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Columns: Partner Style

「婚活」の成功と限界

Partner Style | Society

以前、「婚活」ブーム、ホント? を書いたときは、「婚活」は単に、結婚情報サービス企業のマーケティングに過ぎないのではないかと、正直なところ斜に構えて見ていた。しかし、昨今の自治体などにおける出会いイベントの広がりを見ると、もはや企業のマーケティングワードでもなく、一過性のブームでもなく、生活者の本質的なニーズに適合するものであるということを認めざるを得なくなってきた。

もともと、「いつかは結婚したい」「いい人がいれば結婚したい」という人は、依然として未婚者の9割を超えていた(第13回出生動向基本調査/国立社会保障・人口問題研究所)訳だから不思議ではないが、あくまでも「自然な出会い」にこだわり、結婚相談所や結婚情報サービスに登録してまで露骨に活動する、ということに抵抗感を感じていた人が堂々と動きやすくなったという点で、「婚活」という言葉の発明は結果的に大成功を収めたと言える。言葉の発明によって多くの人の行動を変えた、ということではメンタルヘルス対策における「心の風邪」にも似ている。

ただ、出会いの機会が少ないという問題が、婚活の広がりによって解消されてくるに従って、より根本的な問題が浮かび上がってきたようにも思われる。

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ここでの評価関数に基づくマッチングの仕組みは、婚活の限界をシビアに示している。マッチングがおおむね正しい、つまり、常に自分と釣り合いの取れた人が基本的に紹介されているとするならば、それでマッチングを繰り返しても結婚に繋がらないのは、自分と釣り合いの取れるレベルの相手と結婚するぐらいならば、生涯をシングルで過ごす方がマシだ、まだその方が幸福に生きられる、ということを少なからぬ人が判断し始めている、ということになる。結婚予備校などでの自分磨きによって、結婚市場における市場価値を高めたとしても、投資したのだからとその分だけ相手に期待するレベルを上げるのであれば同じことになる。磨く内容が相手が望む属性と異なれば、期待値を釣り上げた分、むしろマイナスにさえ働く。

だとすれば、いくら出会いの場の提供によってマッチングの機会が増えたとしても、雇用が流動化してイスの回転が速くなっただけの労働市場と同様に、抜本的な結婚率の上昇には繋がりそうにない。せいぜい、本来ポテンシャルが高く、相手に対する期待値も自らの市場価値に釣り合っており、職場が同性ばかりなどで、たまたま本当に機会がなかった人が救われるぐらいである。

そう考えてみると、釣書や親の同席を含めた昔ながらの格式張った「見合い」こそ激減したとはいえ、「見合い結婚」の減少が未婚率の上昇に直接繋がっている訳ではないように思われる。恋愛が必ずしも得意ではない人であっても、友人なり、両親や親戚なり、近所の人なりを通じた紹介・きっかけづくりは依然として有効に機能しているからである。

ボトルネックになっているのはむしろ、社会的圧力の減少や、単身者向けのサービスの充実により、無理に結婚するよりも、シングルを通した方が良い、という考え方の方にある。ただ、これ自体は決して悪いことではなく、若年層における男女の経済格差の縮小、ライフスタイルや家族スタイルの多様化、家庭機能のサービス化の中では自然な帰結である。

同様に、「カネがないから」というのも直接的な原因ではないと言える。家族が協力して暮らしていくということであれば、資産や収入といった属性は、評価関数から外れてもいいはずだからである。(「婚活」を白河桃子氏とともに造語した山田昌弘教授が仰られていることでもある。)

これらは婚活サービスがこれから更に充実したとしても、それがマッチングの機会提供に留まる限り、簡単には解決できそうにない。いつかは結婚したいと婚活に取り組む人も、結婚によるリターンの期待値が低いことを活動を通して痛感した人は、やがて「婚活離れ」をしていくことになる。「馬を水辺に連れて行くことは出来るが 水を飲ませることは出来ない」のである。

Posted: 2010年05月20日 00:00 このエントリーをはてなブックマークに追加
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