Columns: Society
持つべきか持たざるべきか
Society先日、ワールドビジネスサテライトで、ブランド品のレンタルサービスが流行っている、というニュースをやっていた。不況だなぁ、ということであるのだが、socioarcではこれまでにも、「持たない人生」などのエントリで、所有から利用の流れ、産業や社会のサービス化の流れが個人レベルでも起きていることについて書いてきた。そこでは、こうした現象が起きている理由として、単に「変化が激しいから」としてきたが、これだけではどうもロジックに飛躍がある感じがし、全てを説明することはできなそうである。そこで、ここでは、他の要素を含めて、個人があるものを「持つべきか持たざるべきか」を戦略的に判断するフレームワークを考えたい。
結論から言えば、「持つべきか持たざるべきか」は、「コア(Core)」「機会(Chance)」「変化(Change)」という、3Cフレームワークで判断できそうなことが分かった。それぞれ、「コア」は、それが自分の生活にとって核となる重要なものであるか、それとも重要ではないものか、ということであり、「機会」は、所有または利用の機会がどれぐらい存在するかであり、「変化」は、需要や要求の変化がどれぐらい起きるか、ということである。
そして、この3つのCには、完全に1対1対応ではないものの、3つの背景がある。すなわち、「価値観(Value)」「資源(Resources)」「環境(Surroundings)」である。
所有と利用のフレームワーク
例えば、たびたび論争が起きる「持ち家 vs 賃貸」の問題だが、昔は「持ち家」信仰があり、つまり「コア」であったので、議論の余地がなかったが、今はではそうした信仰も(特に都市部では)薄れてきた。「変化」ということでは、毎日泊まるものだから、需要自体は不変である。ただし、ノマドと呼ばれるような定住しないライフスタイルでは、買うという選択肢はない。それ以外で、ある程度定住する想定で、純粋に損か特か、という議論になると、「機会」としての受給バランスは、中長期的に人口減少、やがては世帯としても減少し、供給過剰になることが見えている。ファミリー向けの良質な賃貸物件が少ないなど、ジャンルによる偏りはあるかもしれないが、基本的にはカネがあればどちらでも、ということになる。
そこで、サービス(賃貸物件)提供側の立場で考える。賃貸物件として貸す側は、当然ながらそちらの方が売るよりも儲かるからこそ貸している訳である。その際、銀行や市場から資金を調達し(資本コストを支払い)、土地を所有し、建物を建て、賃貸料の未払いリスクや、空室リスク、地震で壊れるリスクといった様々なリスクを引き受け、固定資産税を支払い、それでも賃貸料によってプラスになっていることになるのであり、賃貸料には相当「乗せられている」ことが分かる。
少し話が逸れるが、個人がサービスを選択する理由があるように、企業にも「サービスビジネス」が成り立つのに、いくつかの条件がある。(i)その事業がコアであること、(ii)専門であるがゆえにノウハウが蓄積されていること、(iii)スケールメリットによって運用コストを低減していること、(iv)技術的、規模的または市場的に需要変動を吸収していること、といったところである。
(i)(ii)は例えば、ボランティアだったり、仕事の一部として、オフィスやオフィスビル周辺の清掃を行っている一般の企業があるかもしれないが、投資銀行は多分そんなことをやっていない。ファンドマネージャのミッションはカネを必要としているところに投資を振り分けて経済を活性化し、社会を良くすることであろうし、一方で、清掃事業者のミッションは、オフィスや街を綺麗にすることで、こころを豊かにすることを通じて社会を良くすることであったりするだろう。ミッションであるからこそ、やる気になるし、ノウハウも蓄積される。基本的に、この社会は、○○を通じて社会を良くする、という異なるミッションに基づく分業で成り立っている。
(iii)(iv)は、2009年のIT業界のバズワードであるクラウドを考えてみれば分かる。クラウドだから安くなる、などということはありえない。圧倒的なスケーラビリティを満たしている企業のみが意味のあるクラウドを提供できるのであり、単にユーザ企業のシステムをそのままアウトソースするだけで、何のスケーラビリティもなければ、ユーザ企業のリスクと資産と運用を引き受けるだけでは安くなるはずがない。
「持ち家 vs 賃貸」の話に戻れば、このような提供側の論理を考えれば、答えはシンプルであり、運用ノウハウもなく、スケールもしない個人が借金してまで買うのは損であり、現金で買える(せいぜい数年までのローンで返済できる)ならば買っても良い、ということになる。賃貸志向が強くなっているのは、単純にそれだけ頭金として払えるまとまったカネを持っている人がいなくなっている、ということなのだろう。
クルマについても同様に考えれば良い。クルマいじりやドライブが趣味な人にとっては、クルマは「コア」である。また、毎日の通勤や、仕事、生活にクルマが不可欠な人にとっては需要が「不変」であり、持たないと生活ができない。クルマが趣味でもなく(コアでない)、公共交通機関やタクシー・レンタカー・カーシェアリングが発達し(サービス利用機会大)、普段乗らない(変化大)、都市部の人にとっては、クルマ離れは必然である。
冒頭のブランド品レンタルについては、節約志向が高まった結果として、実はそんなに普段使っていないことに気づき、一時的に利用することで十分、ということになる。当初のつもりとしては1度しか使わないウェディングドレスを買う人がいないように、使う頻度が低いものは、共有することによるサービス化が有効だ。問題はブランド品が日本人にとっての「コア」でなくなったのか、ブランドの意義に構造的な変化が起きているのかどうかだが、これは景気が良くなった後にどういう行動が行われるかで分かると思われる。
さて、家族やパートナーはどうか。家族やパートナーが「コア」でない、というのは、一見、考えにくい。家族やパートナーの需要が「変化」する、というのも(不倫を除けば)考えにくい。ただ、ひとりの時間をどれぐらい必要とするか、というのは、恐らく人によって全く異なる。1時間でもひとりでいるのが耐えられない人と、仕事の時間以外はひとりでいたい人では、「コア」度は異なるだろう。これはその背景にある「価値観」の違いだ。もちろん、「資源」(収入・資産、性格、容姿、能力、社会的地位、等)に基づく「機会」の格差は、家族を持てるかどうかに大きな影響を与えるだろう。非婚化の一因は、社会的圧力が弱まったり、女性の経済力が高まったことで、「コア」度が下がる一方で、中流階級の没落により「資源」が低下していることにあるというのは、しばしば指摘されていることである。
「価値観」「資源」「環境」は人によって違うから、「コア」「機会」「変化」も人によって様々である。それゆえに、自分の経験を元にした○○すべきだ、という指南は基本的に無意味だ。ただし、「コア」「機会」「変化」が前提条件として与えられるのであれば、所有と利用のポートフォリオをどう組むべきかは、メソドロジとしてほぼ自動的に導かれるのではないか。
Posted: 2009年11月23日 00:00 ツイート