Back Numbers | Home

Columns: Communication

空気の読める社会(2)

Communication | Society

前回の「空気の読める社会(1)」は大きな反響を頂いた。いかに多くの人が、「空気を読む」ということに対して思うところを持たれているかということを示していると思う。そこで、コミュニケーションの形態によって、空気を読むということが求められる度合いがどのように変わってくるかということを検討し、それに基づいてより良く過ごすためのヒントについて考えてみたいのだが、まずは、何故、価値観が多様化したにも関わらず、コミュニケーションを成立するために論理的な言語によるやりとりが発達するのではなく、ますます空気を読むことが求められるようになったのかについて、いくつかの補足を加えながら、改めてまとめておきたい。

前回も書いたように、コミュニケーションの場においてますます空気を読むことが求められるようになった最大の要因は、「相手の感情を害してはならない」、という認識が強まったことにあると考えている。これは「サービス化する社会」などsociologicで何度も取り上げているが、「自己コントロールの檻―感情マネジメント社会の現実」では「人格崇拝」として指摘されている(もとはデュルケムという社会学者が提唱した概念)。また、セクハラや、これまたよく参照されている「ラブハラスメント」にしてもそうだが、言動そのもの以上に、受け取った側がどう感じるかによって「ハラスメント」かどうかが決まる、というのは、まさに受け取る側の感情を重視する風潮を示している。

意思疎通であるところのコミュニケーションもまた、受け取る側の受け止め方で成否が決まる。それに上記の受け取る側の感情を重視する風潮が重なれば、コミュニケーションの成否を受け取る側の感情が決めることになるのは自然である。

その一方で、価値観が多様化し、共有する知識やコンテクスト(文脈)が小さくなっている訳だが、加えて交通機関の発展や情報化の進行によって、社会の流動化が進み、そうした異なるバックグラウンドを持つ人が出会い、コミュニケーションを行わなければならない機会が格段に多くなっている。

このような価値観の多様化や社会の流動化の進行といった現象は、海外でも同じではないかとも思えるが、日本に特徴的なものとして、実はまだ「ムラ社会」的心性が根強く、私たちの考え方に大きく影響を残しているということがある。つまり、心理的に「内」の人間には好意や関心を持つが、心理的に「外」の人間には敵意を持ったり無関心になったりする傾向が強い。(「儀礼的無関心」などを見ていると、どこまで日本固有なのかは微妙なところだが、無関心以上の感情を持ちがちなのが日本の特性だろうか。)

まとめると、

1)相手の感情を害してはならないと考える。(心理主義化)
2)共有する知識やコンテクスト(文脈)が少ない。(価値観の多様化)
3)異なる背景を持つ人同士がコミュニケーションを取る機会が増加。(社会の流動化)
4)心理的に「内」の人には好意や関心を持つが、「外」の人には敵意または無関心。(ムラ社会的心性)

という背景が組み合わさって、コミュニケーションを円滑に行うためには、流動的な「場」においてその都度その都度、瞬間的に居心地(雰囲気)の良い「内」空間を構築する必要が出て来たということである。これは例えばカードの表裏で模式化してみると分かりやすいかもしれない(図1)。(*1)

コミュニケーションの「場」の変化
図1 コミュニケーションの「場」の変化

(*1)正確には流動性と共通するコンテクストの多少が必ずしも相関している訳ではないので、2軸でマトリクスを書いた方が適切かもしれない。最初は寡黙だが共通するコンテクストを見つけた瞬間に突然饒舌になる一部の人たちも存在する。

しかも、相手の価値観が分からないので、下手に相手が好ましく思っていないものを話題にしたり褒めたりして気まずい雰囲気になることを避けるため、可能な限り事前に相手について情報の収集を行い、コミュニケーションの場では声や表情の変化から相手の気持ちを読み取ってリアルタイムに機転を利かせる必要がある。例えば、題名を忘れてしまったが、「阪神ですが」のように始めても、相手が「阪神」を好きかどうかは分からないので、相手の表情の変化を読み取って「好き」「嫌い」を言い分けろと教えているハウツー本を見かけたことがある。ここまで来るとかなり極端ではあるが、相手に好感を持って貰うために、自分の意見すら曲げて相手の期待に沿い、楽しませることも必要であるらしいのが、今の「空気の読める社会」なのである。

有名な山本七平の「『空気』の研究」があるように、「空気」は昔から日本の集団における意思決定において重要な役割を果たして来た訳だが、社会の流動化や心理主義化により即時性や感情を重視する要素が加わったのが現代の「空気」である。近年、コミュニケーション力の低下が指摘されているが、学校、ビジネス、恋愛など様々な場において、要求されているコミュニケーション自体が高度化していることが、相対的なコミュニケーション力の低下として見えていると言えるかもしれない。

【関連リンク】
[communication] 「空気を読む」は「言論の予測市場」
[society] 社会の心理学化 「○○力」といった言葉にも言及されている。

【関連書籍】

441303533X頭のいい人は「場の空気」が読める!―たった1分で“うまくいく流れ”をつくるノウハウ
中島 孝志
青春出版社 2005-03

by G-Tools

4167306034「空気」の研究
山本 七平
文芸春秋 1983-01

by G-Tools

4763195948「場の空気」を読む技術
内藤 誼人
サンマーク出版 2004-07

by G-Tools

Posted: 2006年01月09日 08:00 このエントリーをはてなブックマークに追加
Amazon Search(関連しているかもしれない商品)
コメント

例えばうちのサイトの脱オタ研究みたいな、コミュニケーションスキル/スペックの入門的テキストにおいては、非言語コミュニケーションが「嫌な気分を相手に与えないように」という表現が多用されても仕方ないかもしれません…が、もうちょっと進んだ考え方では、非言語コミュニケーションで相手の気分や感情を操作する、という積極的な意味合いを見出して研究している人がいそうですね。非言語コミュニケーションで相手を愉しませる必要があるらしい、ということは、相手を愉しませることが交渉などの帰趨に影響を与える、とも捉えることができます。ならば、高度化したコミュニケーションスキルを嘆いて困っている人だけでなく、それを生かして跳梁跋扈している人(あるいはそれを目指している人)の存在がどこかにありそうな気がします。

 ああ、「価値観が多様化し、共有する知識やコンテクスト(文脈)が小さくなっていることで、異文化や異なる小宇宙同士がやりとりする際には、両者のやりとりを結ぶ共通言語というか共通通貨というか、両者に共通して理解出来るものが必要だと思うんですが、それは論理的な言語ではなく、感情的な非言語が担当しているのが現状と思うんですが、如何でしょうか(良いか悪いかはともかく)?そしてこの傾向は、止まらないんではないでしょうか?言語や論理によるやりとりは、頭のいい学生さんはともかくごく普通の男女にとっては案外手の届かないもので、それよりも生来的に持っている(ことになっている)非言語的な情報のやりとりが、基軸通貨となりやすいのはわかるような気がします。

 蛇足ながら、故にこそオタク文化以外との交流を指向する脱オタの試みは、この基軸通貨たる非言語コミュニケーションをマスターすることが極めて重要と私は考えています。言語だけでは、非オタク男女との良好な関係を構築するなんぞとても無理ですからね~。

Posted by: シロクマ : 2006年01月09日 20:57

シロクマさん、ありがとうございます。
非常に重要なご指摘なため、勝手ながらコメントを引越しさせて頂きました。

コミュニケーションはある望ましい/意図した状態にすることを目的としたものですので、目的を達するために、相手により良い感情を持って貰う方がベターなのはもちろんですが、共有する価値観や知識が少ないがゆえに、よりプリミティブで普遍的な人間の感情的非言語が橋渡しになるのであり、その傾向はますます強くなる、というのは恐らくその通りで、非常に鋭いご指摘だと思います。

Posted by: sociologic : 2006年01月09日 21:02

 移動していただき、ありがとうございました。あと、秋風さんはお気づきのことかと思いますが、以下を(っていうか自分とこでまとめたくなってきた)。

 「プリミティブで普遍的な非言語コミュニケーションが、コミュニケーションの基軸通貨化」するほど、非言語コミュニケーションスペックに優れた人が相対的に有利に働きやすくなりますよね?もしこの傾向が強まると、性差による格差・有利不利に面白い現象が発生する(もしくは既に発生している)のではないでしょうか?具体的には、非言語コミュニケーションや感情的な情報出入力に優れた女性(彼女達は、嘘の機敏にも優れます)達が、男性に比べて(統計レベルにおいて)優れた働き手として脚光を浴びやすくなるのでは?と思うんです。或いはすでにサービス業の最前線職ではそうかも?もちろん個人レベルでは性差云々ではなくその人の能力によりけりでしょうけど。

 一方で、非常に難解な論理やプログラムの能力・統率・動体視力や肉体的能力を求められる分野においては、依然として男性のほうが(統計レベルにおいて)活躍の場を得やすいかもしれません。ですが、そのような職種は現在は比較的限られているような気がしますし、雇用の枠を大きく支えてくれるとは考えにくそうなものばかりです。
 
 非言語コミュニケーションスペックがビジネス・プライベートシーンで通貨としての強みを増せば増すほど、女性的なスペックの活躍する場が増加しそうな気がします(というかそういうスペックが無いとそもそも適応&就労しきれない?)。そしてこの傾向は人間の性差とも幾らかの関連があるので、もしも上記があたっているなら、遠い未来、フェミニズムならぬメーニズムが発生しちゃうんじゃないかとすら思うことがあります。
(一方で、狼達の統率のような仕事は統計レベルではまだまだ男性が頑張れるはず、と一匹の雄としての個人的期待を表明!)

Posted by: シロクマ : 2006年01月12日 19:21

介護とか医療とか感情労働性の高いところでは、すでにそうした現象が起きている気がしますね。偏ってるかもしれませんが、男性は大体女性好きなため、女性に看て欲しい一方で、女性は、若くて気配りができるイケメンならともかく、オジサンよりはやはり女性に看て欲しかったりする印象があります。これは単に男女という性別もあるのでしょうけど、非言語コミュニケーションの違いもあるのかもしれません。あと、管理職(マネジャー)は女性の方が向いている、と書いている本もありますね。あらゆる仕事の「サービス性」が高まっていくると、そうした状況がどの仕事でも起こってくる可能性がありそうです。

ところで、非言語コミュニケーションスペックは現時点では男女格差があるため「女性的」ということな訳ですが、後天的・社会的な要素より、性差の方が大きいんですかね。社会で要求されるスペックが広く認知される+社会的淘汰が働くと、次第に差は埋まっていくのでは、という考え方もあると思いますが。もし性差なのだとすると、確かに男性はかなり不利な立場になりそうです。

まとめ記事も期待しています!

Posted by: sociologic : 2006年01月13日 00:52

トラバが打てなかったのでこちらにコメントします。

コミュニケーション弱者にとって、コンテクスト・言語という対照的な情報はどのようなものかについて書きました。

宜しかったら御覧下さい。宜しくお願いします。

Posted by: べぇぇ : 2007年01月14日 12:18

べぇぇさん、こんにちは。
コメントありがとうございます。

SPAMが余りにも多くて高負荷をかけ続けていたためにプロバイダからCGIを止められてしまったので、現状トラックバックは機能していません。すいません。

エントリ、拝見させて頂きます。

Posted by: socioarc : 2007年01月16日 01:45

こんにちは、またブログ覗かせていただきました。また、遊びに来ま~す。よろしくお願いします
モンクレール http://www.japan2moncler.com

Posted by: モンクレール : 2013年01月19日 19:21

布生地紙ラップの別の種類は間違いなくあなたの古い時計の解剖学的ドキュメント金である。 快適なためその鋼銀の壁紙の形をつぶすあなたの全体のパワーラップアラウンド以降に影響を与えます。 次に、デザインで配信準備金を購入し、様々な形や大きさの接着剤着色された星はもちろんのこと、あ​​なたのアンティークウォッチリボン輝くを通してそれを補完するものです。そして最終的に彼らはより良い液体が見つかります。 含まれ、他のどのような私が聞いたゴシップは、おそらくiPhone 5にバンドルされちゃうかもしれクローズアップ規律の電気通信(NFC)となります。 私は会社がフラクショナルレーザー治療を実行する方法を自問してみてください待っています。

Posted by: iphone5ケース : 2014年02月26日 17:18
コメントする









名前、アドレスをブラウザのcookieに登録しますか?