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 1998年4月〜6月の日記Last up date:1998年6月20日
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フライト日記のINDEX

1998年4月10日(金) 26日(確率 26/29)

昨夜のJAL109便で妻が大阪に来ました。昨夜は、私の勤務は、24時迄でした。翌日のフライトに間に合わせる為に最後の最後迄飛行機を完全な状態に整備するのが私の仕事ですから、どんなに遅くなろうとも仕方がありません。帰宅した時は、妻は、ぐっすりと眠っていました。そして、今朝、僅か4時間の睡眠の後、起きて青垣に向かいました。案の定、車が走り出してすぐに妻は、助手席で高いびきです。まあ、疲れているんだろうなあ、と癪に触りながらも、一路、青垣へ向かいました。週間天気予報では、心配されていた天気も今日は快晴です。道の駅に着いて、フライト登録簿に名前を書きました。星野さんが久しぶりに来ていました。イクシオンのラインの被覆が剥がれていたのを先日見つけてラインの製作を依頼していましたが、届いていたので、朝のうちに取り付けをしました。平日はいつもそうですが、今日も少人数でした。今日は、先日買ったパナソニックの3CDDのデシダルビデオカメラをもって来ました。テイクオフで他人が飛ぶのを撮り続けていました。気が付いたらハングの人とコンペティターの梅ちゃんだけが残っていました。私が出ようとすると風が無くなってしまい、時には 、フオロー。いつかもこの様なことがありました。写真を撮っていて、チャンスを逃したのです。約1時間の風待ちをして無事にテイクオフしました。しかし、既に、サーマルは弱くて塔の上に行きましたが、上がりませんでした。暫く、塔の近くで粘ってから、諦めてランディングに向かいました。前山で高度処理をしようとしていたら、突然サーマルにヒットしました。弱いけれども確実に上昇して行きます。800m位に上がったので、思い切って大箕山に取り付きました。そうしたら強いサーマルに出会って大箕山上空で1200m近く迄上がりました。もっと上げてどこかに行ってみたくなりました。練習場のグリーンパークとユリ山が見えました。前に、豪君がユリ山で上げていたのを見ました。「よし、今日は、ユリ山で2000m迄上げてタキ連山をなめよう」とユリ山に向かいました。ところが、ユリ山に行ったらどこにも上昇風はなく、下がる一方でした。仕方なく、道の駅近くの河原に向かい、無事に着陸しました。1時間11分のフライトでした。植松さんが妻とが回収に来てくれました。藤本さんと平井さん、山下さんが同乗していました。私が車を降ろそうとしましたが、山下さんが機体を持って来て いないそうで降ろしてくれることになりました。と言うことで2本目を飛びました。南テイクオフからです。南テイクオフは先月整備して2機が同時に広げられます。又、ビデオを撮りました。他人のビデオばかり撮っても仕方ないと思いながらもつい撮影していました。2本目のフライトは、13分でした。まだまだ飛べるコンディションですし、蔀さんが来たし、どうしようかなと思いましたが、久しぶりのフライトで疲れて妻も「もう満足」と言うので予定どおり大阪造幣局の桜の通り抜けに行くことにしてショップを後にしました。

1998年4月11日(土) 27日(確率 27/30)

造幣局の桜の通り抜けに妻は感激していました。今朝も早く起きて、青垣に行きました。ショップに着いてから豪君のパソコンのインターネットの設定をしているうちに先発隊はテイクオフに向かっていました。妻も瀬川さんもさっさとテイクオフに行ってしまいました。植松さんが誘ってくれましたので乗せて行って貰うことにしました。南テイクオフを見ると大勢の人が順番待ちをしていました。私達は、東テイクオフに行きました。こちらも大勢の人がいましたが、まだ余り出ていません。「どうして出ないの?」と聞くと「良い時に来たネ。今、風が入った所なんだヨ」とのことでした。早速、支度して列に並びました。南テイクオフから出た妻は高く上げています。そして、ウドさんこと瀬川さんのソウルも調子よく上げています。一時は瀬川さんのソウルが一番高い所にいました。東テイクオフは、少し弱い風でひとりテイクオフするのに時間がかかっています。やっと私の番が来て、出られました。テイクオフ前ですぐにサーマルにヒットしてセンタリング。そのまま回し続けて5分後には、先に上げていた人と同じ高度の1200mの位置にいました。加藤さんに「安全山に向かって良いですか」と聞 いてOKの返事を貰って移動開始しました。テイクオフしてから15分後には、安全山に取り付きました。植松さんが安全山の近くでセンタリングしています。妻は、カヤマチ山の低い所でセンタリングしていましたが、私は、通過して行きました。植松さんと常陰さんは南斜面に行きましたが、私は、北斜面を飛びました。南斜面でも最初苦戦していましたが、この時間は、南からの風が入って来ると見えて上昇していました。私は、米のタンクの上でサーマルを拾っていましたが、弱くてすぐに消えてしまいます。20分位粘って近くのタンボに降ろしました。ショップに携帯で連絡してたたんでいると赤のオメガ4と白のイクシオンがランディングしました。無線で連絡してロールアウトの足立さんとTAKのフライヤーと分かりました。その無線を聞いて、ショップに行く途中の藤田さんが寄ってくれました。無事に回収して貰いました。
1本目を飛んだ妻は、2本目を飛んでいました。ショップで休んでいると妻から「1400m迄上がりましたが、行って良いですか?」と加藤さんに無線が入りました。「どこへ行くんですか?」と加藤さん。「行って良いですか?」と妻。ショップにいた人は、皆、笑いをこらえていました。どうも無線のスイッチをちゃんと押さずに喋っている為にトンチンカンになっているらしい。「加藤さんがどこに行くのか聞いています。安全山に行きたいのですか? 安全山が確認出来ますか?」と私。「はーい、出来ます」「それでは気を付けて行って下さい」ショップで無線を聞いていた加藤さんの奥様が「心配でしょう?」「はあ、出来れば行かないで欲しいですけれど・・・」なにせ方向オンチ、機械オンチの妻です。
2本目を飛ぶためにテイクオフに着いた私の携帯に妻から連絡が入りました。安全山近くのタンボに無事降ろして民家の電話を借りて電話していると意気揚々と話していました。すぐに加藤さんに無線をいれました。一安心。
私の2本目は、41分でした。塔の上で粘りましたが余り上がりませんでした。
夜、加藤さんの提案で花見をしようと言うことになり、加藤さんの家で宴会をしました。妻とふたりで鍋の買い出しをしたりして楽しい夜を過ごしました。飛んだ後の酒の旨いこと、特に、妻にとっては、初めてのクロカンで美味しかったと思います。今宵の宿は、フライヤーが共同で借りている民家にビジターで泊めて貰いました。久しぶりにあったメーリングリストの仲間の岸本さんと美味しいワインで2時頃迄飲んでいました。

1998年4月12日(日) 27日(確率 27/31)

朝一番で飛ぼうと言う話が昨日あって、私は、どうせぶっ飛びだからと興味を示しませんでした。しかし、妻は違いました。飛びたそうでした。朝、5時半から皆、起き出していました。私は、3時間しか寝ていません。付き合うことにしました。道の駅で登録してからテイクオフに行きました。TAKの長野さんら3人がもう来ていました。テイクオフに風が入っていますが、方向が定まりません。時折、林の木々が鳴いています。暫く、眺めていましたが、飛べそうもなく諦めて降りました。「まろうど」と言う洒落た喫茶店でモーニングサービスを食べました。この店は、とても素敵なコーヒーカップを使っています。お薦めの店です。
ショップに行くとグリーンパークで練習しているそうで、行って見ました。ところが強風でとても練習になりません。危険なので中止となりました。空は晴れていますが、この強い風の中では話になりません。早めに帰宅しました。

1998年4月16日(木) 28日(確率 28/32)

前夜の気象情報を見たら、誰でも今日は、飛びに来なければと思わせるものでした。晴マークだけが痛い程出ていました。私は、昨夜は、遅番でしたが、そんなことは関係ありません。こんな日に飛ばなければ一体いつ飛ぶの? と言う訳で昨夜は、遅く寝たにもかかわらず、早く起きて早々に青垣に向かったのです。木曜日は平日と言っても結構混雑する日です。まあ、土日の混雑を思えば天国ですけれど・・・。ショップに着くと、いつものメンバーが来ていました。コンペティターの蔀さん、助教員の植松さん、ベルテックスの荻野さん、そして、講習生の山下さんです。時間が早いですが、ぶっ飛びは出来るだろうと言う事で上がりました。講習生の山下さんが出る前に誰か出る様にと加藤さんから無線で指示がありました。私が出てぶっ飛ぼうと思っていましたが、コンペティターの蔀さんが出てくれる事になりました。北西テイクオフから見事なテイクオフで出ました。しかし、やはり、殆どぶっ飛びでした。次に山下さんが出る事になって待っていたら東側から風が入って来ました。東に向きを変えて出ました。しかし、東テイクオフと言うのは、狭いし短いしでとても難しいのです。「見事 」スタ沈してしまいました。2度のスタ沈の後、先に私が出る事にしました。少し待ったら良いブローが来ました。クロスでテイクオフ、そのまま前に出てサーマルにヒットしました。ワンサーマルで約5分後、1200m迄上昇しました。時々、雲の中に入ってしまいますが、もうこの高度なら移動も可能と判断して加藤さんに「安全山に移動して良いですか」と連絡してOKの許可を貰いました。テイクオフしてから15分後には、安全山上空に着きました。写真を数枚撮ってから再度、無線で「安全山上空でフライトしている」事を報告しました。加藤さんから「出来るなら南の方に流して良いですヨ」と許可が出ました。よし、それならばと安全山で上げて、南の方に行こうと上げ始めました。トンビが飛んでいる方へ移動を始めた途端にシンクでした。仕方がなく、氷上農協近くの河原に降ろしました。テイクオフから10.5キロの所でした。氷上農協の所で回収を待つこと1時間45分、植野さんと荒井さんが迎えに来てくれました。ショップに戻ると、おや珍しい冬の間は一度も顔を見なかった教 員の吉井さんが来たではありませんか。吉井さんは、冬はスキー三昧とか。そして、最近は、自他共に認めるパソコンオタクと言う事です。教員が来たので、テイクオフは、安心です。でも、私は、クロカンに出たばかりなので遠慮して車を降ろす事にしました。車を降ろして下に来たら、皆、上がっていました。しまった! 慌ててランディングに行って、降りた人を回収しました。加藤校長は、「すぐに上がって飛んで良いですヨ」と言ってくれましたが、他にだれも降りて来ません。ショップで待っていたら加藤さんの奥さんが「大久保さん、飛びたいんじゃないですか? 誰かの車を上に置きっぱなしにして上がったらどうですか」と言ってくれました。先ほど回収した藤本さんの車で上げて貰う事になり、内心「嬉しいなあ」
とても良い風の中をテイクオフしました。塔の近くでサーマルソアリングを続けていたら加藤さんがタンデムでテイクオフしました。「よし、加藤さんはきっとクロカンに出ると思う。後に続こう」と思いました。加藤さんが上げて来る迄、上でセンタリングを続けていました。そしたら加藤さんは、グイグイと上げて来て、私と同じ高度になったと思ったらあっと言う間に黙って移動を開始しました。慌てて後を追いかけました。安全山の上空で加藤さんはセンタリングして高度を更に上げました。上げてすぐに南に移動を始めました。ても付いていけないと重い、近くに降ろそうかなと思っていたら回収に向かっていた藤本さんから無線が入りました。「ユメタウン近くに降ろそうと思います」と無線で言ったら加藤さんから「方向が違いますヨ。もっと右に移動して下さい。私のグライダーが見えませんか?」よく見ると遙か南にピンクのノバタクシーが見えました。その方向へ向かい、どんどんと距離を伸ばしました。先の河原に無事に着陸しましたが、北の風が強く、着陸と同時にBラインを引いてキャノピーを降ろしました。テイクオフから12.5キロの位置でした。回収には、先ほどテイクオフに送 ってくれた藤本さんが来てくれました。車の中には、女性がふたり、はて、ひとりは加藤さんとタンデムしていた人ですが、もうひとりの方は? 実は、この方が豪君の英語の先生だったのです。門岩静子先生です。「静子さんと読んでネ」と、とても気さくな明るい方です。静子さんは、私に想像と楽想豊かにアメリカやヨーロッパの素晴らしい友人達との変わらぬ厚い友情について語ってくれました。英語、ドイツ語、フランス語とピアノのレッスンを受け持っているそうです。いやあ、楽しい人と知り合いになれました。
ショップに戻ったら、助教員の植松さんが「大久保さん、もう1本飛ばない?」と誘ってくれました。講習生の人達は、まだ十分に飛んでいないのでこれからテイクオフに上がるのです。「お願いします」と甘える事にしました。薄井さんも一緒です。講習生の人達は、安全な南から出る事にしました。私と薄井さんは、東に行きました。少しブローが強そうです。薄井三は、とても慎重な方です。私は、ドラッグセンサーで風速を計って見ました。最高で20km/hrでステディに15km/hr程度です。私が先に出る事になりました。1回立ち上げて降ろして2回目にクロスで出ました。テイクオフ前でリッジソアリングを楽しみました。植松さんも、講習生の人を出してからテイクオフしました。暫く、ふたりで飛んでいましたが、暗くなる前に降りる様に加藤さんから無線が入ったので、ランディングに向かいました。南尾根のノーマルコースを飛んで行ったら加藤さんから「植松さんと大久保さん、そのまま杉本自動車の方へ流して見て下さい」と無線が入りました。植松さんは「高度が低いので止めようと思います」私も「高度が下がりました」と言ったら「高度ではなくて大気が安定しているので沈下が少ない のでやって見て下さい」と言われました。「分かりました」とパブリックの尾根を越えて、安全山方向に向かいました。なるほど、沈下が少なくてとても安定していて気持ちが良いです。杉本自動車近くの尾根でリッジがとれてソアリングが出来ました。暗くなったので、近くの休耕田に着陸しました。テイクオフから4.5キロ位の所でした。今日は、1回もメインランディングに降りないでしまいました。暗くなった道ばたで回収を待っていました。楽しい充実した春の一日でした。吹田の自宅に戻ったのは、21時30分を過ぎていました。

1998年4月22日(水) 28日(確率 28/33)南西の強風で飛べず

昨日の気象情報では、曇りがちの天気です。朝の気象情報では、晴れ間もありそう。昨夜は、帰宅が24時を過ぎていました。でも、遊びに行くとなると苦にならないんですよネ。4時間足らずの睡眠で目が覚めました。猪名川街道を通って青垣に行くと、道の駅の登録は、蔀さん一人。不安! 不安的中、南西の風がビュービューです。「駄目か!」
ショップに着くと体験の女性がひとりいました。学生で、昨日、体験とタンデムを経験したと言っていました。パラの話をしたり今度行われる加藤さんの講演の話をしたりしていたら、ニュージーランドから一時帰国中の安田さんが見えました。ロールアウトのニュージーランドツァーのビデオにも「出演」している安田さんです。とても明るい人です。安田さんと色々話しをしていてニュージーランドに住んでいる安田さんが羨ましくなりました。
B級生の岡野さんともうすぐパイロットの藤本さんが来ました。「何しに来たんですか?」と加藤さんにからかわれていしまた。今日は、風待ちで車の中で2時間ぐっすりと昼寝しました。松坂さんの原稿を貰い帰る事にししまた。松坂さんの原稿は、「松坂美幸の部屋」としてWEBに入れました。

その後、本人の申し出により、「風の妖精(ようかい)のページ」に変更しました。

1998年4月28日(火) 29日(確率 29/34)

いつものとおり、休みの前日は、遅番なので、今日も寝不足の状態です。でも、昨日の天気予報を見たら「これは、行かなければ」と考えるのは、当然です。太陽のマークで埋まっていましたから。平日と言っても会社によっては、連休に入っている所が多い様です。今日の岩屋山も同様に平日とは思えない位、大勢いました。今日は、吉井さんが来ていました。講習生の人は、吉井さんの指導で南斜面から出る事になりました。森本さんと藤木(海老)さんも南斜面に行ってしまったので、東斜面に行くのは、私ひとりとなってしまいました。東斜面に行くと、山菜採りに来たらしいおばさんがふたり南テイクオフを眺めていました。青垣に住んでいても岩屋山に上がって来たのは初めてだと言っていました。「飛んでいる所は、いつも見ていますが、こんなに近くで見るのは初めてです」と私のキャノピーを触りまくりました。南斜面から講習生の人がテイクオフして加藤さんの誘導を受けて飛んでいます。良い風になったので、私もテイクオフしました。私より先に出た森本さんと海老さんが南の尾根のノーマルルートで飛んでいますが、渋いサーマルです。回していますが、上がりません。TAKの人も 出ましたが、同様に皆、沈下して行きます。私は、松原さんの「センタリング・テクニック」を思い出しながら、そして、豪君のセンタリングをイメージして、まるで自分が豪君であるつもりで小さなサーマルをこまめに回しました。「回せる時は回せ」「回すやつ程よく上がる」を思い出し、しつこく回しました。少しずつ高度が上がりました。本当に少しずつなので、途中でもう諦めようかと思いました。車を降ろした吉井さんから「後3人乗れます」と無線が入りました。「降りてリフライトした方が良いかも」と思いましたが、これから降りて、たたんでいるうちに車は出てしまうに違いない、そうすると当分、上がれない事になるかも知れない、と考えて、頑張る事にしました。皆、降りてしまい、一時は、私ひとりだけとなってしまいました。アークさんとTAKさんがテイクオフしたので、又、一緒に飛ぶ事が出来る様になりました。飛ぶのは、楽しいと言っても誰もいない空でひとりで飛んでいても余り楽しいものではないと感じました。やはり、パラは仲間と一緒に飛ぶ方が楽しいものです。
森本さんと海老さん、そして、講習生をテイクオフさせた吉井さんがテイクオフしました。今度は、皆、サーマルに乗って上昇して来ました。今日の風は、南です。余り強くもなく、とても安定しています。高度が1300mを越えた頃、吉井さんと海老さんが粟鹿山方面に向かいました。私も行こうと思い加藤さんに無線を入れましたが、応答がありません。グリーンパークで講習しているので無線に出られないのかも知れません。何度か呼びましたが、応答が無いので、粟鹿山行きは諦めました。それに2時間近く飛んでいて、腕が疲れて来ていました。ずっとセンタリングをやりっ放しなので回転中心の腕が疲れていました。今日は、どう言うわけか右旋回が多くて右腕が疲れてしまいました。2時間過ぎた頃、降りようと思いセンタリングを止めて前山方面に行きました。前山の南斜面に良い風が当たっていて、リッジソアリングが出来ました。このまま何時間でも飛んでいられると思いましたが、千葉のエリアで散々リッジソアリングして来たので、今更、と思い、ランディングに向かいました。ランディング上空は、強い南風で前に進まなくなりました。このままだと、タンボに降りてしまう、と思い、右 の河原に降りました。河原に降りてグランドハンドリングしながら土手に上がってランディング場に移動してキャノピーを降ろそうかと思いましたが、土手の上は不安定な風が吹いている様で、この不埒(ふらち)な考えもすぐに中止しました。河原には、初めて降りましたが、快適です。無理してタンボに降りずに河原に着陸した方が安全と言う場合もあると思いました。降りてバリオのフライトタイムを見たら2時間15分でした。腕と足が疲労していました。
午後は、南西の風となったので、フライトが出来ません。グリーンパークに行き、講習の手伝いをしました。講習機がイクシオンなのに驚き、藤本さんと「イクシオンも講習機になったんですネ」と話していました。講習生は、なかなか上手に立ち上げていたので、感心しました。海老さんが無線で「私のグライダーが無いんですが、藤原さんのらしいのが置いてあります。」と言っていました。藤本さんにも、機体を間違えていないか問い合わせが来ましたが、重量級の藤本さんのは間違え様がありません。森本さんの車で海老さんがやって来て、走っているドアを開けて「私のグライダーいじめないでえ!!」と叫びました。「あっ、これ・・・」講習機と思っていたイクシオンが海老さんのイクシオンだったのです。「目の前にあるのに何で気いつかんのか!」と叫ぶ海老さん。あっけにとられる加藤さん。加藤さんは平然と「あまりにも講習場にぴったりだったもんで・・・」「汚れ具合と言い・・・」可愛そうな海老さん、呆然とする講習生に「いいのヨ、気にしないでネ」と優しく言った口が歪んでいました。講習機事件は、海老さんの優しさで幕となったのです。
夕方、又、テイクオフに行きましたが、南西の風でした。たまに、だましで南正面が入りますが、出たくない風でした。他のスクールでは、出ていましたが、加藤さんの「降りようか」の声でショップに戻りました。
夜は、「あまご」に泊めて貰いました。

1998年4月29日(水) 30日(確率 30/35)

昨夜は、「あまご」に泊まったので今朝は、のんびり出来ました。グリーンポートと言う喫茶店でモーニングコーヒーで朝食をしました。この店のコーヒーはお薦めです。美味しい!
ショップに行くとスクール号がないので、もう上がっているのかと思いましたが、そうではなくて今日は、団体さんの講習があるため、加藤さんが機体の準備をしていたのでした。でも、もう飛んでいる人がいます。ニュージーランドツァーに参加した森田さんでした。朝早くから凄いファイトです。でも、日中、荒れた中を飛ぶよりは、朝の安定した気流の中で飛ぶ方が楽しいかも知れません。早めに上がった方が良いと言う加藤さんのすすめで上がりました。講習生の人は、昨日と同様、南斜面に行きました。パイロットの星野さんも「南から出ます」と行ってしまいました。今日も私ひとり、東に行きました。でも、今日は、他のクラブの人達が大勢東にいました。4人がテイクオフした後、誰も出ようとしません。私の番ではないのですが、「先に出て良いですか?」と聞くと「どうぞ」の答え。皆、もう少し、サーマルが出るのを待っているらしい。私は、贅沢を言わずに、正面から風が入っているので、出る事にしました。クロスで出られる風でした。テイクオフして南斜面テイクオフの上を通って、尾根に付いた所でサーマルにヒットしましたが、弱い、やはり、まだサーマルが出ていないのかも 知れません。昨日と同様に松原理論で回し続けました。昨日の右腕が筋肉痛です。「今日は、左旋回したいなあ」と思っていたら、下のグライダーが左旋回していました。私は、右旋回をしていたのですが、左旋回に変更しました。本当なら下のグライダーが上のグライダーに合わせるのですが、今は、どうでも良く、私が左に合わせました。周りの他の下のグライダーも左旋回で回し始めました。今日も、弱いサーマルで必死に回しました。約50分で、高度1300m迄上がりました。随分、効率の悪いサーマルです。その頃、雲の中に入ってしまいました。コンパスを確認して、翼端を折って下降しようと思った時に、下が開けました。「良かった、見えた」その時に加藤さんがショップの奥さんと無線交信したので、終わってから「安全山に行って良いですか?」と聞きました。「いいですヨ。気を付けて行って下さい」の返事でした。南風と思っていたのが、上空は、北東風でした。約50km/hrの対地速度で進みました。安全山近くになったら前に進まなくなったので、旋回してバリオの風速と風向を調べました。200度の方向から20km/hrの風でし た。安全山のかぶりが考えられるので、余り北斜面に近づかない様に飛びました。高度も落ちて来たので、どこか着陸する所はないか見ました。「あれ、タンボに水が入っている」そうです。もう水が入っていて、この前の様にどこにでも降りられる状態ではなくなっていたのです。ずっと遠くに見える加古川の河原に降りようと東に進路を向けました。川の上空に行ったら、出来るだけショップに近づこうと、北に進路を取りました。凄いスピードで進みます。高度が高い時は、対地速度は余り感じませんが、100mの高度だとスピード感が凄く感じます。高度が40m位の時に方向を南に向けてランディングに備えました。丁度良い河原に無事に軟着陸しました。すぐに無線で山頂にいる助教員の松坂さんに「河原に無事に降りました」と報告しました。松坂さんは「後で迎えに行って貰います」と言ってくれました。キャノピーをたたんで街道に出てとことこ歩きました。そう言えば、昨日、黒井屋さんで皆で夕食を食べた時に「正しいヒッチハイクのやり方」の講義を受けたのを思い出しました。「サングラスをしない。にこにこして待つ。運転者に不安を与えない」等々でした。「青垣」と書いた紙で顔を隠 すと言うのもありました。「よし、やって見よう」とサングラスを外してにこにこ立って手を上げました。「狙い目は、男の人がひとりで乗っているRV車」だそうです。15分位にこにこしていましたが、誰も止まってくれませんでした。アホらしくなって止めました。機体を担いでとことこ歩き始めました。無線で同じく安全山に向かっていた星野さんが、戻ったらしい事を聞きました。アウトアンドリターンです。星野さんはフライトで、私は、地上でアウトアンドリターンです。惨め!1時間半位歩いた頃、松坂さんから無線が入りました。「今、どこにいますか?」「道の駅の南約2キロの所です」「そこで待っていて下さい」待っていたら加納さんが迎えに来てくれました。後1時間位、歩かなければならないところでした。
その後、風が南西となり、飛べなくなりました。大勢の体験者がいるので、グリーンパークで手伝いをしました。

1998年5月4日(月) 31日(確率 31/36)

昨夜は、早く寝ようと思っていたのですが、Eメールを読んでいて時間が経ってしまいました。大分の佐藤さんが岩屋山に来て飛んだと言うメールがありました。生憎の天気でしたが、飛べて良かったですネ。大分からは、遠いですけれど、又、来て下さい。今度は、一緒に飛びましょう。朝、6時に起きて、青垣に行きました。ロールアウトショップに着くと誰もいません。テイクオフから何機かのパラが飛んでいました。朝、早い為、ぶっ飛びですが、とても安定して気持ち良さそうでした。今日の岩屋山は、本流が北東風でした。クロカンコースに今日、入った永見さんの車で前田さんも一緒にテイクオフに上がりました。東テイクオフに何人かのベテランパイロットが風待ちをしていました。正面から入っていますが、まだ、安定していない様です。でも、飛んでいる人の動きを見るとサーマルも出かかっていて上昇しています。私も出ました。クロスで上げてテイクオフしました。10時40分にテイクオフ。南テイクオフ前から塔の近くで上げて1305m迄上がりました。無線で加藤さんに「安全山に行ってよいですか?」と聞いたら「下の方は結構荒れていますから気を付けて行って下さい」「行かない 方が良いですか?」「自分の判断で行って下さい」「う〜ん」今の時期は、タンボに水が入っているし、何も荒れている時に無理して行く事もないなあ、と思い止めました。高度を下げて来たら機体が揺さぶられました。なるほど、荒れているなあと思い、ランディングに向かいました。丁度、加藤さんがタンデムでランディングの上を飛んでいました。ランディングの風は、南風です。高度処理をランディングの南側で慎重にしました。加藤さんがランディングした後、川の方向からアプローチして丁度良い風の時に進入して無事にランディングしました。フライト時間は、33分でした。この後、結構、気流が不安定だった為に講習生の人は、飛ぶ事が出来ませんでした。何人かの講習生の人達は、テイクオフに上がったのですが、暫く、待っていて、皆、降りて来ました。
千葉のラ・ムエッティの佐古さんが来ているとメールで連絡があったので、TAKさんの事務所を訪問しました。髭を剃ってハンサムになった佐古さんと会う事が出来ました。1年以上会っていませんでした。千葉のエリアにいた時は、時々、写真を撮りに磯根崎に来ていました。今回は、APCOのグライダーのデモも兼ねて来たのです。最近の千葉のエリアの事などの話しを聞かせて貰いました。話していたらyuppeこと中西由美ちゃんが来たので、記念写真をパチリ。講習生の由美ちゃんは、今日の風では飛べずに残念でした。グリーンパークに立ち上げの練習に出かけて行きました。私もロールアウトの講習の手伝いをしに行きました。夕方、予想どおりアーベント状態になりました。講習生の人達は、南テイクオフに行きました。私は、ひとりで東テイクオフに向かいました。丁度、大熊さんがトップランして降りて来ました。観光に来た人達が7人位見ていました。大熊さんのトップランを見て拍手喝采で大喜びでした。大熊さんが再度、テイクオフした後、私もテイクオフしました。16時47分テイクオフ。高度こそ上がりませんでしたが、弱いリフ トの中を52分のフライトを楽しみました。後からテイクオフした人がリフト帯を外して何人も諦めてランディングに向かって行く中、少しでもステイしようとセンタリングを続けて飛びました。体重をかけて出来るだけフラットな旋回をイメージしました。ランディングした時は、皆、ショップに引き上げた後で、高〆さんと星野さんと数人のクロカンパイロットの人がランディングでダベっていました。夕方の安定した中を飛べて満足の一日でした。今夜も「あまご」に泊めて戴き、皆で焼き肉パーティを楽しみました。

1998年5月5日(火) 32日(確率 32/37)

「あまご」の宿泊者は、とても朝が早いです。寝不足気味ですが、朝の清々しい空気を吸ったらとても爽やかになりました。「あまご」は、タンボの中にあり、とても静かで涼しい所です。広い家なので昨夜の様に10人位泊まっても狭くありません。
道の駅で入山登録をしてショップに行くと、もう既に加藤さんがタンデムのお客さんを飛ばす為に、上に上がった後でした。朝、早くから何機も飛んでいます。昨日もそうですが、朝の早いうちの方が気流が穏やかですので、講習生には、丁度良い練習になります。加藤さんがタンデムで飛んで戻ってから、再度、飛ぶために上に上がるときに一緒に乗せて貰いました。今日は、南テイクオフの方が風が入っていました。久しぶりの南テイクオフです。加藤さんのタンデムが飛びました。その後、アークの講習生の人達が次々にテイクオフして行きました。加藤さんから「少しサーマルが出かかってボコボコし始めたので、講習生の人は、慣れた人だけにして下さい」と無線が入りました。私は、様子を見て、テイクオフしました。10時22分テイクオフ。クロスで楽にテイクオフ出来ました。今日は、山頂への登りの途中にある青年の家でロータリークラブの式典があって、10時50分に「歓迎」の垂れ幕をその会場に投下する様に言われていました。時間に合わせてテイクオフしたのですが・・・。出てすぐにサーマルをキャッチしてセンタリングで高度を上げました。順調に上昇を続けていたのですが、サーマ ルが小さくて外すと大きなシンクに入ります。南テイクオフの北側の尾根でセンタリングしていたら突如、「バサバサッ」と言う音と共にキャノピーが揺さぶられました。身体が放り出される様に回転を始めました。「このままだとフラットスピンに入ってしまう」と思い、回転方向と反対側のブレークを抑えました。大きくローリングしながらも潰れは直りました。でも、左右に大きく振られています。高度は、700m位あったので、余裕がありました。周りのグライダーを見たらやはり、揺らされています。不安定な状態なので降りる事にしました。テイクオフで講習生の指導をする為に上がっていた松坂さんに「大久保ですが、ランディングします」と言ってランディングに向かいました。同じように気流の悪さを察知したフライヤーが次々と降りて行くのが見えました。先にアプローチに入っていた機体が降りたのを確認してから着陸しました。フライト時間24分。ランディングで中西由美ちゃんに「派手に潰されていましたネ」と言われてしまいました。アークの三崎校長にも「派手でしたネ」と。皆、見てたのネ。久しぶりに大きく潰されました。千葉の磯根崎で潰れからの回復の練習を何度もした事が あるのでそれが役に立っていると思います。この様な荒れた中では、飛んでもちっとも楽しくありません。私は、遊びでパラグライダーをしているので、楽しくない時は、飛びたくありません。
午後は、講習の手伝いをしました。南西の風が強くなって更に、小雨も降り出し一日が終わりました。加藤さん、吉井さん、松坂さん、生野さん、藤本さん、野原さん、西田さんとで虎寿司で談笑しながら夕食を食べました。

1998年5月9日(土)  33日(確率 33/38)

妻がJAL101便で到着。8時10分に伊丹空港を出て、今日は、先日、生野さんに教わった道を通って青垣迄行きました。空いていて、この道は信号が少ないので、青垣には、10時過ぎには到着しました。道の駅で藤本さんと出会いました。空を見上げたらもうたくさんのパラが空に花を咲かせて飛んでいました。とても条件が良さそうでした。はやる気持ちを抑えてショップに行きました。暫く、ショップで加藤さんの奥さんとお喋りをしていたら、加藤さんが戻って来ました。加藤さんがタンデムで飛ぶので、妻と一緒にテイクオフ迄乗せて行って貰いました。南テイクオフは、時々、フォローの風が入り、他のスクールの人達がテイクオフ出来ないでいました。暫く、風待ちをして正面から入った所を出ます。
加藤さんのタンデムが出た後、暫くして、講習生の人達がテイクオフしました。妻は、約1ケ月ぶりのフライトなので、不安がっていました。でも、無事に正面からのテイクオフで出ました。出て、ノーマルルートの尾根の上でサーマルに当たってセンタリングを続けました。どんどん上がって行きます。体重の入れ方も良く、見ていて不安はありません。今日の大気は安定している様でした。
私は、妻から大分遅れて、12時33分にテイクオフしました。テイクオフしてすぐに南のノーマルルートの尾根の上でサーマルをとらえて、そのままセンタリングを続けて塔の上迄移動しながら上がって行きました。その時は、妻は、ずっと上を飛んでいました。塔の上で1000mを越えた頃、妻がどこにいるのか上を見たらいないのでおかしいなあと思いながらもセンタリングを続けました。1200mを越えたので移動しようと思い、加藤さんに無線を入れました。「安全山に行って良いですか?」松阪さんから「了解しました」と応えがありました。その時、下を見たら妻のシグマ3がパブリックの尾根の近くで飛んでいました。高度が低くとても一緒に移動出来る状態ではありません。パブリックの尾根の上でサーマルに当たってまた、センタリングしました。安全山迄の移動は、60度の方向からの風でした。途中少し沈下がありましたが、いつもより少ない方でした。安全山に着いた時は、600m位迄下がりました。このまま近くに降りた方が良いかなと思って安全山の北面に移動したらサーマルに当たりました。東側でサーマルが発生していて7分位で1000m以上に上がりました。センタリングしながら南斜面上空 に流されて行きました。少し北側に移動気味でセンタリングを続けていましたが、弱いサーマルだったので、外してしまいました。遠くに夫婦橋が見えました。そちらに向きを向けて移動しました。加古川の上空を小さな沈下で飛んで行きました。夫婦橋へ行くには、高圧線を越える必要があります。それがプレッシャーとなってしまい、佐野橋近くの河原にランディングしてしまいました。無線で連絡しましたが、通じないので藤本さんの携帯電話に連絡しました。暫くしてから藤本さんと板垣さんが回収に来てくれました。
ショップに戻ってからは、車の送迎をしました。夜、加藤さん、松阪さん、牧田さんと「一休」で食事をして今宵の宿泊は、門岩静子先生宅にお世話になりました。

1998年5月10日(日) 34日 (確率34/39)

昨夜は、遅くお邪魔して静子先生に色々とお話を伺いました。朝は、6時半に「食事ですヨ〜」と起こされていささか寝不足気味です。ショップに着くと日曜日なのに人数が余り多くありませんでした。テイクオフの吹き流しを望遠鏡で見ていた加藤さんが「少し強いですネ」と言っています。私は、「テイクオフに行って良くなったら飛びます」と言って植松さん、大熊さん、本田さんと妻の5人でテイクオフに行きました。車は、牧田さんが降ろしてくれました。テイクオフは、北西の風がやや強いけれど、飛べない程ではありません。バリオのドラッグセンサーで測定したら最高で18km/hrでした。加藤さんがタンデムで飛ぶ為に上がって来ました。加藤さんがタンデムで出て少ししたら、優君から「雨が大分降って来たのでランディングに迎えに行って下さい」と無線が入りました。勿論、テイクオフも降り出しました。加藤さんは、ハングのランディングに向かいました。下の方は、南風の様でした。山頂の吾妻家で暫く雨宿りをしました。40分位して雨と風がおさまりました。大熊さんに「もう大丈夫です」と先に出て貰いました。次に植松さんがテイクオフ。続いて妻が出ました。ルート取りを考え て飛ぶ様に言いました。本田さんが出て次に私が準備していたら、加藤さんがまた、タンデムのお客さんを連れて上がって来ました。加藤さんのタンデムのテイクオフをサポートしてから、私も出ました。10時58分。風は、北風です。テイクオフは正面から入っていますが、成分としては、右サイドの風でした。テイクオフ後、暫く、リッジを取って飛んでいました。私達がフライトしているのを見て、大勢の人が上がって来て、次々、テイクオフしました。リッジで飛んでいると混雑します。右側通行が原則ですが、メチャクチャな動きをする人がいて危険です。妻に「気を付けて飛んで」と声をかけたら「混雑して来たから降ります」と無線が入りました。私も、リッジだけでつまらないので降りようとランディングに向かう為に南の尾根に行きました。そうしたらサーマルがあって上昇しました。すかさず、センタリングして上昇しました。妻も丁度、下を飛んでいたので、センタリングすれば良いのにと思いましたが、ランディングに向かって行ってしまいました。北風の中のサーマルですから、センタリングしていくうちにどんどん流されて行きました。高度が950mを越えた頃には、パブリックの尾根の 上を飛んでいました。すぐそこに安全山が見えました。加藤さんに「大久保ですが安全山方向に流して良いですか?」と無線。「ゲインが取れず、風も強いので注意して下さい」「Aコースを移動します」と言って安全山方向に向かいました。杉本自動車の上の尾根で少し上げがありました。安全山の横を通過してそのまま南に流しました。移動開始した当初は、北風に乗っての移動でしたが、杉本自動車上空辺りから対地速度が小さくなりました。加古川の河原で降ろせる所を探していたら煙は真っ直ぐに上がっていました。GPSの速度も風速と同じでした。念のために360度旋回して見たら少し北風の成分があったので、北に向かって河原に降りました。ショップに電話を入れて生野さんに回収に来て貰いました。昼食後に再度、テイクオフに上がって飛びました。14時51分。アーベントっぽい状態で弱いリフトの中を28分飛びました。夜、「あまご」に宿泊させて貰いました。
翌日、11日は、朝から雨で加藤さんに「風の読み方」「ランディングの風」等の話しを聞いてゆっくりと帰宅しました。充実したフライトにむ満足でした。

1998年5月17日(日)

今日は、フライトは行きませんでした。気象情報によると低気圧の接近で大荒れになると言うので、1ケ月半ぶりに家族と愛犬が待っている東京に帰りました。単身赴任の仲間の中では、毎週の様に家族のもとに帰る良き夫、良き父がいますが、私は、東京より大阪、いや岩屋が大好きです。これも晴れるのがいけないんです。と言う訳で雨の予報の昨日と今日は、東京に帰っていたのです。実は、今日、5月17日は、私の52歳の誕生日なのです。妻は、ケーキを買って来てくれて、子供達は「ああ、お父さん、誕生日だったの」と外に出かけて行ってしまいました。この年になって別に誕生日が嬉しいと言うのではないのですが、私の今迄の行動を見ると「よくぞ生きていた」と言うのが感想です。無茶苦茶なアドベンチャーと言うより、暴挙の数々でした。 今、私が「安全」を説いても昔の私を知る人は呆れるばかりでしょう。反省!
東京の家に置いてある「パラワールド」等のパラグライダー関係の雑誌を昨日と今日、全て目を通して来ました。92年からの分ですから、かなりの量です。加藤さんの記事とか、豪君の記事、そして、植松さんが6時間15分のソアリングをした記事、藤木夫妻のニュージーランドの記事、私の鴨川での1320m上昇の記事、ああ、数え切れない位の素晴らしい記事に感動しました。当然、その当時は、読んでいた筈なのですが、今、読むと懐かしいのと今、その人達と、今、一緒の時を共有している事の不思議さに何故か感動してしまっているのです。縁あって岩屋で、ロールアウトの仲間と飛べる日々に感謝して明日からも、次のフライトを目指して頑張りたいと思います。52歳の青年のつぶやきでした。(植松さん、私も6時間20分の長時間ソアリングをした事があるんですヨ)

1998年5月23日(土) 35日 (確率35/40)

2週間ぶりの岩屋です。朝、早く出ました。土曜日ですが、朝、早いせいか余り人が来ていません。加藤さんは、タンデムのお客さんと一緒にテイクオフに上がって行きました。望遠鏡でテイクオフを見たらそれ程風は強くない様に見えました。加藤さんがタンデムで飛んで戻って来ました。「上は、風が強めです。でも、上で待っていても良いですヨ」と言うので、講習生の人達が上がりました。車に乗り切れないので私は、待つ事にしました。生野さんが車を出してくれると言うので乗せて貰いました。テイクオフへの登り道から見える木々が揺れていました。生野さんが「強すぎるかも知れない」と言っていました。テイクオフに先に着いた松坂さんから無線が入って「風が安定していなくて、時々、強いブローが入ります」と言っていました。途中で生野さんは、引き返す事にしました。講習生の人達は、残念そうに「ランディングで立ち上げの練習をしたい」と言うので、メインランディングへ行きました。ランディングには誰もいませんでした。講習生の人達を置いて、私は、生野さんとショップに戻りました。その後、グリーンパークに行って講習の手伝いをして午前中過ごしました。グリーンパ ークも風があちこちに向いて定まりませんが、何とか練習は出来ました。昼食後、加藤さんがまた、タンデムで飛んで、状況について無線で連絡が来ました。「今ならパイロットの人は飛べると思います」私は、岸本さんの車に乗せて貰いました。岸本さん、前田さんそして私。車は、瀬川さんが降ろしてくれる事になりました。南テイクオフにはとても良い風が入っていました。誰が飛んでも大丈夫の様でしたが、お二人の意見で私がダミーで出る事になりました。準備している間に風向きがサイドになりました。少し待っていたら正面になったので、すかさずテイクオフしました。すぐにノーマルコースの尾根に行き、弱いサーマルにヒットしました。弱いながらも浮きがあるので暫く粘っていたら結構大きな浮きがあってセンタリングを開始しました。結構強い南風の中のセンタリングなので尾根の後ろに流されます。300m以上のゲインがあれば多分、尾根の影響は少ないだろうと思い、そのままセンタリングを続けました。東テイクオフの上空でセンタリングを続けて1565m迄上昇しました。下に続いて出た岸本さんが来てセンタリングしています。私と同じサーマルに入った様です。そのままセンタリン グを続けていたら、私の高さ迄上がって来ると思いました。飛ぶ前に「今日は、一緒に安全山迄行きましょう」と岸本さんに言っていたので、本当に一緒に行けるかも知れないと思いました。加藤さんに無線を入れて「大久保ですけれど安全山へ行って良いですか?」「気を付けて行って下さい」私は、安全山に向かいました。パブリックの尾根迄行かないうちに機体が前になかなか進まない事にイライラしました。加藤さんから「そのコースでは向かい風が強くて多分、安全山に行けないと思います。一度岩屋に戻って上げ直してCコースの向こう側の尾根に行って向かって下さい」と指示がありました。ナルホドと思い、岩屋上空に戻りました。再度、センタリングをして上昇しました。さっき迄、下の方でセンタリングしていた岸本さんの姿が見えません。どこへ行ったのでしょうか。センタリングしていたら、さっきよりも風が強くなった様に感じました。尾根の後ろに流されます。前に出ようとしたら翼がグラグラと動きました。潰されそうになったのでブレークコードを抑えてコントロールしました。どうも、さっきより荒れている様です。これ以上飛ぶのは止めて降りる事にしました。ランディング に向きを変えましたが、なかなか前進しませんでした。ランディング上空に行くと岸本さんのグライダーがもう既に降りていました。私がランディングした後、次々と飛んでいたグライダーが降りて来ました。前田さんも降りて来てショップから迎えに来て貰い戻りました。33分の短いフライトでしたが、とても疲れました。どうも暑さに弱い私は、疲労が出た様でした。ショップに戻って夕方迄休んでいました。夕方、植松さんが飛びに上がると言いましたが、私は、遠慮して帰宅する事にしました。暑さに弱い私は、今年の夏の暑さを思い浮かべて憂鬱になりながら帰途につきました。

1998年5月28日(木) 36日 (確率36/41)

今日から東京に行く予定でいたのですが、昨日の気象情報を見ていたら気が変わりました。あれっ、前にもこの様な事があった様な・・・。朝、6時に起床して6時15分に家を出ました。道の駅に着いたのは、8時少し過ぎでした。ショップに行くと加藤さんがひとりでビデオを編集していました。そのうちに植松さんが来て、講習生の人たちも集まって来ました。昨日迄の条件が良かったらしく、植松さんは「僕は、今日は飛ばなくてもいいよ」と言っていました。新しくベルテックスを入手したそうです。早速、植松さん、西畑さん、黒沢さん、山下さんと一緒にテイクオフに上がりました。南テイクオフには良い風が入っていました。上がる途中の木の揺れが少し強いなあと植松さんと話していたのですが、案の定、私が準備している間に、強くなってしまいました。風は正面から入っていますが、ブローが強すぎます。少し様子を見る事にしました。待っていると後ろの木がコ゜ーッと音を立て始めました。「これは駄目だ。止めよう」とキャノピーをしまいました。
ショップに戻ってから加藤さんに「ヒューマンファクターの話しをして下さい」と言われ、第2回の講話をする事にしました。先日聞いた加藤さんと植松さんも熱心に聞いてくれました。今日は、11名の受講者がいたので話し甲斐がありました。強風で飛べないときのレクチャーとしては、最適のものかも知れません。たまたま私が、会社でヒューマンファクターズリーダーコースを受けていたので、この様な時に話しをする事が出来て良かったと思います。パラと言うスポーツはミスが許されない事は誰でも承知していますが、人間は誰でもミスをするものです。ミスを絶対にしない人なんかいないのです。その事を念頭において行動しないと、とんでもない事になるかも知れません。約2時間の講話をして質問も受けて理解が少し深まった様です。
昼食をしていたら、ビジターの人が来ました。鹿児島からです。えっ、鹿児島? 外に出たら何と吉松の神野さんが立っていました。「神野さんでしょう?」「ええ、そうですけれど・・・」「大久保です。どうもお久しぶり」と握手しました。「なんでここにいるんですか?」
つもる話しをしながら時間を過ごしました。夕方、強い風も収まり、何とか飛べそうと言うので、ビジターのお二人を案内がてら山本さんの運転でテイクオフに上がりました。南テイクオフから何とか出られそうでした。準備をしている間、フォローになってしまいました。暫く、様子を見ていたら正面から入って来ました。でも、本流は、南西です。かなり右サイドの風です。テイクオフすると多分、シンクの中を飛ぶ事になるだろうと覚悟しました。ぶっ飛びですが、出る事にしました。テイクオフしてすぐに左の尾根の方向に行きましたが、凄いシンクです。南西風のかぶりをモロに受けています。ひたすらランディングを目指しました。ランディングでは、黒沢さんと西畑さんが立ち上げの練習をしていました。その中に無事に着陸しました。飛んではいけない風の中を飛んでしまいました。全然、楽しくありません。
鹿児島の人達と一緒に皆で食事をしました。そして、明日は、雨の予報なので帰ろうと思っていたのですが、一緒に「あまご」に泊めて貰いました。夜、パラ談義で時間がたつのも忘れて話し合いました。

1998年5月29日(金) 37日 (確率37/42)

昨日は、藤木さんと鹿児島から来た、神野さん、宮元さんと遅くまで話しをしていました。今朝は、雨が降っていたので飛べないと思いゆっくりしていました。気象情報では、午後から雨は上がると言っています。ひょっとしたら、と思いましたが、外の土砂降りを見ると無理だと思いました。ショップに行き加藤さんを誘いグリーンポートに朝食に行きました。喫茶店で暫くパラ談義。ショップに戻ってから加藤さんがビデオ編集をするのを見学しました。午後、鹿児島のお二人が長野に向けて旅立ちました。
12時半頃に雨はすっかり上がり、山頂にかかっていた雲も薄くなりました。加藤さんとふたりでテイクオフに上がる事にしました。テイクオフに着いてもまだ、ガスはたちこめていました。暫く、車の中で待機していたら、下の方が明るくなりました。東テイクオフに行き、急いで準備を始めました。先に加藤さんが出ました。少し雲がかかっている中を綺麗なテイクオフ。飛び立ったらすぐに見えなくなってしまいました。ゆっくりと準備していたらガスが晴れました。でも、風が弱くてしかも右サイドです。立ち上げてみたら、テンションが感じられないので中止しました。再度、セットアップして待機しました。風が少し入って来たのでテイクオフしました。穏やかな気流の中をフライトしました。途中、ノーマルルートの尾根上で少しサーマルがあり、センタリングをしました。でも、ぶっ飛びです。今日のぶっ飛びは、とても気持ちが良くて、楽しいフライトでした。まさか、飛べるとは夢にも思っていなかったのに飛べたのです。誰もいないランディングに無事に着陸したら、汗がドバーっと出ました。満足したフライトでした。本当にパラって不思議です。たった10分のぶっ飛びにこんなに満足す るなんて・・・。昨日飛んだのは、私ひとりだし、今日飛んだのは、多分、加藤さんと私だけだったと思います。でも、夕方、誰か飛んだかな?
大阪の家に着く頃は、本当に土砂降りでした。なんて、不思議な、そして、楽しい一日だったのでしょう。

1998年6月4日(木) 38日 (確率38/43)

関西地方にも梅雨入りとなりました。昨日の伊丹発始発便で、朝、早く東京の家に帰りました。次男がワールドカップサッカーを見にヨーロッパに行くので、私の「高級一眼レフカメラ」を貸して欲しいと言うので、持って行きました。久しぶりに家族と一緒の食事と思いましたが、妻とふたりきりでした。夜の気象情報を見たら、翌日の大阪地方の天気は、何と晴れマークがずらり。「梅雨の中休みで貴重な晴です」と解説者は言っていました。「う〜ん、これは、飛びに行くべきだ」と妻に話したら、「行ったら」と優しく言ってくれました。と言うわけで、今日は、羽田からの6時45分発の始発便で大阪に戻りました。家に帰ってグライダーを持って一路青垣へ向かいました。11時少し前に青垣に着きました。
風が悪いらしく飛んでいるグライダーは、3機だけでした。テイクオフにいる助教員の植松さんから「黒い雲が近づいて来て、風が強くなったので、講習生のフライトを見合わせています」と無線が入りました。ショップの前の吹き流しも横に踊り始めました。流石に二日間の早起きは辛く、少し車の中で仮眠しました。1時間程したらコンペティターの蔀さんが戻って来て、テイクオフに上がると言うので、車に乗せて貰いました。蔀さんは、「梅雨の合間の平日に飛びに来るなんて殆ど病気やな」と言っていましたが、「蔀さんには、言われたくない」と言ってやりました。
テイクオフでは、10人位の人がいましたが、それ程風は、強くありませんでした。どうやら、落ち着いて来た様です。上空では、何人もの人が上昇しています。私は、クロスで立ち上げて出ました。アンテナ塔の近くに白いグライダーがスパイラル状態になってツリーランしました。幸い怪我は無かった様です。サーマルが強かったりで、荒れていたので、58分のフライトでハングのランディングに着陸しました。ハングのランディングに降りたのは、初めてでしたが、広くて、とても降り易いと感じました。ただ、高圧線が走っているので、注意が必要です。メインランディングは、風が強い為、加藤さんのタンデムがハングのランディングに向かったので、後を付いて来ました。グランドサーマルが激しく出ていたので、翼端を折って、体重移動でコントロールしてのランディングでした。
ショップに戻ったら、猛烈に睡魔が襲って来ました。また、車の中でリクライニングして仮眠しました。
約1時間して、常連の藤本さんに「大久保さん、上がりませんか?」と声をかけられ、行く事にしました。どうやら風は、収まった様です。テイクオフに着くと風は弱くなりすぎました。クロスの立ち上げは、ちょっと無理かなと言う感じです。コンペティターの藤木さんは、クロスで立ち上げて出て行きました。私は、正面から立ち上げて出ました。出て見るとサーマルが出ていて、結構楽しいフライトでした。重量級の藤本さんがすぐ後に出ましたが、「あれ、藤本さんの方が高い所を飛んでいる」私は、イクシオン、藤本さんは、初級機のフィルーです。少し風の読みを間違えていました。上げのあるリッジに移動したらすぐに私の方が高くなりました。リッジサーマルがメインのフライトでしたが、センタリングして楽しみました。62分のフライトでメインランディングに着陸しました。黒沢さんのアパッチがかなりローリングしていました。荒れているのかなと思いましたが、そんな事はなく、とても良い状態でした。藤木夫人の海老さんは、5時間半も飛んでいたそうです。呆れました。
帰りの運転は、睡魔と闘って正に地獄の思いでした。少しハードな二日間の休みでした。でも、梅雨の合間に楽しいフライトが出来て満足しました。

1998年6月16日(火) 40日 (確率40/45)

朝から快晴です。9時前だと言うのにもう飛んでいる人がいます。朝、早くから高く上げています。多分、コンペティターの蔀さんでしょう。久しぶりの快晴とあって、平日にもかかわらず、大勢、集まって来ました。テイクオフに上がったら、南テイクオフに良い風が入っていました。大勢のフライヤーが南テイクオフに集まっていました。講習生の人から先に出て貰いました。風が良いので、皆、上手に出て行きました。南尾根のノーマルルートでサーマルにヒットして上げている人が多くいました。私も、出てすぐにヒットしてセンタリングを続けました。この飛びが、2時間41分のフライトとなりました。まるまる2時間以上もセンタリングをしていた事になります。リッジのエリアで飛んでいた時には、センタリングをする事なんか殆どありませんでしたが、岩屋で飛ぶようになってからは、センタリングは当たり前の操作です。体重移動をきちんとすれば、センタリングは楽に出来ます。余りバンクをかけずにフラットな状態でセンタリングした方が、今日の様な渋いサーマルでは良い様です。私より、後に出た人が降りても、しつこくセンタリングを続けていました。自分でも呆れました。殆どの人 が降りてその人達は、リフライトの為に再度、上がって来て、一緒に飛びましたが、殆どの人は、又、先に降りてしまいました。もう少し丁寧に飛べばいいのに。2時間以上飛んでいるとやはり腕が疲れました。3時間飛ぼうと思いましたが、おなかが空いて来て降りました。昼食後、「車の回収に上がるから、飛ぶなら乗ったら」と助教員の植松さんに誘って戴きました。お言葉に甘えて、又、上がりました。南テイクオフは、相変わらず良い風が入っていました。本日、2本目のフライトは、1時間36分飛びました。今日のサーマルは、とても渋い、弱いサーマルでした。0.5m/sec程度の、普段なら、突っ切ってしまう弱いサーマルを大事に大事に回しました。バリオがおとなしく鳴いていました。殆どの人が突っ切って行く中をステイする事は、気持ちが良いものです。その様に、丁寧に飛んでいる人が何人かいました。
今の時期は、昼がとても長く、7時近くになっても明るく、飛べていました。二日間、十分に飛べて満足のフライトでした。

1998年6月20日(土) 41日 (確率41/46)

昨日は、大阪地方に豪雨と強風をもたらした前線が少し遠のきました。妻は、昨日のJL107便で東京から来ましたが、妻が乗った飛行機が、強風と豪雨の為に着陸出来ずにゴーアラウンドしました。着陸のやり直しです。私は、その時間、福岡行きの飛行機の出発を担当していて、全身がずぶ濡れになってしまいました。
今日は、昨夜の気象情報よりもっと良くなって兵庫県中北部は、晴マーク一色となりました。妻にとっては、1ケ月ぶりのフライトです。ロールアウトのショップに着いたら土曜日にしては、人が多くありませんでした。昨日迄の気象で、風が強いと思った人も多いではないでしょうか。
加藤さんから「大久保さん、講習生のテイクオフを見て下さい」と頼まれました。前のスクールでも、時々、B級やNPの人達の面倒を見ていたので、引き受けました。私は、この所、飛べているので、車を降ろす役割も引き受けました。6人でテイクオフへ上がると北西の風が3-4m位でした。「強くはない」と私は、判断しましたが、講習生の力量が良く分からないので、パイロットの人に先に出て貰う事にしました。しかし、ダミーの人が出ようとしたら徐々に風が強くなってしまいました。暫くウェイティングとなりました。

30分程で風は、弱くなりました。他のスクールのパイロットが出ました。リッジも余り取れずにぶっ飛んで行きました。次に菱井さんがテイクオフ、同様にぶっ飛んで行きました。次に、妻が出て、尾根から離れて行き、降下して行きました。「尾根に近づかないと上昇出来ないのに」と思いましたが、久しぶりのフライトなので無線を流しませんでした。加藤さんがテイクオフに上がって来て、タンデムで出ました。加藤さんのフライトで様子を見て講習生が出る事になりました。ランディングした加藤さんから「ノーマルルートの尾根を通って真っ直ぐにランディングに向かって飛んで下さい」と指示がありました。講習生のひとりひとりに「分かりましたか?」と確認をとって出す事にしました。北西のテイクオフですので、慎重に風を選んで出しました。全員、無事にテイクオフ。私は、車を降ろしました。ランディンクした人を回収して、今度は、私も機体を持って上がりました。12時を過ぎていましたが、風は、時々、東から入って来ました。講習生には難しい風です。加藤さんから「大久保さん、飛んで下さい」と無線が入ったので、飛ぶ事にしました。しかし、順番待ちでなかなか出られません でした。私の番が来て、北西に向かってキャノピーを開きましたが、風は、東の方から入って来ます、サポートの人達に頼んで東に向きを変えて貰いました。すぐに弱いブローが入ったので、そのまま正面からテイクオフしました。ノーマルルートの尾根に向かいますが、浮きがありません。妻が、すぐ後に出ました。私の上50mの所を飛んでいました。南テイクオフの下の尾根でサーマルを探している時に降下しないポイントがありました。「ここだ」と思い、しつこくセンタリングしました。センタリングしても沈みません。上がりもしませんでしたが、沈みもしません。と言う事は、上昇成分があると言う事です。妻が私の下の方に来ました。「そうだ、そこで回してればいいんだ」と思いましたが、すぐに前の方に向かって飛んで行ってしまいました。先日と同様、渋いサーマルでしつこく回し続けました。徐々に高度を取って来ました。テイクオフより上がり、更に塔の方まで上がりました。妻は、ずっと下の方を飛んでいました。先に飛んだ人も後から出た人も殆どの人達は、降下して行きました。上には、大熊さんと荻野さんが飛んでいました。40分程飛んでいたら「大久保さん、飛んでいるんで すか?」と無線が入りました。生野さんです。「塔の近くで飛んでいます」と返事をしたら、加藤さんから「大久保さん、今日の様な日に流したらどうですか?」とアドバイスがありました。「安全山でしょうか?」「そうですネ」「はい、分かりました」と言う事で、今月初めてのミニクロカンをする事になりました。安全山に方向を向けるとGPSの対地速度は、45km/hrを指示しました。パブリックの尾根にはあっと言う間に着いて、そこでサーマルにヒットしました。センタリングをしましたが、翼がグラグラ揺さぶられました。少し荒れていました。150m位高度を取ってから、又、安全山に向かいました。しかし、安全山近くでは、上昇しませんでした。この辺に降ろそうと思い、加藤さんに「大久保ですが、今、安全山上空を飛んでいます」と伝えました。「はい、分かりました。後は、好きなように飛んで下さい」と言われ、そのまま加古川に沿って飛びました。ユメタウンを過ぎて煙突の場所迄来たら、橋のたもとに野原があったので、そこに降ろす事にしました。(この橋は、稲継大橋)GPSは40km/hrです。向きを安全山方向に変えたら20km/hrになりました。無事、ランディング。すぐに無線を流 しましたが、返事がありません。数回トライしましたが、どうも届かない様です。携帯電話でショップに電話しました。加藤さんが出て、「分かりました。誰かに迎えに行って貰います。待ってて下さい」40分後、お久しぶりの懐かしい坂谷さんが迎えに来てくれました。坂谷さんは、昨年10月頃にお逢いした事があります。体育の女の先生です。運動神経抜群です。ショップ迄の車中、色々とお話をしました。
ショップに戻ってから、車の回収の為にテイクオフに上がりました。回収を終えて道の駅近くに来たら加藤さんと松阪さんのタンデム機が、私に向かって飛んで来ました。空き地で止めて待ちました。お二人を回収してショップへ。

加藤さんに「飛びたい人は、行っていいですよ」と言われたので、甘えてもう1本飛ぶ事にしました。私以外は、講習生なので、松阪さんがテイクオフを見てくれる事になりました。講習生の人達は、南から、私は、東テイクオフへ行きました。ひとりの人が準備していましたが、その人が出てからたった一人でテイクオフしました。東から良い風が入っていて、クロスで楽にライズアップ出来ました。塔の上で大熊さんが高く上げていました。ノーマルルートの尾根で渋いサーマルを探してセンタリングしました。最近、弱いサーマルに良く会うなあ。日没迄には、ランディングする規則なので、ランディング上空に向かいました。久しぶりに片翼潰しをやりました。2回片翼潰しをしましたが、安定していました。その後、スパイラルでランディング場近く迄降下してターゲット真ん中に着陸しました。アーベントっぽい安定した気流は、飛んでいてとても気持ち良かったです。
今夜も「あまご」に泊めて貰いました。ワールドカップサッカー、日本対クロアチア戦を酒を飲みながらテレビ観戦。1−0で敗戦しました。残念。
21日は、気象情報に反して朝から土砂降りの雨でした。ショップに寄って加藤さん、松阪さんと少し話しをして帰宅しました。梅雨の合間の楽しいフライトでした。
「あまご」で海老ちゃん、大熊さん、呉田さんと同宿。呉田さんは、妻がクロカンに行った時に迎えに行ってくれたそうです。

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