品合成的に描かれた絵のような印象を覚える。その分感銘は薄い。
記号としての美女美少女美男美少年というのはある程度パターン化するのはしかたがないと思う。特に異性(男性マンガ家が描く美女、女性マンガ家が描く美男)はそうだ。おそらく、性のある生物は同種の異性を見分けるための「理想の異性像」を無意識の領域に持っているのだと思う。出会う生物をその像と比べて性交してよい相手かどうかを見分けるのだろう。
だから異性の絵を描く時、その「像」が影響を及ぼすのはあたりまえだ。ただ、その「像」ばかりに頼る絵は「幼い絵」になるだろう。生まれつきか幼児期に形成された「原・異性像」が、人生で実際に出会った異性の印象によって修正される。その過程を経たあとの「女(男)性像」はより魅力は増す、と思うのだがどうだろうか。たかがマンガとはいえ、そんなイットを感じられる新たな美人記号を見たいと思うのだが、まあ最近のマンガは見ていないので見当違いなことを書いているのかもしれない。
ああ、断るまでもないが、上記すべての論はもちろん自分の稚拙な絵のことなどは棚上げであります。
◇
近所のマンガ新古本屋に紙袋一杯の本を売り、『カムイ伝』の愛蔵版全15巻を買ってくる。(昔持っていた新書判は読みすぎてボロボロに分解して捨ててしまったのだ)。空いたスペースがまた埋まってしまった。
◇
『江戸浮世絵を読む』読了。→レビュー。
うちの娘は映画『
ウォーターボーイズ』を見て以来、
シルヴィ・バルタンを聞きたがり、私も懐かしさも手伝って手ごろな価格のベスト盤をAmazonで購入した。
早速聴いている娘に、ウルトラマンの
バルタン星人は「当時流行っていたシルヴィ・バルタンから取った名前だぜ」なんて、しょうもない知識を披露したりしていたのだが、
しゃべっているうちに、突然もっとしょうもないことを思いついてしまった。こういうのを天啓というのだろうか。
バルタン星人の登場した「ウルトラマン」の前のシリーズ、「ウルトラQ」に登場した怪宇宙人で
ケムール人というのがいる。
「フォッフォッフォッフォ」という笑い声もバルタン星人より旧く、元祖怪奇宇宙人といえよう。バルタン星人はセミとエビのキメラのようだが、ケムール人の容姿(リンク先参照)はなんだかわからない。
なんだかわからないがなにかに似ている。そう、あまり大きな声ではいえないが、子供の(包茎の)ペニスに似ていないだろうか。
そこでひらめいた。
「そうか!ケムール人の語源はムケール(剥けーる)人だったのだ!」。
いや、ほんとうにそうかは全然自信はないが、しかし、ケムール人の最後は地に倒れたあと、頭のてっぺんの皮の余ったとこというか、触手みたいのからなにやら液体をダラリとたらして昇天した・・ような記憶がある。
暗喩というにはあまりにもそれっぽいように思えるのは気のせいだろうか。
われながら、ほんとうにしょうもないひらめきで申し訳ない。
でも、当たっているような気もするのだよなあ。
また、いつかの夢のように、見知らぬ街の見知らぬ路を歩いている。
たそがれ時の薄明の街路で亡き母に似た顔を見かける。「オカアサン・・」と声をかけたが、ふりむいたのは母に似てはいるが少し濃いめの別人の顔。あいまいな笑顔で間違いを詫びて、行き先もわからぬ道行きに歩みをもどす。
見知らぬ街の見知らぬ駅が現れるが、路線の名も初めて聞く奇妙な名前で記憶にも残らない。路線図の駅名もあきらかに日本語だが、異国の地名のように見え、脳内に言葉を結ばない。
いつのまにか暗くなった駅前の雑踏の中に母が来ている。今度はまちがいなく母の顔で、いつもそうだったように着物に地味な羽織を着ている。淡い笑顔で「あなたが駅前にいると聞いたのでやってきたよ」という。ははあ、さっきの母に似ていた女の人も幽霊だったのかと納得する。
とりとめのない話をしたあと、母は帰るという。この見知らぬ駅から見知らぬ電車に乗って見知らぬところへ帰るらしい。一緒に来る?と聞かれたようだったが、この電車では家へは帰れないから別の駅をさがすよ、と答える。ではね、と言って母は別れを告げた。ベンチシートにちんまり座ったなつかしい姿と顔が遠ざかっていく。
母を乗せた電車が視界から消えたあと、また見知らぬ街で帰り路をさがしてとぼとぼと歩きはじめる。
たまたま見つけて、忙しいというのに、読みふけってしまったサイト。 →
選り抜きブサイコさん。
ようするに身近の
ブスでかつサイコな人の話集。「ブス」も「サイコ」も公然と口にはしにくい言葉だし、まして特定の人物を名指していうのは現代社会ではタブー中のタブーだろう。それだけに身内やネットではかっこうの「もり上がる」話題になる。
まずは典型的な2例。
→
自称痩せたらマドンナ。
→
恋の一人相撲。(こわくて最後にちょっといい話)
他の話の登場人物もこの「恋の一人相撲」の「ハマコー」のような人格類型が大部分だ。体格は肥満型で、脳内恋愛大暴走で押しも強くリビドーも強い。自己中心的で攻撃的、読んだ限りではストーカー犯罪予備軍、もしくはストーカーそのもののようだが、実際、書き手の人たちは文章では表わしきれないリアルタイム進行中の「なんともいえない怖さ」を強調している。
ハマコー型女とは違う例も少ないけれどあった。
まったく情けない男の自業自得蟻地獄話→
ブス女新入社員。
私の紹介した例だけだと女性差別サイトみたいだけど、もちろんブサイコ男の話もたくさんある。
→
個性的(ブサイク)な同僚。
→
生ゴミくん。(この話は書き手の作為が感じられるのだけど、邪推?)
どうも男ブサイコは、女に比べて迫力が一段落ちるような気がするのは私が男だからだろうか。新聞に載ってしまうような事件を起こすのはたいてい男だから、実際の男ブサイコは、笑い話ではすまないような危険度なのだろう。
こう読んでくると、現代日本の恐怖の対象は、病・老・死のような絶対的なものをのぞくと、貧困や戦争や犯罪は身近に感じないし、ましてや幽霊や妖怪ではなく、「自分と波長が違う人間」「と
自分が関係をもつこと」なんだね。私自身もとっても思い当たります。
最後に全然こわくはなくて、むしろちょっとせつないようないい話に思えなくもないのだけど、という話。
→
仲良いブス先輩。
なにか竹内久美子の『
浮気人類進化論』の実例みたいな話だ。女は浮気でいい男の子供を妊娠して、実直な配偶者に育てさせるのが遺伝子的に最良の戦略ってやつね。
十分予想できたこととはいえ、あの
”アイアン”マイク・タイソンが敗れた。
東京での
ダグラス戦での敗戦はともかく、
ホリフィールドにKO負けした時点でボクサーとしてのタイソンは終わっていた。
それでも、タイソンが抜群のパンチ力とスピードを持った驚異の若手としてのしあがってきたのを、リアルタイムでわくわくして見守った記憶のある身としては・・・・寂しいかぎりである。
やはり強姦罪で実刑をくらっていた期間のブランクが大きかったのだろう。
モハメド・アリも良心的徴兵拒否によって王座を剥奪されてから四年のブランクがあり、復帰直後の
ジョー・フレイジャー戦では生涯最初の敗北を喫した。それでもそれから黙々(でもなかったけど)と実戦をこなして精進し、ついに怪物
ジョージ・フォアマンを倒して国家に奪われていた自分の王座を取り返した。
その間の試合はすべてリアルタイムで(もちろんTVで)見ていたが、キンシャサでの勝利には本当に感動した。
なにしろアリは負けてから再挑戦するまでの三年半で十二回の試合をしている。その間にアゴを割られて半年のブランクがあるのだから、三ヶ月に一回くらいのすごいペースだ。年齢を考えればおそろしくストイックな努力をしていたのだろう。トラブルばかりで肝心の試合は一年に一度のペースにも及ばなかったタイソンとの大きな違いだ。
(うう、今日は絵を描いていたので『
ALI』を見に行けなかった。ら、来週こそ?)
さて、ボクシングヘヴィ級はスーパースターを失った。アリが引退したあと、不人気チャンピオン
ラリー・ホームスの時代が続いたときは中量級に人気を奪われていた。しかし、すぐタイソンの出現でまた黄金時代がやってきた。こんども超新星が現れるのだろうか。それとも冬の時代になるのだろうか。
◇
野田昌宏編『図説異星人』(河出書房新社)購入。
『アザーズ』を見たあとは妻と食事をしてから帰った。以前友人夫婦と六本木で食事したとき、なかなか美味かった中華料理店のチェーン店が最近銀座にできたのでそこにすることにした。六本木は香港の大衆飲茶店風だったが、こちらはより若者向け居酒屋風だ。味は前回と違うものを頼んだので同じかどうかはわからない。まあ香辛料をたくさん使ってるところは同じ(いいかげん)
もちろん、まずくはないので満腹して腹をさすりながら帰ったのだが、食べ過ぎたのか、夜中に目がさめる。異常に寝汗をかいていて、起きてからもなかなか止まらない。二ヶ月前に風邪をひく前にも一度寝汗をかいて目がさめた経験があるのでイヤぁな気分だ。しかし別に熱もないしのどが痛いわけでもないので、汗を吹き着替えてから無理矢理再就寝した。
朝起きると、喉は渇いているが体調はなんてことなく、むしろすこぶる調子いいくらいだ。ふと、ひらめくことがあり、「二ヶ月前、二ヶ月前・・・」と日記データベースを開いてみると・・・・なんと、前回寝汗をかいたの
も六本木の中華屋で食事した日の夜ではないか。
どうやら料理の中の唐辛子やそれ系の香辛料が時間差で効いたらしい。前回そのあとで風邪をひいたのはただの偶然だったようだ。
同じものを食べた妻は別になんともないらしい。私の方が繊細にできているからに違いない。(「そんなわけない」と言下に否定されたが)
◇
E.E.スミス『グレー・レンズマン』(小隅黎訳/創元SF文庫)購入。
前回あまりの混雑に観劇をあきらめた『アザーズ』を丸の内プラゼールで見る。
時は1945年、終戦直後のイギリスのジャージャー島。霧の立ちこめる森の中にたたずむ典雅だが古色蒼然とした館で、出征したまま帰らぬ夫を待ち続ける美しい人妻と幼い娘と息子。ある日突然召使いたちがいなくなったその館に三人の新しい使用人が応募してくる。雇われた彼らは女主人と子供たちの奇怪な日常にとまどう。子供たちは重度の光アレルギーで全ての部屋のカーテンは閉ざされている。学校へもいかず母親が聖書を中心に勉強を教えている。部屋のドアは必ずカギをかけなければならない。そして母も子供たちもなにかにおびえなにかを隠しているようだ・・・・
これ以上はどう書いてもこれから見る方の興趣を削ぎそうなので、あとは劇場でどうぞ。
SFXや特殊メイクや血糊をいっさい使わずに恐怖を醸成していくストイックなスクリプトは、ちょっと説明不足かなと思うぐらいで他につっこみどころがない緻密さだ。
全体の雰囲気はなんともクラシックなゴシックホラーである。こういう映画は好きだなあ。
光を遮った館が舞台のために、彩度が抑えられたモノクロ映画のように落ちついた映像だ。派手ではないが、やはり大画面で見るべき、映画だけが与えてくれる美しさだろう。
主演のニコール・キッドマンは熱演。もう少し顔に品があれば完璧なのだが、豪壮な屋敷の圧迫感に負けない存在感は上流階級の女主人にふさわしく、地味な服装に包んだ長身の姿態が美しい。
貫禄ある老女使用人を演じたフィオヌラ・フラナガンがなかなか良くて、見覚えがあるのだがなんで見たのか思えだせない。TV出演が多いらしいから、刑事コロンボかなにかかもしれない。
さて、来週は『アリ』を見に行きたいが、果たして行けるのだろうか。
全然見ていないNHKの大河ドラマのキャスティングに文句をつけるのもなんだが、
米倉涼子のお通・・・・
原作では、横笛の名手にして、そそたる美人のイメージ。
柳生石舟斎をはじめとするVIPたちが、その笛の音を愛でて(すけべ心もあったんだろうが)そばにおきたがったという、いわゆる「佳人」。
米倉ぁ、だいじょぶかあ?といいたいとこだけど、しばりつけられた武蔵を助けに素手素足で大樹によじ登るというシーンもあるから、決してミスキャストとばかりは言えない。
それより
内山理名演じるところの
朱実が「吉原の遊女」というのは??
原作と違うだけでなく、吉原が江戸にできたのは元和三年(1617年)(当時は浅草ではなく日本橋)。「宮本武蔵」のクライマックス「巌流島の決闘」は慶長十七年(1612年)。まだ吉原はただの葦でいっぱいの原っぱなんですけど。
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