菅霊山自在院
本尊 大日如来
本庄氏の氏神天満宮の別当にして初めは神宮寺と称せしを、寛永6年今の名に改めたるなり。最初は本郡栗崎村東本庄に在りしが、弘治2年本庄宮内少輔實忠移城の際、天神林に転じ(因て實忠を開基とす、法名は茂林秀槃大禅定門と言い、天正8年8月24日卒去)寛文7年2月、更に現在の所に引移りしが、爾来数度の火災に罹りしため、僅かに現今の頽勢を残留するのみと言う。境内523坪。
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江戸時代の五街道の一つ、中山道に関するサイトで、インターネット黎明期から作っていましたが大分古くなってしまいました。武蔵国児玉郡誌の内容も追加しています。
菅霊山自在院
本尊 大日如来
本庄氏の氏神天満宮の別当にして初めは神宮寺と称せしを、寛永6年今の名に改めたるなり。最初は本郡栗崎村東本庄に在りしが、弘治2年本庄宮内少輔實忠移城の際、天神林に転じ(因て實忠を開基とす、法名は茂林秀槃大禅定門と言い、天正8年8月24日卒去)寛文7年2月、更に現在の所に引移りしが、爾来数度の火災に罹りしため、僅かに現今の頽勢を残留するのみと言う。境内523坪。
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