Columns: Communication
想像力の源泉
Communication | Society先の首相もそうであったが、政治家や学者先生の中には、市井の生活者に対する想像力が欠けているのではないかと思わざるを得ない発言が見受けられる場合が少なくない。自分の周りにいる人の話だけを聞いているのでは、というヤツだ。こうした自分と異なる境遇の他者に対する想像力は、どこから生まれて来るのだろうか。
言うまでもなく、自分の経験、あるいは「自分が経験していない」という経験は、もっとも主要な想像力の源泉である。自分と同じような境遇の人に対する想像力は、比較的働かせやすい。しかし、これだけだと自分が経験していない事、もしくは「自分が経験していない」という経験をしていない事(…ややこしい)に対しては、想像することができないのか、という話になる。そんなことはないはずだ。これでは「自分が経験していないことは語るな」という一種の経験至上主義に陥ってしまう。人生の時間は有限であり、あらゆる経験をするには時間が足りないし、経験していることと経験していないことを同時に経験することは論理的に不可能である。
経験(もしくは非経験)を補う要素の1つは知識だろう。単純に、知っていない事を想像するのは難しい。例えば、初めて知って軽い衝撃を受けたものに「便所飯」がある。
[communication] はてなブックマーク > 便所飯 - Wikipedia
あまりに魂がこもっていてアツ過ぎるためかWikipediaから削除されてしまっているが、自分ですら全くこういったことが行われている可能性を想像することができなかった。まさに不可視問題なので、正直、都市伝説なのかどうかも分からないが、この文章のリアリティは真に迫るものがあるのは確かだ。
こうした不可視問題はもちろん、書籍によって知ることができるものもある。
[society] 404 Blog Not Found:書評 - ルポ 最底辺
一方、比較的表に出てきやすい経済弱者問題に対して、コミュニケーション弱者問題は、ネットによって初めて知る事ができるものも多い。
[society] はてなブックマーク > 【2ch】日刊スレッドガイド : ガチで数年引き篭もった事のある奴しかわからない経験
[communication] はてなブックマーク > ( ;^ω^)<へいわぼけ: おまいらのトラウマにスイッチが入る言葉
ネットによって、不可視問題が現場のリアルな声によって知られるようになったことは1つの効果だと思う。
しかし、想像力を働かせるということでは、知るだけでは十分ではない。他者への想像力を働かせることにおいて、知識を活かすのが共感力ではないだろうか。つまり、
他者への想像力 = 経験(or 非経験) + 知識 x 共感力
(もしくは 他者への想像力 = ( 経験(or 非経験) + 知識 ) x 共感力 かも?)
ということになる。共感力はEQ(こころの知能指数)の1要素(共感的理解、共感性ともされる)でもある。EQを高める方法は色々と語られており、書籍も多数出ているが、自分の感情を制御したり、傾聴のスキルを身につける事は訓練によってできるが、こと共感力においては、生まれついたものが大きく、なかなか難しいように感じる。
冒頭の話に戻れば、学の高い政治家や学者先生が単に「知らない」というのも考えにくい。知っていても、自分と異なる境遇の他者への共感力の欠如が、生活者が「見えていない」発言に繋がってしまうのではないだろうか。
Posted: 2007年11月05日 00:00 ツイート