Back Numbers | Home

Columns: Society

幸福拒否症時代の処方箋

Society

2006年の初エントリということで、今年もよろしくお願いします。いつもは斜に構えたsociologicですが、年初のエントリぐらいはスーパーポジティブ(超建設的)路線でお届けします。

昨年末に読んだ「この社会の歪みについて―自閉する青年、疲弊する大人」は、非常にあっさりした本だが、精神科で悩みを抱えている人々に接して来られた経験からか、生活者がおかれている状況を肌で捉えたものとしては割とポイントを押さえていると感じた。若者は外面と内面の2つの分裂した世界を使い分けているとか。で、本によると、日本は、他の先進国に比べて幸福を感じている若者が極端に少ないらしい(*1)。

(*1)付け加えれば、仮に未開社会で調査をすれば更に幸福度は高いのではないかと思われるが。

ちょっと長めの引用になるが(*2)、

 ソウルの小学五年生では、「幸福を感じる」のは八割です。北京では、九割以上。ところが東京では、五七%。六カ国中、最も低かった。
 幸せだと思っている子どもが、八割、九割いるのが普通の社会です。だけど日本では子どもの幸福感が低く、しかも年々下がっていく傾向にある。
 「幸福か?」という設問ではないんですが、二〇〇一年八月、文部科学省の財団法人、日本青少年研究所が行った調査で、「この社会に対して満足か?」という、満足度を聞いています。それに対して、社会全体についての満足度についての設問では、満足と感じるのは、アメリカの青年では七二%、フランスでは五四%、日本では、僅か九%です。
 また、「二一世紀には希望に満ちているか?」という問いに対しては、肯定したのが、アメリカでは八六%、韓国で七一%、フランスで六四%、日本では三四%です。
 こういう数字が表しているように、日本では、若年層にも、幸福感があまりないんです。子どものときからすでに、希望を失っている。なおかつ、成人に近づくにつれて、ますます希望がなくなる。
 この数字に、ゾッとしないといけないんですよ、私たちは。しかしあまりゾッとしていない。なぜか。大人も幸せでないから。「当たり前だ」と思っているんです。社会全体が幸せでないから、子どもが幸せでなくても、異常が起きているとは思わずに、「なるほど」「お前たちもか」くらいに思っている。学年が上がって行くに従って幸福感がますます減っていくのは、「成長してるんだなあ」くらいにしか認識していないわけです。
 社会を構成している人の相対多数が、幸せだ、と思っているのが、社会として普通なんです。

という箇所にはかなりガツンとやられた気分になった。まさに「大人になるってことはそういうことだ」ぐらいに捉えていた感覚があったからだ。

(*2)ちなみに、調査の元ネタはそれぞれこちらと思われる。
[education] 第5回-国際教育シンポジウム報告書-「子どもにとっての教師」~国際比較を通して教師のあり方を考える~
[society] 新千年生活と意識に関する調査 日本・韓国・アメリカ・フランス国際比較

ただ、これだけ(比較的)豊かで安全な日本において、幸せや未来への希望を感じられないというのは、ある種の「幸福拒否症」のようなものがあるようにも思える。実際に、少子化+高齢化+ニートの3連コンボによる労働力や社会保障の課題があったり、「日本の借金時計」で示される日本が抱える巨大な借金といった国レベルの課題、あるいは個人のレベルでの雇用の不安定化や様々な2極化があるのは確かだが、バブル崩壊後自信が持てなくなってしまったのか、そこにあるのはむしろ「漠然とした不安感」のようなもののように集約されるように思われる。何故か日本では、(特に社会の)問題探しと「犯人」探しが好まれており、悩む事、心配すること自体が目的化しているようでもある。その一方では、「この社会の歪みについて」にもあるように、「現実を追認するメンタリティ」、つまり、社会に対して不満を持った時に、選挙以外の行動を起こさないという意識が育まれている。これでは、閉塞感を感じるのは当然であり、幸福になることを自ら進んで拒否しているかのようだ。

こうした「幸福拒否症」に対して、「すごい考え方」のような建設的思考法を適用した処方箋を考えてみる。つまり、普通の考え方では、「正しくあるべきだ」→「何かが間違っている(自分は正しい)」→「誰かが悪い(被害者意識)」→「直せ」となってしまうところを、「効果的になろう」→「何が起きているのか」→「(自分は)何が可能か」→「(自分は)どんな行動をとるべきか(コミットメント)」と考えるのである。

具体的には、次のようになるだろう。

1)まず初めに、何がおきているのかということで、「漠然とした不安」の内容を出来るだけ具体的に、ノートやPCに「全て」書き出す。脳が空っぽになるように外部記憶に吐き出してしまう。

2)次に、各項目に対して、「自分が何ができるか」を考える。より幸せに生きるための、セカイを変える方法は「『ゲームのルールを変える』ゲーム」で書いたように、i)社会を変える、ii)自分を変える、iii)価値観を変える、の3つだが(*3)、これらを全て「社会/自分/価値観を変えるために、『自分が』、いつまでに、どうする」という可能な限り期限付きのアクションに落とし込む。もし、アクションがどうしても思いつかない場合は空欄にしておいても構わないだろう。

(*3)「自分」と「社会」しかないところがセカイ系チックだが、「社会」には、ごく身近な人から、広く友人、あるいは自身が所属するグループや地域社会で会う中距離の人などグラデーションな距離感が含まれている。

3)最後に策定した各アクションを粛々と実行する。合わせて、アクションを実行する以外の普段の生活では、そうした心配事は全て忘れ、身近な人との充実した触れ合いや、自分の趣味の時間を楽しむことに集中する。一時的に意識の外に追いやっても問題ないように、外部記憶に吐き出した訳だ。

4)その後は例えば1週間ごとなど定期的に、心配事リストを見直してアクションをアップデートしていく。

もちろん、社会全体の巨大な問題については具体的なアクションが思いつかない項目もしばしばあるだろう。それゆえに、普段私たちは「〜すべきだ」「〜が必要だ」「〜した方がいい」のような、「官」あるいは誰でもない「誰か」に期待するような他人頼みの言い方をついしがちになってしまうのだが(sociologicもそうだが)、アクションが思いつかない場合は、結局のところ何ひとつとして解決に近づくことはない。自分ができることについてはベストを尽くしているという感覚が得られていれば、あとはより楽しいことに心を配り、時間を割いた方が得な訳だ。それが、あくまでも「効果的になる」ということである。

こうした「建設的」思考はひとつ間違えると、つまり上から強制された瞬間に、「社会なんてものは存在しない、あるのは個人だけだ」というネオリベ的自己責任論に転換しそうで、注意が必要ではあるものの、自分で取り組む分には、閉塞感や不安感をいくらかでも解消する手助けとなるのではないだろうか。

【参考リンク】
[misc] Getting Things Done (a.k.a. GTD) part (1)/(2)/(3)/(4)
すべきことを吐き出した上で、がしがし片付けていくためのGTDメソッドについて参考になる。
[misc] check*pad
ToDo管理ツールサイト。ネットに繋がっていればどのPCからでも使える上、他の人とも共有できるのが便利。

【参考書籍】

4877585001この社会の歪みについて―自閉する青年、疲弊する大人
野田 正彰
ユビキタスタジオ 2005-08

by G-Tools

4806122963すごい考え方
ハワード・ゴールドマン 松林 博文
中経出版 2005-12-01

by G-Tools

Posted: 2006年01月02日 00:00 このエントリーをはてなブックマークに追加
Amazon Search(関連しているかもしれない商品)
コメント
コメントする









名前、アドレスをブラウザのcookieに登録しますか?