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■-少年の檻 - ヴィンセント=ベイン (04/08 21:30)
 └Re:少年の檻 - Saga@lain (04/08 22:53)
  ├Re[2]:少年の檻 - ヴィンセント=ベイン (04/11 19:05)
  │└Re[3]:少年の檻 - Saga@lain (04/11 23:32)
  └横槍レスです - k@まだ大学生 (04/25 18:27)
   └Re:横槍レスです - ヴィンセント=ベイン (04/25 19:22)
    ├感想ありがとうございます - Saga@lain(Lモード起動) (04/25 19:54)
    └受容 - k@まだ大学生 (04/29 19:30)
     └Re:受容 - ヴィンセント=ベイン (04/29 21:06)
      └補足? - k@まだ大学生 (05/02 06:08)

■ 少年の檻
投稿者:ヴィンセント=ベイン さん  ( uid 25970, posts:2, since 2001/04/06 )
投稿日: 2001/04/08 (日) 21:30 No.83 | 編集 | 削除

というわけで、

雑談の続きです。(”すみわけ”って書いてあったし・・・)

感想:”少年”が暗闇でたたずんでいる、、という感じがしました。
ソナーをうっても突き抜けてしまう感じというか。

ずっと聴き続けていると、引き込まれそうで怖いような。。。


でも、後味(?)が、、いや。

弾き方が”少女”でなく”少年”だな、と。
自分の持っている”少年”(ショタではなく)の部分をさらけ出したら、こんな風になるような気がします。

ただ、この曲は、〜少年の檻〜っていう題名で、もう曲として完結していると思います。
ゲームのBGM、、贅沢だなぁ、と。

製品版でどうなるか、興味あります(笑)


作曲って自分の中の作業ですよね。
無いものは、作ろうと思っても出ない・・・はず。

で、、この曲は”人間の心の一部がさらけでている”という感じがするのです。

自分の状態(健康状態とか精神状態)に関係なく、このクオリティで曲書くのがプロ。。って言われると、それまでなんですが(あう)

(最近、日記に管理人さんが出張しっぱなしなのが、少し気になるのです。)

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Re:少年の檻
投稿者:Saga@lain さん  ( uid 26945, posts:466, since 2000/12/23 )
投稿日: 2001/04/08 (日) 22:53 No.84 | 編集 | 削除

記事No.83 へのコメントです。

>自分の状態(健康状態とか精神状態)に関係なく、このクオリティで曲書くのがプロ。。って言われると、それまでなんですが(あう)

いや、都合よく人間には記憶とか想像力がありますから。

喜怒哀楽の経験を覚えておいて、曲に出すって事ですね。

「殴られたら殴り返す」でも無くて、「右の頬を打たれたら左も」でも無くて。

ただ執念深く覚えているべし、という。

それが・・・

>で、、この曲は”人間の心の一部がさらけでている”という感じがするのです。

っていう感想につながるんじゃないでしょうか。

曲の前半の単調な調子と最後の押えが効かない感情の出方は高橋悠治氏や坂本龍一氏から受けた、「醒めたロマンティック」な影響が出てるんでしょう。

それとクールに成りきれない、ワタシの性格でしょうか。

>(最近、日記に管理人さんが出張しっぱなしなのが、少し気になるのです。)

意地でも出ないって言ってるから(笑)出してみました(爆)

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Re[2]:少年の檻
投稿者:ヴィンセント=ベイン さん  ( uid 25970, posts:1, since 2001/04/11 )
投稿日: 2001/04/11 (水) 19:05 No.87 | 編集 | 削除

記事No.84 へのコメントです。

>いや、都合よく人間には記憶とか想像力がありますから。
>
>喜怒哀楽の経験を覚えておいて、曲に出すって事ですね。
>
>「殴られたら殴り返す」でも無くて、「右の頬を打たれたら左も」でも無くて。
>
>ただ執念深く覚えているべし、という。

それは、、ある意味殴り返される事よりも怖いですね。
もう曲として”形”で残ってしまう、と。。

ん〜〜。。。
ただ、、哀とか怒ばかりだと、、人間壊れていきそうで。。

思い出したくないこととか、ね。(←それは違うと思う)

って、じゃあ嵯峨さんの”lain”はどんな感じなんでしょうか?

>それとクールに成りきれない、ワタシの性格でしょうか。

私はそこが好きなんですけど(笑)



で、、話が変わるのですが。

食後にベース弾くって、本当に消化によさそうです(笑)

ここのところ、いつも弾いてますが、コーヒーの飲み過ぎで胸焼けとかしてても、全然。。。(笑)

ともかく、、ベースって本当に楽しいですね。

ただ、その後でギター弾くと2〜3弦のところで、絶対にアドリブで音外すのです。。。

なんか良い練習ないかな〜?

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Re[3]:少年の檻
投稿者:Saga@lain さん  ( uid 26945, posts:480, since 2000/12/23 )
投稿日: 2001/04/11 (水) 23:32 No.88 | 編集 | 削除

記事No.87 へのコメントです。

>じゃあ嵯峨さんの”lain”はどんな感じなんでしょうか?

あ・・・。
え、えっとぉ。
「少女趣味してんじゃん」とかDJに言われちゃうけど・・・。
可愛かったりキレイだったら、やっぱりそっちが好きだから・・・。
・・・あ、あの・・・ヘンなのかなぁ?
たたたたたたたたた・・・(逃走)

・・・というような人格の娘なので、純粋にキレイを求めるときは出てくると(爆)楽なのです。

>ともかく、、ベースって本当に楽しいですね。

はい。やってみないとわからない楽しみのひとつでしょうね。

>ただ、その後でギター弾くと2〜3弦のところで、絶対にアドリブで音外すのです。。。

慣れて下さい。
それしかないのです。
きっとギターにも役に立ちます。
ワタシはチョーキングでAからDまで上がるようになりました。

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横槍レスです
投稿者:k@まだ大学生 さん  ( uid 26956, posts:12, since 2001/01/16 )
投稿日: 2001/04/25 (水) 18:27 No.98 | 編集 | 削除

記事No.84 へのコメントです。

B_Gramの掲示板準備中につき…。

「少年の檻」拝聴させていただきました。

なんか、率直な感想。
「少年」…すでに「幼児」ではなく、いまだ「青年」でもない。
自分の少年時代(いつからいつまでかなあ)を振りかえるに、
この曲の前半部分(嵯峨さんのいう単調な部分)は、「醒め」た大人への変身を望む表層意識みたいなもの
後半のコードが入ってきて「熱く」なる部分は、まだ大人になりきらない少年の深層意識にある情熱というかなんかこう未成熟なアツい塊
みたいな勝手な感想を持ちました。

いずれにせよ、シンプルな曲造りなのにどことなくヒネてるのが大好きだったり(笑)
完成版が楽しみですー。

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Re:横槍レスです
投稿者:ヴィンセント=ベイン さん  ( uid 25970, posts:2, since 2001/04/22 )
投稿日: 2001/04/25 (水) 19:22 No.99 | 編集 | 削除

記事No.98 へのコメントです。

>>「少年」…すでに「幼児」ではなく、いまだ「青年」でもない。
>自分の少年時代(いつからいつまでかなあ)を振りかえるに、
>この曲の前半部分(嵯峨さんのいう単調な部分)は、「醒め」た大人への変身を望む表層意識みたいなもの
>後半のコードが入ってきて「熱く」なる部分は、まだ大人になりきらない少年の深層意識にある情熱というかなんかこう未成熟なアツい塊

どうも,,このレス読んで想ったことを,,書きます.

曲って,,作曲者が意図したモノと関係なく,オーディエンスの一人一人がその曲に投写することによって,”感動”するものなのかな,と.

作曲者の曲にこめた想いと聴き手の感覚っていうのは,同じに見えて実は全然違う次元にあるのではないか.とふと,感じました.

音楽を演奏するひと,音楽を聴くのが好きな人,音楽にあまり興味がないひと.

聴き手,っていろいろありますけど.

その曲について完全(?)に分かる(?)のは,作曲者自身のみなのかな,と.

,,,当たり前の事なのかなぁ?
今まで分かった気になっていたんですが(汗)

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感想ありがとうございます
投稿者:Saga@lain(Lモード起動) さん  ( uid 26945, posts:529, since 2000/12/23 )
投稿日: 2001/04/25 (水) 19:54 No.100 | 編集 | 削除

記事No.99 へのコメントです。

Kさんヴィンセントベインさん、感想ありがとうございます。

色々深遠なことを考えているかといいますと・・・。

あんまり考えてません(爆)

音楽って主語が無い詩というか・・・そんな感じがするんです。

特にゲームの場合は主語は絵なり物語で示されてることが多い。

「誰が」とか「何が」じゃなくって「どうだ」って動詞を助けるために音楽は頑張ることを期待されているんじゃないでしょうか。

寒い・・・さびしい・・・

こう書かれるだけより、皮膚感覚を呼び覚ます効果の高さが求められていると言えるかもしれません。

闇のなかでいつまでも待つもの。
永遠に待つもの。
運命の輪を回しつづけるもの。

こういう存在って存在してるんでしょうか。
生きている実感ってあるんでしょうか。
永遠って、囚われってことじゃないか。

永遠に待ち続けるものの孤独、悲しみ、怒り、諦め・・・。
サビシイ、カナシイ、ハラダタシイ、モウイヤダ、・・・。

そういう物を追いかけて曲を作ってるつもりです。
後半でココロが動いているのは確かですが、それは永遠のなかの一瞬。
リピートで聴くと判りますが、やはり永遠から逃げられないのです。

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受容
投稿者:k@まだ大学生 さん  ( uid 26956, posts:13, since 2001/01/16 )
投稿日: 2001/04/29 (日) 19:30 No.105 | 編集 | 削除

記事No.99 へのコメントです。

ヴィンセント=ベインさんのおっしゃるようなことを、去年大学でかじったのですが…。まあ、素材は文学でしたけど、文化的な作品一般に共通する問題だと思います。

昔の文学批評(研究)というのは、その作品が生まれた時期の著者の人となりについてなどもことこまかに研究し、「著者は」何を表現したかったのかということを追求することに価値を見出そうとするものでした。

それに対するアンチテーゼとして、文学テクストを読んだ「読者」の内面に何が起こり、作品がどう受け取られていくか…読み手が居なければ、テクストは作品として完成しない、という考え方が生まれたとのこと。W.イーザーという文学研究者の論を読んだのですが、有名どころの学者ではヤウスなんかも同じような研究をしてたようです。

以上は薀蓄ですが…「受け手がいないと作品は作品として成立しない。それは作者のセルフ・ポートレイトになってしまう」という考え方に共感できたので、去年の研究テーマにしてました。同時に、作品の解釈が受け手の意識や経験などに完全に委ねられるというものでもなく、「作品」を仲介役として「作者の意図」と「受け手」の間にある一定の規範を持った関係を構築する、というようなこともその受容理論はうたってまして、「なるほどなあ」と。

今回のベインさんの疑問の解決に至るヒントとなれば幸いですが。

[ この記事にコメントを返信する ] [ 原文引用 ]

Re:受容
投稿者:ヴィンセント=ベイン さん  ( uid 25970, posts:1, since 2001/04/29 )
投稿日: 2001/04/29 (日) 21:06 No.106 | 編集 | 削除

記事No.105 へのコメントです。


>以上は薀蓄ですが…「受け手がいないと作品は作品として成立しない。それは作者のセルフ・ポートレイトになってしまう」という考え方に共感できたので、去年の研究テーマにしてました。同時に、作品の解釈が受け手の意識や経験などに完全に委ねられるというものでもなく、「作品」を仲介役として「作者の意図」と「受け手」の間にある一定の規範を持った関係を構築する、というようなこともその受容理論はうたってまして、「なるほどなあ」と。

あの後,,私も私なりにいろいろ考えてみたのですが.

受け手がいないと”作品”としては成立しない.というのはあくまで相対的観念上の問題であって.”作品”というものはある意味完成したときから(厳密な意味ではないです)作者から独立する,という一面もあると想うのです.

風水さんのようにプロでやっていくのならば,それはもちろん,受け手に評価されなければやっていけませんが...

例えば「”絶海の孤島(笑)”にたった一人きりで暮らす,」という事になっても私は音楽を作るのはやめない,と想うのです.

それは自分のためでもなく,誰かのためでもなく”音楽”が存在する,,,という事自体が意味があること,,のような気がするからです.(突き詰めると自分のためになると想うのですが,,それなら,,自分のためだけではないのです)

例え,僕が死んでも,誰もその音楽を聴く事がなくても,,,その音楽が存在した.という事実が変わるわけではなく..ただ,それは自分自身にとってだけ意味があるのではなく,その”音楽”自身の意味なのでは,,と.

物事の価値って結局自分自身がそれ自体に価値を見いだせるか?という事だと想いますし.


あと,これに平行して思い出したのですが.

今,私がここで溜め息をついたことにより,台風が起こるかも知れない(モトネタがなにか忘れてしまいました.)

この他愛ない仕草の一つ一つも,周りのモノに影響を与えていって,,ある意味世界を変える...と,

無意味なモノなど,大きい眼で見れば存在しないのだ,と.(別の目的がからむと,無意味が存在するということは理解しています,)


>今回のベインさんの疑問の解決に至るヒントとなれば幸いですが。

あ,,いや,(汗)すみません,上であややな事書いていますが,参考になりました(汗)(汗)

(飛びすぎている気がする..)

何を表現しているか,,なのかな..

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補足?
投稿者:k@まだ大学生 さん  ( uid 26956, posts:14, since 2001/01/16 )
投稿日: 2001/05/02 (水) 06:08 No.107 | 編集 | 削除

記事No.106 へのコメントです。

引っ張るのも何ですが折角ですから。
ええ、前回の僕の文章があやややや…な書き方でしたね。

僕が例に挙げた「受容理論(または受容美学)」という論法は、ベインさんのおっしゃるような発想で生まれたものでもあるですヨ。

それ以前の考え方というのは、「作品」=「作者」であり、ゆえに作品の研究=作者の研究、だったのですね。
それを「受け手」を視界に入れながら、作者の元を離れた文学テクストという存在を考えようじゃないか、と。
受け手の評価、ということではなく、作品は受容されたときに受容者に内部化されて完成をみる、というか。
音楽で言えば、演奏を聴かれるなり譜面を見て頭の中で鳴らされるなり、「音」として発せられた時点で受容は起こっていると解釈できるというのが、僕の中での理解です。例えばテープがゴロンと転がっている。このままではただのテープですが、誰かが「聴いた」ときにそれは「音楽」になり得るわけですし。
ううん…うまく書けないなあ(苦)

さておき。
「絶海の孤島にひとりきり。さて、音楽をしますか?」という問題。
僕もするに一票です(笑)
むつかしい理屈をこねくりまわすよりも、自分にとっての音楽がすでにライフワークになっているこの体に住んでいる僕としては、「とりあえず、やるか」なわけで…。

まあ、理屈の部分で悶々としたことが、生まれてくる音楽にフィードバックされるもんだと思うので、理屈こねるのは好きです。

哲学の基本理念は「答えのない問いを問い抜く」、つまり答えを求めようとすることではなく、答えがないと解りきっていることに対する「問う」という姿勢にあるといいますが、「音楽って何なんだろ?」という疑問も、一緒ですよね。決まりきった答えなんか出ないのは目に見えてるのに、考えることが面白くて仕方ない。
そんなのもいいかなと思うのです。
何を表現しているのかわからなくなる。そのことを表現しようとする。そういうある意味で原理的に矛盾を孕んでいてもなお「表現」は成されてゆくところが、芸術の芸術たりえるところであり、価値であるというか。
そうやって、表現して、悩んで、自分なりに何か悟って、表現して、また悩んで…と、そのときごとに違ってくる「自分の音楽」に対して、自分は正直でいたいなあと思うのです。

駄文でごめんなさい。

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