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Columns: Society

承認フレームワークの拡張

Society

1ヶ月ほど前に「国民総幸福量の増大には価値観の真の多様化が必要」というエントリを書きかけて放置していたところ、例の秋葉原の事件が起きてぎょっとした。「価値観の多様化」という言葉はモノやサービスが大量に売れなくなった原因として挙げられる訳だが、それはあくまでも商品の好みが多様化しているだけであり、こと生き方や幸福観としてみた場合には余り多様化していないどころか、むしろ画一化しているようにすら感じられる(例えば、「「見た目」依存の時代―「美」という抑圧が階層化社会に拍車を掛ける」とか「容姿の時代」)。

先の事件が承認の問題が遠因あるのではというのは、先日のニュースメモでも書いたが、socioarcでは以前から「ベーシックアクノリッジメント(基本的承認)」などで取り上げて来たように、承認を得られないこと、承認格差が社会の不安定化に繋がるという問題意識がある。先日「はてなブックマーク > 非承認型社会「日本」へようこそ - Thirのはてな日記」というのを読んだので書きかけのエントリを再構成してみた。ただ、ここでは「承認」は、「他人に必要とされている感」でありそれによって「社会と繋がっている感」程度の意味合いとしている(「他の誰でもない自分」は敷居が高過ぎて普通の人でもムリ)。

承認の源泉となる3つのメインエンジンは「家族(+恋愛)」「仕事」「カネ」であり、どれか1つでも機能していれば「やっていける」はず(ただ「カネ」はうなるほどないとそれだけでは辛いが)なのだが、これらの3つのエンジンは現代では完全に独立しておらず、1つのエンジンが機能しないことで、他のエンジンにも影響が出てしまうことが少なくないため、フォールトトレランス(耐障害性)として機能していない。コミュ力と容姿に恵まれれば仕事やカネがなくても恋愛や家族を得ることは可能だろうし、親から莫大な資産を受け継げば仕事につかなくても家族を持つことは可能だろうが、誰にでも得られるものではなく、教育にカネがかかるようになり、経済格差が教育格差に繋がり、それが就職に響いてカネを稼げず、収入が十分でないために家族も持てなくなる、といった格差の再生産の方がむしろ起きがちである。結婚はともかく、カネとは関係ないはずの恋愛にすら、カネが重要になっているようなネタなのかどうか分からなくなってくる話もあるようだ。

[partner style] はてなブックマーク > お風呂は39度で。 【恋サロ】貧乏なくせに恋愛しようとする男って何なの?

今後日本でゆるやかに貧困化が進行し、ますます経済格差や恋愛格差が広がり、かつては「普通」であった生き方(「まともな生活 - 狂童日報」)が難しくなる中で、社会の安定性を保つには、「家族(+恋愛/友人関係)」「仕事」「カネ」に直接関係ない、新たな承認の源泉を見つけることが必要となる。今もっとも有力な3つを挙げるならば「宗教・イデオロギー」「アキバ系」「ネット」だろうか。

承認フレームワーク
図 承認フレームワーク(クリックで拡大)

「宗教」は、はるか昔には機能していたのだろうが、今の日本では一部の新興宗教を除いては機能しているようには思われない。「コラム:日本人の宗教嫌い」などで指摘されているように、仏教、神道、儒教的なものは文化やもの考え方に染み込んでいて、日本人は無宗教ではないというのは確かのようにも思えるが、「家族(+恋愛)」「仕事」「カネ」のどれも得られなかった孤立した人が救われるツールとして機能している訳ではない。「国民総幸福量」のブータンではないが、精神的な豊かさをもたらす宗教の大切さには改めて光があてられていい。また、イデオロギーも同様の意味合いがある。

[society] はてなブックマーク > 未だに「自称人間」を辞退する勇気が無い者は、「宗教の機能」を見直すべきだろう。 - ポスト・ヒューマンの魔術師

「アキバ系」は、「BizPlus:コラム:森永卓郎氏「萌えるアキバが日本を変える」第57回「秋葉原無差別殺傷事件は何を意味するのか」」で書かれているように、残念ながら先の事件では3次元への未練が強くて十分ではなかったが、2次元やMMORPGのような現実逃避性もさることながら、それ以上に同じ趣味を通じてコミュニティに繋がるきっかけとして有効だ。

[subculture] はてなブックマーク > いくらレベル値を上げたところで、現実の世界は何も変わらない(終章) - ls@usada’s Backyard

言うまでもなく「ネット」もコミュニティへの接点になる。

[society] はてなブックマーク > 秋葉原事件に見るネット・コミュニティー育成の重要性 - 風観羽 情報空間を羽のように舞い本質を観る

どんな承認システムも必ず救済できる訳ではない(実際に秋葉原の事件では「アキバ系」「ネット」が原因というよりは、「十分でなかった」という方が近い)が、大切なのは暴発する確率をどう減らすかであり、総幸福量を増やすために何ができるかだ。それも、単に「自己責任」ではなく、いかに社会システムとして提供するか、ということになる。社会の安定度を高める意味で、メインエンジンである労働・雇用の問題の解消や、貧困対策が不可欠なのは当然だ(恋愛・家族格差も深刻だが、余り有効な対策がない)が、グローバリゼーションやIT化がもたらした変化は完全には戻りそうにない。その意味で、メインエンジンを補完する承認フレームワークの拡張は有用だろう。

ただ、気になるのは、これらの補完するエンジンはいずれもコミュニティへの接点となるものであり、ここでも「コミュ力」がボトルネックになってしまう可能性である。「コミュ力」の有無を気にせずに繋がり感を得られる仕組み(ニコ動はもしかしたらある程度上手くいく可能性があるかもしれない)が期待される。

関連: [society] 奇人変人のフレンドパーク - 承認格差と労働契約法制

Posted: 2008年06月30日 00:00 このエントリーをはてなブックマークに追加
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