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「萌え」という青い海
Business | Subculture#「空気話」の続きを書けよ、という話もありそうですが、イタめのもあります、ということで軽く息抜きのエントリを。
DHBRに掲載された後、2ヶ月ほど前に書籍化された「ブルー・オーシャン戦略 競争のない世界を創造する」を読んで、ふと、「萌え市場(萌え産業)」、というのはここでいう「ブルー・オーシャン(青い海)」だったのではないか、と思った。
本書では、競争自体を無意味にする未開拓の市場を「ブルー・オーシャン」と呼び、既存の市場「レッド・オーシャン」で低価格戦略や差別化戦略など、従来の競争戦略を駆使してまさに「血みどろの戦い」をくり広げるのではなく、「ブルー・オーシャン」の創造を主張している。直観的に、「ゲームのルールを変える」話に似ているような気がするし、それほど目新しさがある訳でもないが、ともあれ実践していくことこそが重要である。
特に中高生やF1層/M1層にとって、従来恋愛は消費社会日本を支える、消費牽引者の1つとなっている状況がある。ファッションやコスメ、エステといった投資はもちろんそうだし、クルマや、音楽、クラブ、サーフィン、スノボなどは趣味でもあるが出会いの場やツールとしての投資の意味合いもある。デートスポットやプレゼントを当て込んだブランド商品、貴金属などは直接的な「経費」である。また、少し観点を変えれば、キャバクラや風俗も恋愛関連市場と言えなくもない。
しかし、人口減少社会を控え、こういった年齢層がベースとして減ってきているのに加え、恋愛の2極化によって、マーケティング機能としての恋愛の神通力も絶対的なものではなくなっている。中高年層のスローラブや「自分へのプレゼント」型の代替消費も期待できるとは言え、今のままでは右肩上がりの市場は望みにくい。恋愛という効能の観点からは、前記のようなまさにあらゆる産業が同じ財布を取り合うことになるのだから、その競争は非常に厳しいものがある。一方、恋愛に縁のない人は風俗のような疑似恋愛市場で消費するのではないかという話もあるかもしれないが、本当に縁のない人は変に真面目だったりプライドが高かったりして、風俗に行く事もなかったりする。恋愛関連市場に、ほとんどカネを落としていない人たちがこれまで存在していたのである。
そのような中で、メイド喫茶のような萌えビジネスは「(ある種の)比類なき効用」「手に届きやすい価格(通常、キャバクラや風俗より安価。そうではないサービスも増えつつあるが)」「妥当なコスト(カフェの延長、限定的な設備投資)」「導入の障壁への対処(ヴェネチア・ビエンナーレ日本館や電車男のようなプチアキバ系の一般化)」といったブルー・オーシャン・アイデア(BOI)インデックス(同書p.186)を備えて登場し、従来恋愛関連市場にカネを落とす事になかった、「市場から最も距離のある未開拓の非顧客層」の一部の財布の紐を緩めることに成功した。もの珍しさも手伝って、一般の人々に来てもらうことに成功しているところもあるようだ。
ところで、消費者から見た「萌え市場」というのは、どのような意味を持っていたのか。精神科医の斉藤環氏が「萌え」とセクシュアリティの繋がりについて指摘していたが、「萌え」と恋愛や性愛には確かに関係がありそうである。恋愛の自由化によって、一部の勝者以外の中間層は、恋愛市場で厳しい競争を求められており、まさに恋愛の「レッド・オーシャン」というべき状況が発生している。そのような「レッド・オーシャン」に参加することができなかった層にとって、「萌え市場」が既存の恋愛市場に対する、「競争のない世界」「競争自体を無意味にする未開拓の市場」としての意味を持っていたことが想定される。まさに、多義的な意味で、「萌え」は「ブルー・オーシャン」だったのだ(図1)。
図1 多義的な「ブルー・オーシャン」
ただ、この萌え市場ももはや(ビジネスとしては)競争が激化しており、すでに一部では撤退も始まっている。メイド喫茶は「メイド」(あるいは「コスプレ」)という属性だけに依存しているところに限界があり、参入障壁が低く模倣が容易だ。競争から抜け出すには新たなバリュー・イノベーションを伴うブルー・オーシャンの創造が求められつつあり、そしてそのヒントはよりコアなアキバ系コンテンツにありそうな気がしている。次回があれば、その辺りについて考えてみたい。
関連:
[subculture] 萌えるアキバが日本を変える メイド喫茶(4)
多分、「萌え」に関する最大の成功者は森永氏かと。経済アナリスト+「萌え」ということで、アナリストや評論家として全く競争のないユニークな立ち位置を築いてしまった訳で。
ビジネス(特に企業レベルのビジネス)、という観点からすれば、
萌え市場はこれから先細りしそうな材料に事欠かないような
気がすると私は推定していますが、一個人の適応、という視点
からみると、1995年頃と比較してそれほど適応的意義が
衰えているとは思えず、「面白いものが出なくなってる」とも
思えないような気がします。当時も、オタク界隈に対する
風当たりはアレだったわけで。
コミケに出入りしているぐらいのレベルのオタク達にとっては、
現在は楽しいオタクコンテンツはまだまだたくさん、たぁくさん
あるような気がします。ただし、コミケに出入りしているぐらいの
レベルのオタクでない場合はどうなんでしょうね?コミケに出入り
しない・できない程度のオタク趣味レベルでも、確かに攻殻のような
コンテンツに出会う確率はあるでしょう。ですが、確率が低い
でしょうし、萌えコンテンツの中から楽しみを見いだし続ける
のも難しい気がします。継続的にブルー・オーシャンにたゆたう
事ができるのは、最低限の情報収集力・コンテンツ収集力
etcが求められるっぽいですね。
私見では、上記を備えるには「大事なオタク仲間」というリソースが
非常に重要のように思えます。最近、私の周りのオタク達(とオタク
としての私)って、実はメチャクチャ幸せなんじゃないかと感じる
ことがあります。もしも、彼らとのつながりや自分たちのネットワークが
無かったら、私のブルーオーシャンは「お魚のいないブルーオーシャン」
になっていたような気がしてなりません。オタク界隈の中でよろしく
やっていくコミュニケーションスキル&スペックは、恋愛に求められる
それとは質・量ともに違うでしょうけど、オタク界隈なりに要請
されているような気がします。そして、そこからすら外れてしまって
いる少数のオタ達は...。
PS:なんか他にも秋風さんが面白い記事イパーイ書いてる!
空気がんがれー!!!!
シロクマさん、コメントありがとうございます。
何だかコミケはモテだ、と看破した(http://d.hatena.ne.jp/rAdio/20050815/1124095724 )明治セックル維新さんを想起しました。
たけくまメモさんのオタク老人ホームの話じゃないですが、レガシーな家族を構築しないつもりなら、尚更仲間、同好の士は大切だと思います。
このエントリは新たに立ち上がった2.5次元系サービスを想定して書いてますが、実際には2次系コンテンツ・サービスの方が相変わらず萌え市場の中心にあるでしょうから、そこをうやむやにしているのがやや苦しいです。
Posted by: 秋風 : 2005年09月04日 19:15はじめまして。突然のコメント。失礼しました。
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(フラッシュ三脚は禁止)平山郁夫にしても草間彌生にしても既にタダでは観られない物になっていますが…もしタダでしたらそう損した気分にはならないのではないでしょうか。茶道具も古い物は好いのですが、今それを真似した高価な物を見てもそう感慨はわきませんよね? でも現代の情景みたいなものの中に昔の茶の心につながるような物を見つける事もあると思います。何を好むかというのは美術にとって大事な事と思います。大切にするべきです。それが許される世界でもあると思います。図書館というのは良いアイデアですね。自分の本を整理していたのですが、その時はじっくり見ていたく気に入っていたのにずっと見ないでいた本がたくさんあります。
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どうも。
あぁ、分かってしまいました。
やはり私は、「現実で手に出来ない恋愛」をゲームに求めていたのですね。
何を今更ですが、こうして論理的かつ現実的な文章を目の当たりにし、再確認です。
未練というか、未だに叶えられないものに「ゲーム」をプラトニックと妄信し、執着しているのだなぁ、と。
少し、悲しい31の秋です。
Posted by: 永夢 : 2014年10月13日 04:20