『飲んでません・が酔ってます・から書いた』 -2000年11月-

■ヨ〜ロヨ〜ロヤッホッホ〜♪・・・2000-11-25 (Sat)
あの雲ピィ〜〜〜〜〜〜・・・あちゃちゃ。

と、いうことで廃人。

前にやったこともあるけど相当前なのでいいかなぁ・・・と。

電波が来ないと、ホント、役立たずでしかない。

なんて喩えればいいんでしょうか。

水中500mまで潜航しないと電波の受信状態が良くならないのに、230mぐらいで「用事です浮上して下さい」というのが、繰り返されたというか。

現在も繰り返されてるというか。

あ、今の潜航なしね、と消費したエネルギーを「ちゃい」に出来ないのがまたクルクル。

ちょっと今、燃費悪いぞぉ。

しかも機嫌が悪い。


集合住宅のいろんな問題もダダ度で決まるようになってはねぇ。

はっきり言って、モラル低いというか利己的な人はとことんそうやしね。

世の中、ダダと神経の太さと他人に対する思いやりが無いと、生きやすいんやよね。


それで世の中渡るの専門職の方もあったんですが、バブルの時期大活躍しましたわ。

当局の「民事不介入」という明らかな「逃げ」で、泣き寝入りも多かったね。

「あ〜ん、コラお前」になって欲しいとは思いませんが、明らかに専門職の人相手に「見てないようで見てるでぇ」というぐらいの抑止力になって欲しかったですな。


それとガッコの先生。
教え子にアレしてアレなアレという言語道断なんは別にして、ビンタが飛ばんようになりましたな。

ワタシ、1回、斜めにモノ見たタチの悪いこと言って、本気の一撃食らった事ありますが。

「君はワタシを侮辱したから怒ってるんです」とオトナ扱いした上で、本気でバシーンと。

質の悪い軽口が度を越しやすい性格やというのを自覚して、気にかけてるんは、あの一撃のおかげですね。

小学校低学年のコドモに女の人とは言え大柄な人がフルスイング。
そら、耳鳴りキーンってしましたもんね。

本気でヤラれると「キーン」ってするというのも良く判った。

でも、センセが悪いとは思いませんでしたね。

オトナ扱いしてされたからかな。
「オトナの論理的なコトバ」に対する畏敬というかそういうのも感じて。


別の意味でオトナ扱いして手ぇ後ろ回る先生(うげっ)とは比べもんになりませんな。


その2つが、「ダダ押え」の入り口で。

それが機能してへんという事やろうねぇ。

まぁ、上が上やからというのも・・・言うたらシマイでっせ。


■全国駅弁大会が・・・2000-11-26 (Sun)
スーパーであったらしく、昼に「越前かにめし」を貰う。

ちなみに実家に知り合いが来てて。
その人は「どっさりウニ丼」
父は「柿の葉寿司」
母は「いかめし」
を選んだとの事。

両親の選択肢、なかなか渋いが外れがない。
父が、営業で全国を回っていた時期があるので、見かけは良いとかインパクトがあるけど食べてあやややな物を良く知ってるからかもしれない。

もう記憶の底だけど、時々オミヤゲに買ってくる駅弁は外れがなかった。
今にして思えば、外れは自分で食べて知ってたんやね。

両親もトシとると小食になるんだけど、こういうイベントものの時は「いつもより多め」に食べられるらしい。

なんていうか、そうやって自分で「ハレ」を作って食べるっていう生活の知恵。
世相も暗いと食欲も落ちるし、なかなかな工夫かな、って思う。

夜はいつもの。
トーフ、白菜、ネギ、練り物、今日はゲストに小粒餃子さんをお迎えして。
ポン酢で食べる食べる。

ほんとにトーフ食いですね・・・嵯峨ですから。

・・・・・35点。

でも暖かいや。ふふふふふ。

■朝昼ゴハンを食べた後・・・2000-11-26 (Sun)
胃の重さにどどどどどどどど鬱になる。

部屋の隅で丸くなって「ここんとこが好き」という状況。

ギターでそれはそれは暗いフレーズを弾いていると、いきなりネタが浮かぶ。

『鬱!帝国憂歌団』


元歌をそのままマイナーブルースにしても味気ないので、ド演歌ベタベタ丸出しブルースにしてみる。

見え見えのコード進行、勘違いしたようなブルーノート。

あぁ、暗い。華やかさのカケラも無い。

第二次世界大戦後の「●ン●ンさん」というか、夜の蝶の匂いがプンプンするぞ。


ついでに歌詞も替えてみる。


えーっと、無事に●魔を撃退したが、照和初期の大恐慌で劇場は潰れ、神●重工業も倒産。

●組メンバーはなんとかオカネをやりくりしながら裏通りでカフェを経営して女給仕事の毎日。

カフェとは言いながらも昔のそれは半分風俗営業なヤバさを振りまいて化粧の匂いが立ち込める店。

米●元支配人はマスターと呼ばれながらも店の中で酒浸りの・・・。


ううっ・・・どどどどど暗い。

そういう設定で歌詞を作る。

・・・よいしょ。・・・よいしょ。よし!出来た。

うげげげげげげっ。じじじ、人格疑われるわ。

危なすぎて発表も出来ないし、某ゲームを愛する管理人さんもここまでは許してくれないだろう。

ビールをチビチビ飲みながら、3回ほど通しで歌ってみる。

・・・・・・ますます気分が鬱々としてくる。


まぁ、思いつき一発でここまでアレンジするとは、なかなか廃人でもヤるやんけ、と思いながらも、何が何でも発表は無理なので(初めから発表する気は0ですが)乾いた笑いが込み上げる。

へへへへへへへへ〜♪

音楽も時には暴力になるのです。


最初のうたい出し一行だけでも書こうかと思ったが、もうその時点でづげげげげ下品な18禁なので書くのは止めにするのです。

無難な一行出してもR指定だし。


なんか無駄に時間使ったような、でも自分の腕力を再認識するだけの効果はあったというべきか。

不思議なジカン。


■オイラは今日も綿を摘む・・・2000-11-26 (Sun)
・・・鬱がたまりすぎてキレる。

さすがの師匠もアナクロすぎて呆れ返ったという、インディアンと黒人の混血ブルースマン、「スクラッパー・ブラックウェル」の真似をする。

ブルース界にはいろんな有名人がいるが、相棒が死んだから商売替えをして、30年近くたっていきなり発掘されて、これは凄い!と、図書館やらなんやらの為に録音して、いきなり陽のあたる場所へ出て3年で死んだというから、その一生凄いというか何というか。

ミシシッピから都会へ出てきて一発当ててという感じではなく、一生都会の日陰の田舎者でありつづけた精神力にも恐れ入る。

しかも無学な田舎者ではなく、色んな人権運動の類なんかに参加するインテリ者でもあったらしい。

ただ、音楽は一生田舎モンスタイルを貫いたという。
録音されたものを聴いても、時々拍子を間違えるんか、それともワザとなのか理解に苦しむような内容があるのだが・・・。
独特のヒラメキのようなものがあって、それはワンアンドオンリーですねぇ。
歌詞を思い出してる間、手癖で伴奏を引き伸ばしているのも(爆)味ですよアジ。

でもカッコ良いことこのうえないんですが。
ボケるならこんな風にボケたいもんだと思います。
こんな風に弾き語りができるジジイになりたいもんだわ。

■朝からモデムカードが・・・2000-11-27 (Mon)
飛んだ。

文字どおり、物理的に飛んだ。

ケーブルに足引っかけたから。

カードスロットから抜けざまにバキッとX−Jackが、基盤とつながってるフィルムごとお亡くなりに・・・。

しばし、アクセス数が減るのは必至なので、レス遅れますがカンベン。

■自由とか平等とか・・・2000-11-27 (Mon)
いかに空疎な使われ方をしてるか、アメリカをみるとよく判るね。

自分に対して有利な条件をひっぱり出すために使う言葉ではありまへんでぇ。

平等に「全部の州で手作業による集計を行ったら、迅速な作業が行えない」ので、平等に「全部の州で機械読み取りによる集計を行う」のやと。

票差が、規定の範囲内だったら、再度機械集計をやり直すべきで、手作業に切り替え云々は平等の範囲を超えてます。

大体、選挙っていうのも行政サービスのひとつであり、ある一地区だけ特別な方法を取ること自体「平等では無い」ですがな。

しかも、自分に有利な地域だけ手作業でやり直しって、あまりにダダ度が大きすぎますね。


最初に、「ある地域に手作業を導入する事こそ不平等」とマスコミが切って棄てなかったのは、かの国が「自由とか平等とか」、そういう言葉に夢を持ってる、そういう「お約束」でまとまりを見せる国だからじゃないでしょか。

いわゆる千年王国の夢というやつですな。

それも、あまりにコドモっぽいといえばコドモっぽいんですが。

その自覚がマスコミにも無いとなると、人間の程度知れてるでぇ。

でも、そういう国や無いと「人権」のために他国を爆撃せんわな。

さて、ここから先に、かの国のマスコミがどういう態度を示すかで、国の程度は決まりますわな。

ワタシゃTVみないもんで、もうどーでもいいですが、TV見る人は、そのあたり「じっくり観察」してみるのもえーかもしれませんな。


■あやややや・・・・・2000-11-29 (Wed)
久しぶりに日付変更線を越えてしもたがな。

少年法が改正されましたが、どうなんやろうね。

ワンアンドオンリーみたいな犯罪には何をもってしても対応でけへんというか。

対応が後手後手に回るんはしゃあないですわね。

意外に論議されてないのが「常習犯」という奴で、思い出せば誰の思い出のなかにもおるんとちゃいますか。

中学校で、鑑別所と、ガッコ行ったり来たりという。

そういう連中のなかから、職業として裏社会を選択するもんが出てくるんですけど。
そのまま中学校卒業したら、下っ端ととして組み込まれていくんですな。

下っ端が増えなかったら、自分がピラミッドの上に登っていかれへんのは、政治の派閥も、ソフトハウスも、普通の会社も、舞妓さんも、裏社会もいっしょで。

そういう構成要員になれへんように、「常習犯を安易に社会へ戻さない」という考え方も大事やと思うんですわ。

国が本気で、社会のウラを掃除するつもりやったらね。

当然、100%がそうなる訳でもないです。
どっちかというと、日●組バリバリの偽善なアレに対して反抗的やったんで、そういう友達も結構します。
中学卒業してちょっとぶらついて手に職付けて、嫁さんもうて、買いもんとかで合うと
「お前そんな髪型して何考えてんねん」
「コドモのフトコロあてにして人生送ったら、畳の上で死ねんで」
「えーかげん、嫁さんもーたらどないや、親も心配してるやろう」
と遠慮の無い言葉を掛けてくれる連中にもそういうガッコ時代送った奴もおるのはおるんですわね。

その生き方の違いを招く、「多分ほんのちょっとの違い」をなんとかするんに、少年法使われたらえーんですけどね。

ま、これは「受け入れる」社会も巻き込んでのことになりますわな。
オトナが「何たら党」の立場とか、そういうのんで議論するんとは違いまっせ。

「何たら党」が更正した人たちを受け入れる職場作ってみせるという、その覚悟で議論せぇへんのやったら、受け入れる職場を支持基盤として持ってるとこには意見できまへんでぇ。

どことは言いまへんけどな。

■おじいちゃんと・・・2000-11-29 (Wed)
・・・呼んでた人が亡くなった。

とっくの昔に、そう呼ぶだけの人で、そんな縁は無いと知っていたけど。

隣に住んでました。

小学校の通知票を見せたり、高校の合格発表の報告をしたり、ウチでお風呂入って、鍋を一緒につついたり。

クリスマスのケーキを食べたり。元旦のお雑煮を一緒に食べたり。

夏はゴハンを食べ終えて父が将棋の相手をしたり・・・。

それが当たり前の毎日を送っていても・・・。


それでも、「祖父である」とは言えない。

今は、遠くのキレイな養老施設に入ってました。


・・・縁って生まれつきか、後天的かどっちなんでしょうね。


今月に入って度々昏睡状態になり、その度に、母は不自由な足に関わらず様子を見に行き、ワタシは掛かるかもしれない電話を眺めてずっと寝ないで過ごしてました。


そのアオリで、仕事がどどど遅れているのでお葬式は行けそうにありません。

と、いうよりワタシの知らない人が沢山いて、ワタシの知らない流派の、ワタシの知らないお坊さんが、お葬式をするという光景に、どういう感想を持つか、自分を押さえられるかどうか判らない。


毎月決まった日に、代々見知ったお坊さんがやってきて、読経をするその後ろに、高校を卒業するまで、ワタシは座ってました。

仏を守るってそんなもんだと思っていましたから。

そんな時も一生の中では一瞬の幻だったのかも知れません。


ややこしい人間関係の中で、「おじいちゃん」と「おばあちゃん」はいた。

でも祖父も祖母もいない。

元義祖父と元義祖母がそこにはいただけ。

なぜ「元」なのかは一言では説明出来ません。

でも記憶の中では「おじいちゃん」と「おばあちゃん」。

ワタシはヴァーチャルな「出来の良い孫」だったのかもしれない。

そうは思いたくないけど、そう割り切ってしまえと言う自分がいます。

ねじれた人間関係の中で、記憶とタテマエの遊離に耐え切れないワタシがいます。

ココロを紡ぐ商売故か、ココロと離れた形式を叩き壊してしまいそうなワタシがいます。


しばらくは、形式的なイヤな事が多いと思いますが・・・。

静かになったら、自転車でお墓参りをして墓の前で飲もうと思います。

たった一人で飲もうと思います。


■メールや行き付けのBBSで・・・2000-11-30 (Thu)
・・・直前の日記についてのレスを頂いています。

本当に有り難いです。

ワタシは顔も知らない人にココロのカケラでも届けば良いという類の仕事を選びましたが、まさか、お返しを頂けるとは思いませんでした。

自分の選んだ道が、しんどくても、これほど温かさに溢れた道だとは思ってもいませんでした。

ワタシはオフィスKAZAMIという屋号の代表者として、暮らしています。
弔電や祝電を打つときもそのようにしています。

そのことに誇りを持てるようにして下さるのはユーザーの皆さんなんだなぁと思いました。

ほんとうにありがとうございます。
今は他の言葉を思いつかないのがまどろっこしいですが、また作品でココロのカケラをお届けするのが、この気持ちを伝える方法かと思って、頑張っていきたいと思います。

重ね重ね、ありがとうございました。

風水嵯峨 拝

■飲んで飲んで・・・・2000-11-30 (Thu)
昼前に起きたら、喉が完全に死んでます。

マホービンに入れたお湯を持ってないと、外を歩くと3分で喉が閉鎖。

あわててお湯をゴクゴクと・・・。

胃もひっくり返ったようで、久しぶりに「むははははは」とガミラスの酸性の海。

第三艦橋も溶ける勢いですがなんとか胃薬スタックで耐えねば。

いや、来週になったら直るのはお約束(笑)ですが、それ以前になんとかしたいのです。

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