城立寺

鉢形山

本尊 一塔両尊、日蓮大菩薩

抑も当山の開基は六老僧大國阿闍梨日朗菩薩にして、開山はその高弟九老僧魔訶一院日印上人なり、今を去る六百有余年前の創立にして宗祖大士一夜説法の旧跡なり。即ち文永11年3月宗祖大上人佐渡の御左遷を免れ給ひて鎌倉御帰錫の途次、当国鉢形村(大里郡)の辻堂に於いて一夜の法錫を垂れ給う、爾来四十有余年経たる正和4年、日印上人越後地方御遊説の折その辻堂に於いて大教を説く、化に浴して帰正するもの数多を算す、於是乎辻堂の名を改むるに鉢形山妙法立寺の山号寺号を以ってす。即ち朗尊を開基に印師を開山と定むるに至る。次で天正年間の頃第14世中興開山立源院日受上人専ら教法流布に勉む、時の鉢形城主北條安房守(三代北條氏康の四男)氏邦深く妙宗に帰依し、場内に諸堂宇を建立して祈願所となし、寺号を城立寺と改称す。天正18年8月6日鉢形落城と共に災厄に遇い諸堂宇宝物記録等悉皆烏有に帰す、越へて慶安元年9月日清上人の代に徳川家光公より御朱印を領して面目を一新せり、次で貞享元年了光院日垂上人諸堂宇を建立して旧態を改む、爾来百六十有余年間即文化文政の頃まで歴代継承せしもその後は殆んど廃寺の状態にありしが、中興開山慈秀院日迦上人(前管長)及びその弟子妙宣院日明聖人の発願に依り、明治42年5月現地に移転し来りたるが、今や本県日蓮宗宗務所参事加藤海音師住職たり。

児玉郡誌
本庄七福神は大国尊天

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