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ベーシックアクノリッジメント(基本的承認)

Communication | Society

#どうも面白くならないのですが、いじっていても改善しなさそうなので(2ヶ月ぐらい寝かされているので旬を過ぎてますが)ポストしてしまいます。

グローバリゼーションや情報化が進む中、コミュニケーションコンピテンシーやヒューマンコンピテンシーがますます重要とされる現代において、以前に初等・中等学校における「コミュニケーション教育」の必要可能性について触れたことがあるが、「スクールカースト」やそれに言及されたブログ記事その他を眺めていると、どうやら本当に必要なのはそうではないのではないかという思いが強くなってくる。今回は、「ベーシックラブ」の続編として、「ベーシックアクノリッジメント(基本的承認)」とでも呼ぶべき概念について考える。

教育というのはどの層にターゲットを置くか、ということが重要である。例えば、最近「ゆとり教育」の是非が問われているが、「ゆとり教育」の意図は、エリート層(富裕層)に向けたハイレベルな教育とそれ以外への「非教育」であり、つまり、積極的に2極化を推進していこうということだろう。「ゆとり教育」が施された社会では一部の選抜されたエリートによるガバナンスが行われることになるが、その際、中途半端に賢い市民は素直に言う事を聞いてくれないので都合が悪いということであり、平均学力などというものは、落ちて頂いて良かった訳である。

冒頭のコミュニケーション教育ということを考えたときにも、B層(70%程度?)を主要な対象にするのか、C層(10%程度?)を主要な対象にするのかによって、適切なアプローチは全く異なるものになってくるだろう。以前に想定していたのは「(C層を含む)全体の底上げ」ということであった訳だが、その全体に対する教育がA,B層にしかワークしないとしたら、C層にとって助けにならない。

A,B層の場合、プレゼンテーションやスピーチ、ディベートなど話し言葉のスキルや表情・身体動作のような非言語コミュニケーションスキル、傾聴のような聞くスキル、また文章力のような書き言葉のスキルを身につけることは将来のビジネスコミュニケーションのために一定の効果が期待される。観察力や共感力も感情労働においては重要となる。特に感情労働系サービス業界においては今後労働力不足が予想されるため、労働力の供給という意味でも価値がある。

しかし、C層をターゲットとし「ボトムラインの底上げ」を実現するためには、コミュニケーションコンピテンシーを支える土台としての、「ベーシックアクノリッジメント」(基本的承認)とでもよぶべきものが最大の課題になってくるように思われる。「ベーシックインカム」から連想して格好つけた言い方になっているが、要は「ここにいてもいいという実感」であり、「(家族以外の他人に)受け入れられているという実感」である。

「承認」についての欲求は、マズローの欲求段階説を修正したアルダファーのE.R.G理論で言えば関係欲求に属するが、この承認欲求は、もう少し細かくブレイクダウンすると、家族による承認(ファミリーアクノリッジメント)、公的な個人としての承認(パブリックアクノリッジメント)、私的な個人としての承認(パーソナルアクノリッジメント)に分類されると考えられる(図1)。これらは階層化していると見ることもできるかもしれないが、他の承認が得られない時に別の承認で補填しようとする力が(個人の中で)働くことを考えると、やはりもとのアルダファーと同じようにフラットに近いものであると考えて良いだろう。

ERG理論と承認欲求
図1 ERG理論と承認欲求

そういった状況の中で、C層において特に欠けているものはパーソナルアクノリッジメントだろう。仮に学校の勉強ができれば、教師からそれなりに認められ、一定のパブリックアクノリッジメントを得られることになるが、そもそも、20代以下においては、公的な個人という感覚が弱くなっているため、パブリックアクノリッジメントだけでは、不完全という状況が発生する(*1)。その一方で、恋愛が多くの若い人たちにとって大切な理由の1つには、このパーソナルアクノリッジメントの大部分を一挙にカバーできるということにあると考えられる。

(*1)世代だけでなく、成長過程のそれぞれのフェーズでも、重要性の割合は変わってくると思われる。就学前はファミリーアクノリッジメントが中心、就学後はパーソナルアクノリッジメントが大きく、社会人になるとそれにパブリックアクノリッジメントが加わる。

そして、このパーソナルアクノリッジメントは、あくまで学校という場にこだわってこれを得られない人が何らかの対策により得られるようにすることが極めて困難なことが想像される。スクールカーストは閉塞した学校空間をある種の秩序を持って安定化させるのに避けられないシステムであるとさえ言えるからだ。そのため、ベーシックアクノリッジメントを実現するためのシステムは学校外に求めざるを得ない。近年、地域コミュニティの復権が訴えられており、この文脈でも、それは当てはまるが、住む場所はそう簡単に変えられる訳ではないから、やり直しが効きにくいという点で弱点を抱えていることは否めない(*2)。

(*2)高校では恋愛カースト以外のカーストは余りなかったので中学の頃を思い出し見ると、C層では引っ越していったり、ゲームやマンガにハマるといった傾向があったように思う(付け加えれば、C層に追いやられたほとんどの原因は容姿にあったと思われる)。確かに2次元は読者やプレーヤが感情移入するキャラクタが承認を得られるような話になっていることが多いので、セルフ(脳内)アクノリッジメントとして優秀ではある。

加えて、パーソナルアクノリッジメントはもはやC層だけの課題でもなくなってきている。A層やB層では表面的な付き合いは問題ないものの、本心で話せる相手がなかなか見つからないという状況が少なからずある。

移動や配分の容易なカネで解決する「ベーシックインカム」とは異なり、承認、特にパーソナルアクノリッジメントは個人対個人の話なので、単に実現方法のレベルでも容易でない。しかし、個人化のもとでのグローバルな競争が進み、承認感覚を得られない人が増えている中で、「ベーシックアクノリッジメント」は、「ベーシックインカム」の議論以上に切迫した課題になってくるのではないか。

【関連: 性的承認について】
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【関連: その他承認について】
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【参考: 思考実験より】
[society] 群れで生きる裸のサル / 群れ、組織、集団という不思議な生き物を考える
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Posted: 2005年08月22日 07:46 | Trackback このエントリーをはてなブックマークに追加
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