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私的領域と公的領域
Book | Society引き続き軽い話題で。電車の中で化粧をするのは罪? で思い出したのが、先日読んだ「ケータイを持ったサル―「人間らしさ」の崩壊」という本。
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この本、話が発散していて論旨が不明だし、まぁよくある「最近の若い者は…」的な老害本と言ってしまえばそれまでなのだが、サルの研究者ということで、着想は割と面白い。例えば、タイトルの一部にもなっている、ケータイについては、「情報」としては意味のない、単に繋がっていることを確認するためだけに使われているケータイメールによるコミュニケーションついて、サルとの類似性を指摘するといった具合である。
その中で、地べたに座る若者や、電車の中で化粧をする若い女性について触れられているのだが、挙げられているがまさに先の
私:「化粧をしていて恥ずかしくない?」
妹:「電車の中の人には二度と会わないから恥ずかしくない」
(知っている人の前では出来ないようだ)
そのもの。つまり、私的領域と公的領域を上手く切り換えられず、公的領域を拒絶して私的領域から出られなくなっているという指摘である(本文中では「家のなか主義」という言葉で書かれている)。筆者は本来公的領域であるべきところ(ここでは電車の中)に私的領域を持ち込んでしまう若者と、全国100万人とも言われる「ひきこもり」が、この同じ公的領域への対応力不足という点で同じ理由に帰すことができると書いている。
ただそもそも「旅の恥はかき捨て」なんて言葉があるぐらいで、日本人はもともと公的領域に私的領域を持ち込んでしまう傾向がある。先の現象も共同体の内と外の境界が変わったと考えることができる。「罪」でなく「恥」の文化にあって、わざと「適度に」恥に鈍感になることでストレスをためずに外界と接することができているのではないだろうか(逆に、そこで鈍感になれない人がストレスをためることになる)。
ともあれ、切り口のユニークさと論理の飛躍具合を楽しむ本である。
一方、同じ共同体の中、同じ私的領域の中では、高い共感能力、高度な感情マネジメントが求められる。これを「心理主義化社会」とか「マクドナルド化」といった言葉で説明したのが森真一氏の「自己コントロールの檻?感情マネジメント社会の現実」である。
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経済的に豊かになってこころが貧しくなったのではなく、逆に、社会から非常に高い「こころのスキル」を要求されるようになったため、ついて行けない人が出てくるようになってしまったという指摘であり、ドキリとさせられること請け合い。
Posted: 2004年05月11日 01:55 ツイート